(119)『古事記』日本初の「連歌」と「古事記」に出てくる月経

これまでのあらすじ

東征を続けていた日本武尊が海路で走水を通ろうとすると海が荒れて進めませんでした。

すると妻の弟橘比売(オトタチバナヒメ)が自ら入水し、海神を鎮め、波は穏やかになりました。

日本武尊はさらに戦い、帰京しようとして足柄にいた時、弟橘比売を思い「あづまはや」とため息をつきます。

東国の国造任命

日本武尊一行甲斐国(山梨県)に行き酒折宮に滞在されました。

日本武尊は歌を詠みます。

日本武尊
新治、筑波を過ぎて
幾夜か寝つる

意味:新治(ニイバリ、現在の茨城県筑西市)筑波と通り過ぎて幾夜寝たことだろう
老人
かがなべて 夜には九夜(ここのよ)
日には十日を

意味:指折り数えますと 夜は九夜
日は十日でございます

お側で火を焚く老人が答えて歌いました。

このように日本武尊老人が二人で一首の和歌を詠んだという伝説があります。

これが日本最初の連歌だと言われています。

日本武尊はこの老人の機転を誉めて、東(アズマ)の国造の地位を与えました。

美夜受比売と結婚

その後日本武尊は、甲斐から信濃(長野県)を越えて信濃の坂の神を平定します。

そして尾張(愛知県)に戻り、以前結婚の約束をしていた美夜受比売(ミヤズヒメ)の元に行きました。

美夜受比売はご馳走とお酒でもてなします。

ところが美夜受比売の着物の裾に月経の血がついていました。

日本武尊
天の香具山の空を
鋭く尖った新月の鎌のような姿で渡る白鳥
その長く伸びた首のように弱くか細い
たおやかな腕を
抱きしめたい 共寝したいと思うけれど
あなたが着ておいでの羽織りの裾に
月が出てしまっているとは

と心配なさいましたが、美夜受比売

美夜受比売
日の神のご子孫
我が大君よ
新たな年が来て過ぎて行くと
新たな月は来て去って行きます
あなたを待ちきれないで
私の着ている 羽織りの裾に
月が出たのでしょうよ

(意味:太陽のようなあなたを追いかけて、月が出たのです。
だから今夜結婚しましょう)

と仰ったので二人は結婚なさいました。

古事記に出てくる月経

古事記には月経を思わせる場面が2箇所あります。

この日本武尊雄略天皇の場面です。

日本武尊の時代

日本武尊のお話しは2世紀ころなのではないかと言われています。

このエピソードでもわかるように、月経というのはケガレでも禁忌でもなく、むしろ神に巫女として仕える上での資格と考えられていました。

月経が始まると女性は特別な小屋にこもり(他の人と食事を別にとり)神を迎えました。

月経が穢れたものではなく、神に召された者として、神との交わりを持つためです。

小屋は神聖な樹木のそばに建てられました。

その樹木は多くの場合、の木でしたので小屋は「槻屋(ツキヤ)」と呼ばれていたようです。とは今ののことです。

槻の木(ケヤキ)

人々が共同体を作って力を合わせて様々な物を生産し、共有していた時代、

女性の体に流れる血(月経)はケガレどころか神への畏れと結び合った神聖な物だったのです。

雄略天皇の時代

ところが、同じ古事記でも後に出てくる第21代雄略天皇の時には月経の意味合いが変わって来ます。

雄略天皇の木の下で宴会をしていた時に、三重の采女(ウネメ)が天皇の御盃を両手で高く捧げて献上しました。

その時、の葉が御盃に入ってしまいましたが、采女には見えなかったのでそのまま献上してしまったのです。

すると、雄略天皇は怒って采女を殺そうとしました。

(後日詳しく記事にしますが、采女は殺されません)

これを読むと、

心の声
葉っぱ一枚で何故?
日本武尊は器が大きいけど、
雄略天皇は、、、ちっちゃい?

と思いませんか?

確かに雄略天皇は短気ですが、そればかりが原因ではありません。

雄略天皇5世紀半ば頃の天皇だと言われています。

の木はこの頃にはケガレた月経の象徴とされていたのです。

心の声
だったら欅の下で宴会をしなければいいのに、、、

日本武尊の時代(2世紀)から雄略天皇の時代(5世紀)の間に、大和朝廷による国土の統一がなされ、中国の封建思想の影響を受け、月経はケガレ禁忌の存在に変化したのです。

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コメント一覧
  1. 才色健躾 より:

    先日教えて頂きました”ヤマトタケルさまの連歌”のお話ですね。
    失礼ながら普通の会話の様に思えてきますね
    連歌と云えば歌の最たるものと考えておりました。
    月経に対し、時は隔てますとこれ程考え方に相違あるのですね
    人間の身体に生まれしものは全て神の創造なのですね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます
      私も普通の会話のようだとは思いましたが、酒折宮は多くの文学者が訪れたり、絵画にも描かれているので、連歌だと認められているようですね。
      和歌が須佐男、連歌はヤマトタケルで良いのでしょう。笑
      2世紀から5世紀の間に、中国の思想、さらに仏教思想が入れば、月経はケガレと解釈されるのですね。
      古事記に書かれた時代に、日本人の思想が劇的に変化しているのがわかるエピソードだと思います。

  2. さゆ より:

    神聖視されていたケヤキの木が、3世紀ほどで穢れの象徴の木になってしまうとはすごい変化ですね。中国からの仏教?の思想の影響大きいですね。今日では、穢れはなく、紅や黄色に紅葉する綺麗な、枝ぶりもいい樹木としてあちこちに植えられていますね。
    今よりも景行天皇の時代の方がオープンで女性は生きやすかったことにびっくりです。今後この時代のように心理的に抑圧されず、より住みよい快適な社会になるといいなと思います。
    世界的にも多少の差はあれ、抑圧があると思いますが、変化の兆しもあります。
    ディナ・アーシャスミスが、8月の欧州陸上選手権女子短距離100mの決勝で失速。タブー視されてきた話題にもっと資金を投入して研究されるべきと問題提起しました。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      元始、女性は太陽であった
      時代が日本にはあったのでしょう。
      コノハナサクヤは、ニニギが酷い男でも、実家で海幸彦山幸彦を立派に育てたし、
      神武天皇の息子であるタギシミミが、義理の母であるヒメタタライスケヨリヒメと結婚したのは、皇后が祭祀権を掌握していたからと言われています。(参考:記事93)
      2世紀から5世紀の間に、思想の変化、女性の地位の低下があったことがよくわかりますね。
      ディナ・アーシャスミスさんの話しは存じませんでした。調べてみましたが、イギリス人の陸上選手が、今後の女性アスリートのことを考えて発言をされたようですね。
      デリケートな問題ですが、若いアスリートの健康のためにも向き合わないといけないことですね。
      教えてくださり、ありがとうございます♪

  3. Yoshi より:

    月経・月のもののお話が古事記に出てくるのですね。これは全く存じ上げませんでした。
    月経を迎えた女性は子供を産むことが出来る年齢であるという意味もあったのかもしれません。
    神聖視されてみたり穢れと言われてみたり、生理もいろいろです。
    いずれにせよ妊娠し子供を産む女体は神秘的なものであることには変わりありません。
    欅が月経、穢れの象徴だったりもしたのですね。

    連歌をうまく読むのは古事記の時代から感心される事だったのですね。
    「機転が効く人」は「良い人材」になりうるから重宝されたのかもしれません。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      辛い妊娠期間を経て、当時は命懸けの出産をしていたのですから、神聖視されていたのもわかりますね。
      でも、男性社会の中では月経はやはり、色々な意味でケガレとされてしまうのですね。

      連歌を上手く詠んだと日本武尊に認められたのですから、元から機転が効くと認められていた方なんでしょう。

  4. ミカリン より:

    先日、妻恋神社に行きました。オトタチバナヒメがヤマトタケルの命を救う為、入水して海神をなだめ、ヤマトタケルは助かったのですよね。それなのに、そのすぐ後、尾張でミヤズヒメと結婚されたというのを知り驚きました。オトタチバナヒメが不憫です。古代、命ははかないものだったのでしょうか?

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます
      妻恋神社、行かれたんですね!
      弟橘比売は日本武尊にふさわしい姫ですが、美夜受比売もなかなか素晴らしい女性です。
      古代、命はとても儚かったですね。
      日本武尊もいつも死と隣り合わせの生活だったはずです。
      だからか、古事記に出てきていなかったけれど日本武尊は、割合各地に妻がいるのです。

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