(165)『古事記』春日の袁杼比売① ②  三重の采女 雄略天皇崩御
鶺鴒 (マナシバラ セキレイ)


前の記事

次の記事

これまでのあらすじ

第21代 雄略天皇が即位しました。

古事記」には多くの雄略天皇のエピソードが載っています。

これまでに

皇后となった若日下部王(ワカクサカベノミコ)に求婚をしに行くお話し

・昔、求婚した女性を忘れていたお話し

吉野での2つのエピソード

葛城での2つのエピソード

を紹介しました。

今回は雄略天皇が崩御するまでの3つのエピソードを紹介します。

春日の袁杼比売 ①

またある時、天皇が丸邇(ワニ)佐都紀臣(サツキオミ)の娘袁杼比売(オドヒメ)と結婚するため、春日(カスガ 現在の奈良県春日町)にやって来た時、乙女と道で出逢いました。

しかし、乙女天皇の行列を見て驚いてしまい、岡の辺りに逃げて隠れてしまいました。

そこで天皇は、次の歌を詠みました。

雄略天皇
🍃媛女(オトメ)の い隠(カク)る岡 
金鉏(カナスキ)も 
五百箇(イホチ)もがも 
鋤(ス)き撥(ハ)ぬるもの
🍃

現代語訳
乙女の隠れている岡を、
金鉏が五百ほどあれば、鋤き払うのだが

(丘に隠れた乙女を、
金鉏がたくさんあれば掘って見つけ出せるのになあ。
との意味)
鋤 (スキ)

そこで、その岡を名付けて金鉏岡(カナスキノオカ:所在未詳)というのです。

この乙女については

🌸「春日の袁杼比売」ご自身が道にいたのだ。

そして雄略天皇御一行を見て逃げた、という説と

🌸誰でもない乙女を (袁杼比売に求婚しに行く途中にも関わらず)追いかけたのだ、

という説があります。

三重の采女

欅の木

また、雄略天皇長谷(宮がある所) の枝の繁った欅(ケヤキ)の下で、豊楽(トヨノアカリ:酒宴)を開いた時、

伊勢国三重采女(ウネメ)大御盞(オオミカサヅキ:天皇が呑まれる酒盃)捧げ献(たてまつ)りました。

三重は

日本武尊(ヤマトタケル)が崩御する少し前に

私の足は三重の曲がり餅のようになってしまった

と詠み、名付けられた場所です。

采女とは

古代、天皇に仕え、食膳の奉仕をした下級の女官のことです。

大化の改新の詔」(646年)に

凡そ采女は郡の小領(知事クラス)以上の(地位の)、姉妹および子女の形容端正な者を貢れ

とあります。

つまり、采女は教養のある美人ですので、

天皇の愛人になることもありますが、

必ずしもそうではありません


すると、その繁った欅(けやき)の葉が落ち、天皇の盃に浮かびました。

欅の葉

その采女は、落ち葉が盃に浮いているとは知らずに、大御酒を献りました。

今城塚古墳に残された采女の埴輪 (高槻市営バスさんhpより写真をお借りしました)

天皇は、その盃に浮いている葉をご覧になり、その采女を打ち伏せ、太刀をその首に刺しあて斬ろうとしました。

雄略天皇はなぜそんなに怒ったか

豊楽の時には、女性たちは潔斎 (身を清めるために夫や愛しい人にも会ってはいけない) しなければいけませんでした。

欅の葉はケガレた女性の月経を表すと言われていました。

その時、その采女天皇に、

采女
どうか私を殺さないで下さい。
申し上げることがございます。

と申し上げ、そして次の歌を詠みました。

采女
🍃纏向(マキムク 景行天皇の宮があった所)の 
日代(ひしろ)の宮は 

朝日の 日照る宮 
夕日の 日陰る宮 
竹の根の 根足(ネダ)る宮 
木の根の 根延(ネバ)ふ宮 
八百土(ヤホニ)よし い
築きの宮 真木栄(まきさ)く 
檜(ヒ)の御門(ミカド) 
新嘗屋(ニイナエヤ)に 
生ひ立てる 

百足(モモダ)る 
槻(ツキ)が枝は 
上つ枝は 天を覆(オ)へり 
中つ枝は 東を覆へり 下枝は 鄙(ヒナ)を覆へり 

上つ枝の 枝の末葉(ウラバ)は 
中つ枝に 落ち触(ふ)らばへ  
中つ枝の 枝の末葉は 下つ枝に ち触(フ)らばへ 
下枝の 枝の末葉は あり衣(キヌ)の 
三重の子が 捧がせる 瑞玉盞(ミヅタマウキ)に  

浮きし脂 落ちなづさひ 
水なこをろこをろに 
是(こ)しも 
あやに畏(かしこ)し 高光る 日の御子 

事の 語り言も 
是(コ)をば🍃

現代語訳:


纏向(まきむく)の
日代の宮は、
朝日の照る宮
夕日の輝く宮
竹の根が垂れ栄える宮
樹の根が延び栄える宮
多くの土で築き固めた宮です

立派に栄える檜の
新嘗祭(にいなめさい)を行う御殿に生え立っている

多くの繁った欅(けやき)の枝は
上の枝は天を覆い
中の枝は東の国を覆い
下の枝は田舎を覆っております

その上の枝の枝先の葉は中の枝に落ちて触れ
中の枝先の葉は
下の枝に落ちて触れ
下の枝先の葉は三重の采女が捧げている立派な盃に
浮いた脂のように落ちて浮かび

水音が
「こおろ、こおろ」と

これは誠に畏れ多いことでございます

天に輝く日の御子、
この事を語りお伝えいたします

水音が「こおろ、こおろ」と】とは

伊耶那岐神伊耶那美神の二神が国生みをした際、

海水をこおろこおろとかき鳴らしてオノゴロ島を作ったことに例え、

盃に葉が浮かんでいることを悪いことではなく、

良いことであると、言い喩えたと思われます。

また、雄略天皇日の神の子であることを讃えています。

ただし

纏向の〜」から始まっていることから見ても、

この歌はこの采女が即興で作ったものではなく

景行天皇の時代から歌い継がれていた天皇を賛美する歌だと考えられます。

この歌を献(タテマツ)ると、天皇はその罪を赦しました。

そこで、大后の若日下部王(ワカクサカベノミコ)が歌を詠みました。

椿

若日下部王
🍃倭の 
この高市(タケイチ)に 小高(コダカ)る 市の高処(ツカサ)


新嘗屋(ニイナエヤ)に 生ひ立てる
葉広 斎(ユ)つ

真椿(マツバキ)
そが葉の 広りいまし その花の 照りいます 

高光る 日の御子に 
豊御酒(トヨミキ) 
献らせ 
事の 語り言も 
堤(コ)をば🍃

現代語訳:

大和のこの高い市に、
小高くなっている
市の新嘗祭の御殿に

生え立っている
葉広い神聖な椿

その葉のように
広く穏やかに
その花のように
照り輝いておられる
日の御子に
豊御酒を差し上げなさい

この事を語りお伝えします。

若日下部王

采女

「(無礼があったのは)もういいから、素晴らしい天皇にお酒を差し上げなさい。

素晴らしい天皇ならきっと許してくれますよ。(ね、あなた)」

とお助けになったのでしょう。

仁徳天皇の御子であり年上の皇后だったといわれる若日下部王のおかげで

乱暴であった雄略天皇少し大人しくなったと言われています。

すると天皇も歌を詠みました。

雄略天皇
ももしきの 大宮人は 

鶉鳥(ウズラ) 
領巾取(ヒレト)りかけて 
鶺鴒(マナシバラ セキレイ) 
尾行き会へ 
庭雀(ニワスズメ)

うずすまり居て 
今日もかも 
酒水漬(サカミズ)くらし 
高光る 日の宮人 
事の 語り言も 
堤(コ)をば

現代語訳:


宮廷の官人達は、

鶉のように領巾
(ヒレ:両肩から垂らして掛ける布)を掛けて、

鶺鴒(セキレイ:鳥)が尾を動かすように行き交って、
庭のスズメのようにあちらこちらに居て、
今日も酒宴をしているようだ

日の宮の人々よ、この事を語って伝えよう

この三首の歌は、天語歌(アマガタリウタ:天皇讃歌)です。

そして、天皇はこの豊楽で、その三重の采女を誉めて、多くの品物を賜いました。

このような盃だったかも知れません

春日の袁杼比売 ②

また、雄略天皇この豊楽の日に

春日の袁杼比売(オドヒメ)が、大御酒(オオミケ)を献った時にも歌を詠みました。

雄略天皇

🍶水濯(ミナソソ)く 
臣(オミ)の嬢子(オトメ) 

秀罇執(ホダリ 銚子)取らすも 

秀罇執取り 
堅く取らせ 
した堅く 
彌堅(ヤガタ)く取らせ 
秀罇執取らす子🍶

現代語訳:

臣の嬢子(おとめ)が
秀罇執を持っている

秀罇執を持つならしっかりと持ちなさい

堅くしっかりと持ちなさい
秀罇執を持つ嬢子よ

これは宇岐歌(ウキウタ)です。

宇岐歌は

酒宴などで御酒をあげる時などに歌われた歌とされます。

すると、袁杼比売が歌を詠み献りました。

袁杼比売
やすみしし 
我が大君の 
朝とには 
い倚(ヨ)り立たし 
夕とには 
い倚り立たす 
脇机(ワキヅキ)が下の 
板にもが あせを

現代語訳:

我が大君が
朝に寄りかかり
夕に寄りかかっておられる
その脇机(ワキヅキ:この場合は肘掛の事か?)

の下の板にもなりたいものです
愛しい貴方よ

これは、志都歌(しずうた:調子を下げ静かに歌う歌)です。

雄略天皇の崩御と陵

雄略天皇の墓と治定されている高鷲丸山古墳


天皇の御年は、124歳。

己巳年(ツチノトノミ:489年)の8月9日に崩御されました。

御陵は河内の多治比(タジヒ)の高鷲(タカワシ:現在の大阪府羽曳野市島泉)にあります。

陵名は丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)

墳名は高鷲丸山古墳です。

この古墳は円墳だったと言われています。

しかし、「雄略天皇ほどの天皇の古墳が前方後円墳でないのはよくない」という意見から明治時代に四角の古墳を足しました。

円墳の部分は顕宗天皇の時代に意祁王 (のちの24代仁賢天皇) によって少し破壊されることになります。

はるさん的補足 雄略天皇のまとめ

即位後の雄略天皇のドラマ(オールカラー地図と写真でよくわかる古事記p185)

古事記では雄略天皇の章に多くの記述を費やしています。

血みどろの権力闘争が長く

(157)大日下王事件、

(158)允恭天皇の御子たちの殺し合い

(159)市辺之忍歯王殺害


即位してからは横暴ぶり華やかな女性関係

そして神に出会うなど、エピソードがいっぱいです。

古代のジャイアン」などと言われることもある雄略天皇

人間味溢れる英雄ですね。

前の記事

次の記事

古事記の他の記事

古事記の他の記事はこちらからご覧ください。

上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

にほんブログ村

おすすめの記事