剱ノ小姓 (ソードのペイジ) 「オウスノミコト」

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これまでのあらすじ

景行天皇の御子として生まれた日本武尊(ヤマトタケル)はを残酷な殺し方で殺したことから、父親に疎んじられてしまいます。

そのため熊曽征伐出雲征伐東征にわずかな兵と共に行かされました。

伯母の倭比売から頂いた草薙の剣(別名:アメノムラクモ)と共に戦い、

妻の弟橘比売(オトタチバナヒメ)の助けもあり連戦連勝。

東征の帰りには美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚。

美夜受比受のもとに草薙の剣を置いて伊吹山の神を征伐しに出かけましたが、

大きな雹を降らされ病気になってしまいます。

それでも懸命に都を目指しますが、とうとう亡くなり、白い鳥となって飛び立ちました。

「古事記」におけるヤマトタケルの系譜

古事記」におけるヤマトタケルの系譜には大きな矛盾点があります。

それはヤマトタケルが複数の英雄を一人にまとめたからだという説や、単なる書き間違えだという説があります。

系譜の下の方で景行天皇がヤマトタケルの子孫と結婚?

矛盾点も含めて「古事記」に書かれた系譜を2回に分けて説明します。

今回は6人の后と6人の御子の紹介です。

最後に結婚した美夜受比売(ミヤズヒメ)は「古事記」の系譜には載っていません。

・ヤマトタケル垂仁天皇の皇女である布多遅能伊理毗売(フタジノイリビメ)と結婚してお生まれになった御子は帯中津日子命(タラシナカツヒコ)

・走水の海に入水した弟橘比売と結婚してお生まれになった御子は若建王(ワカタケノミコ)

・近江の安(滋賀県野州市)の国造の祖先である意富多牟和気(オオタムワケ)の娘の、布多遅比売(フタジヒメ)と結婚してお生みになった御子は稲依別王(イナヨリワケノミコ)

・吉備臣建日子(キビオミタケヒコ)の妹の、大吉備建比売(オオキビタケヒメ)と結婚してお生みになった御子は建貝児王(タケカイコノミコ)

・山代玖々麻毛理比売(ククマモリヒメ)と結婚してお生みになった御子は足鏡別王(アシカガミワケノミコ)

・ある妻の子は、息長田別王(オキナガタワケノミコ)

全てこのヤマトタケルの御子たちは6人です。

系譜は(123)に続きます。

日本神話タロット 極参 剱ノ小姓 (ソードのペイジ)「オウスノミコト」

焼津神社にある日本武尊像

剱ノ小姓 (ソードのペイジ)の意味

正位置

文武両道、外交的、真実を求める、洞察力

逆位置

未熟、準備不足、出遅れ、軽率な行動

解説文写し

自分の才能に慢心することなく、日々自分を磨き続けているオウスノミコト(ヤマトタケルの幼名)は武芸だけでなく、知識もあり、策略を立てることも得意でした。

最初の一歩を踏み出すことが大切だとわかっているため、考えることよりもまずは行動し、良い結果に結びつけていくことができます。

参考記事

日本神話タロット「極参」

はるさん的補足 ヤマトタケルのモデルはヘラクレスか

古事記」は世界の神話に影響を受けて編纂されたという説があります。

これまでも

(11)黄泉比良坂の場面では

死者の国からの救済失敗をする「ギリシャ神話」のオルフェウス型神話

(33)ヤマタノオロチの物語は

怪物が人々に災いをもたらせ、英雄が戦う「ギリシャ神話」のペルセウス・アンドロメダ型神話

(61)ワカヒコのモデルはユダヤの聖書タルムード」に登場する「ニムロド」か?という説

などを紹介してきました。

ヤマトタケルの生涯は「ギリシャ神話」に出てくる「ヘラクレス」と共通点が多いことが指摘されています。

ヤマトタケルとヘラクレスの共通点

ヘラクレス像(ルーブル美術館)

高貴な生まれなのに怪力

ヘラクレスゼウスの子

ヤマトタケル天皇の御子

12という数

ヘラクレス12の難行を命じられる

ヤマトタケル東方12ヶ国の従わない神と人の征伐を命じられる

誤って家族を殺す

ヘラクレスは自分の子供

ヤマトタケル

敵の殺し方が残忍

ヘラクレスは騙して高い塔から突き落とす

ヤマトタケル熊曽建出雲建の殺し方

山の大きな猪が登場

ヘラクレスエリュマントスの猪

ヤマトタケル大きな猪の姿をした伊吹山の神

共に多くの女性に愛されたくさん戦い、打ち倒すも、最後は不遇なまま亡くなるところも共通しています。

古事記」が編纂された8世紀には海外から多くの書物が入っていたと見られることから、ヤマトタケルの物語を制作するにあたって、ヘラクレスの神話が影響していたかもしれませんね。

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古事記の他の記事

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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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コメント一覧
  1. Yoshi より:

    系譜のまとめ、本当にお疲れさまでした。地道で大変な作業であられたのではないかと思います。
    記紀などの神話の中に世界の他の神話に似たエピソードが散見されていたのは僕も気になっていました。
    全く別の土地で、同じようなお話・出来事が起こってそれが書き記されているのであれば、それはかなり不思議であり、かつすごい事だとは思っていたのですが、やはり・さすがに、影響を受けていると考える方が自然でしょうか
    あと、12の試練、に目が留まりました。タロットカード大アルカナ12番目は「吊られた男」 試練の意味もあるカードです。12というのが「試練の数字」?!

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      系譜は本当に大変なんですよ。笑
      他に私は見つけられたことがありません。
      神話の類似性については、私は712年の編纂期に各国の神話が伝わっていたと思っていますが、ユングの原型のように、創造力は世界共通の話になりがちなのだと主張する方もいます。
      記事に載せませんでしたが、寿命誕生のバナナ型神話も世界中にありますね。
      古事記はギリシャ神話などに比べて、残酷なシーンは少ないし、嫉妬もカワイイものです。
      スセリヒメや仁徳天皇の妻も、嫉妬しますが追い出すくらいで、殺しませんから。笑
      12!
      「吊るされた男」ですね!
      言われるまで気づきませんでした。、、、マズイ
      タロットを作った方がヘラクレスの神話を知らないはずは無いので、吊るされた男は12にしたのだと思います。
      ありがとうございました!

  2. ミカリン より:

    古事記がギリシャ神話に影響受けて編纂されてるなんて興味深いですね。平安時代は大陸との交流も盛んで、帰化人も多かったのですね。それにしても、景行天皇がヤマトタケルの孫と結婚してたとすると、カオスですね

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      古代人たちも海を渡ってかなり日本に来ていたし、日本からも行っていたのようですね。
      景行天皇がヤマトタケルの子孫と結婚と書いてあるのは、単なる間違いなのではないかと思うのです。
      ヤマトタケルが複数の英雄を一人にまとめたということを示すためにわざとかもしれませんが。

  3. さゆ より:

    后と御子合わせて12人もいらしたなんてすごい!近江や山代などいろいろな所にいらしたのですね。なかなか会えなくても、果敢なヤマトタケルを慕っていたことでしょうね。
    ヤマトタケルは、本当にヘラクレスと共通点が多いですね。初めて知りました。
    お話はギリシャから伝播した説と、平行して発展した説の2説あるのですね。中国を経て、ギリシャから伝わったような気もしますし、人間の考えることは一緒なので似た話が生まれる気もしますし、、、。新たな根拠の発見があるとよいですね。
    カードの絵はオウスノミコトですね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      長くなるので、記事には書かなかったのですが、景行天皇の80人の御子のうち、3人だけが太子として扱われてました。(記事109)
      太子とは次期天皇候補と目されているということ。
      ヤマトタケルは酷い仕打ちを受けていますが、太子の一人なので、垂仁天皇の御子の布多遅能理毗売と結婚させてもらえてるのでしょう。
      だから、もう少し長生きできれば、天皇になっていたという立場です。
      第13代成務天皇は景行天皇の子供ですが、第14代はヤマトタケルの子です。
      そのことから考えても、景行天皇以外からのヤマトタケルの信頼や評価が高かったことがわかります。
      吉備や山代は戦った後、地方豪族の家に泊めてもらえてそのまま、、、?
      娘と、天皇の御子との結婚を望む豪族は多いでしょうから。

      今までもバナナ型神話(寿命が生まれたわけ)も似たものが世界中にあるという紹介をしてきましたが、
      じつは大国主命のモデルがゼウスだとも言われています。
      ヘラクレスとヤマトタケルの方が似ている点が多いと思います。
      ギリシャ神話の方がおっかないですけど。
      スセリヒメや仁徳天皇の奥様が嫉妬しても殺さないし。笑
      カードの絵はオウスノミコト(ヤマトタケルの幼少期)です。

  4. 才色健躾 より:

    ヤマトタケルさまは風流才子と云う事ですね。
    編纂されました時代を考えますと外国の逸話の真似を記したのでは…とも思います。
    また連戦連勝には幾人のヤマトタケルさまの活躍にも思えます
    そして妻子、子供の伝承、系譜はあります以上、実在された人物に思えます。
    私は実話と信じます。

    • 匿名 より:

      ヤマトタケルは日本にも英雄を❗️という思いから、実在した数人を合わせ、さらにカッコよくヘラクレスの要素を加えて創作されたように思います。
      日本書紀のヤマトタケルよりも劇画的で哀愁を漂わせてますものね。

  5. 久子 より:

    ヘラクレスとヤマトタケルの共通点なんて、考えたこともありませんでしたが、ありますねー!12の数は、興味深い。
    ギリシャ神話も読んでみたら面白いと思いました

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      ギリシャ神話との共通点は度々指摘されていますが、ヘラクレスも悲劇の英雄ですものね
      日本の神話は嫉妬するにしても景行天皇がヤマトタケルに意地悪するにしても、あまり残酷ではないのがいいですね。

  6. harusan0112 より:

    久美サン コメント
    ヤマトタケル、6人の奥さん!
    成功者あるあるですね
    昨日観てた韓国時代劇の光海君が王(父)から身代わりに戦いに行かされる境遇がヤマトタケルのようだなあと観てました。

  7. harusan0112 より:

    キヨさんコメント

    ヤマトタケル〜6人も奥さんいたのね?
    なんだ〜!熊曽征伐、出雲征伐、東征と戦続きで、只々不遇な人なんだと…笑
    子供もいっぱい作っちゃって。笑

    古事記が完成した奈良時代平城京にはペルシャ人が特別枠で任じられた役人として存在していたと言われているし、鑑真様や、大仏の開眼を行ったインドの僧とか、こちら側からも留学生を派遣したり、この時代の国際交流が盛んだったのがわかりますね。って事は、ヤハリ少なからず西洋の神話やに影響を受けたという考えは 成る程しっくりきますよね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      ペルシャ人のお役人さんがいらしたんですね?
      存じませんでした。
      東西の要となっていたところの偉いお方がいらしたのなら、ほぼ確実に西洋の書物も入って来てたでしょうね。
      少なからず
      影響を受けていたのは間違いないでしょう。

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