(146)『古事記』皇后 石之日売 仁徳天皇の浮気に嫉妬し別居
御綱柏(ミツナガシワ カクレミノのこと)

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これまでのあらすじ

仁徳天皇は即位すると治水工事免税を行なったので、その時代は「聖帝の御世」と呼ばれました。

しかし一方で大の女好きな一面もありました。

大豪族のご実家(葛城家)を持つ(ワガママな)

皇后石之日売は嫉妬し、そのことで仁徳天皇は振り回されることとなります。

仁徳天皇の皇后 石之日売

摂津国名所図会 御綱柏を投げ捨てる石之日売

この事件の後に、皇后新嘗祭の酒宴をなさろうとして御綱柏(ミツナガシワ カクレミノのこと)を採りに紀伊国(和歌山県)へいらっしゃっている間に、天皇八田若郎女(ヤタノワカイラツメ)と結婚しました。

ちょうど皇后御綱柏を船にいっぱい積んで帰られるときに、

水取の役所に使われてる吉備国の児嶋郡仕丁(労働者)が国に帰る途中で、

難波の大渡(大阪湾)で皇后船に乗り遅れた女官の船にばったり会いました。

仕丁

仕丁(労働者)
天皇はこのごろ、
八田若郎女と結婚されて昼も夜もいちゃいちゃ遊んでいるそうだ。

皇后はこの事をお聞きになってないから、のんびりお出かけになっているのだろう。

と言うので

皇后船に乗り遅れた女は、すぐに皇后の船に追い近づいて、細かいとこまで仕丁の言うとおりにお伝えしました。


すると皇后はとてもお怒りになって、その船に載せてた御綱柏をすっかり海に投げ捨ててしまいました。

それで、その地を名づけて御津崎(ミツノサキ 現在の大阪市中央区心斎橋筋の岬)といいます。

🍃

そして皇后は宮にお戻りにならないで、堀江をさかのぼって淀川の川筋に従って

山城に上って歌っておっしゃいました。

石之日売
山城川を
登って 行けば
河の岸辺に 生い立つのは
(小さな花をつける)烏草樹(サシブ)の木よその木の下に 生い立つ
葉広 清らかな椿
その花のように 輝いてらっしゃる
椿の葉のように 広く大きくていらっしゃるのは
陛下でいらっしゃるわ
 
(小さな烏草樹と違って
陛下は椿のように素敵だわ)

烏草樹(サシブ)の木

そのまま山城川を曲がり、木津川奈良山の入り口に到着されて、お歌いになっておっしゃいました。

石之日売
山城川を
皇居を差し置いて登り
奈良山を過ぎ
大和を過ぎ
私が見たいのは
葛城 高宮 実家のあたり

このように(陛下は大好きだけど実家に帰るわ!)歌って、

山城に戻られてしばらく綴喜(ツヅキ)の渡来人奴理能美(ヌリノミ)という名前の方の家にお入りになりました。

椿

🍃

天皇は、皇后山城からさかのぼって行かれたとお聞きになって、

舎人で鳥山(トリヤマ)という名前の人を遣わして、歌を贈りました。

仁徳天皇(遣いの鳥山が言う)
山城で 
追いつ鳥山 
追いつけ 
追いつけ 
私の愛し妻に 

追いついたら 
会ってくれ

また、続いて丸邇(ワニ)の臣口子(クチコ)を遣わして、

仁徳天皇はお歌いになりました。

仁徳天皇(遣いの口子が言う)
御諸山(奈良県御所市三室か?)
の 
その高城にある
狩場の 大猪子の
腹にある肝
心だけでも 
思い合わずにいられないものか

また歌われて

仁徳天皇(遣いの口子の臣が言う)
山城の女が
木鍬持ち 

掘り出した大根
そのように白い腕を
交わさずに来たのなら

知らないと言っても
いいけれど

(昔は愛しあった仲じゃないか
つれなくしないでくれ)
木鍬

さて、この口子の臣がこの歌を申し上げる時に、大雨が降ってきました。

しかし口子が雨をよけずに御殿の前の戸に参り伏せたら、

皇后は後ろの戸に出られて、

口子が後ろの戸に平伏したら、

皇后は行き違いに前の戸に出ました。

そうして口子が這うようにして進んで来て、

庭の中にひざまづくと

水潦(ニハタヅミ)に腰まで浸かってしまいました。

水潦(ニハタヅミ)

口子は紅い紐をつけた青摺りの服を着ていたので、

雨水が紅い紐に触れて、青い服が全部紅い色に変わってしまいました。

紅い紐をつけた青摺りの服

というのは、当時の家臣の正装です。

🍃

ところで口子の臣の妹の口日売(クチヒメ)は皇后にお仕えしてました。

この口比売が歌います。

口日売
山城の 筒木の宮に
物申す わが兄を見ると

涙が出てしまう

これを聞いて皇后が、そのわけをお尋ねすると、口日売が答えました。

口日売
彼は私の兄の、口子の臣なのです
話を聞いてあげてくださいな。


🍃

それから、口子の臣と妹の口比売奴理能美の三人が相談して、

天皇使いを出して申し上げました。

使いの人
皇后奴理能美の所においでになった理由は、
奴理能美の飼う虫で、

いっぺんは這う虫〔幼虫〕になって、
いっぺんは殻〔繭〕になって、
もういっぺんは飛ぶ鳥〔蛾〕になる、
三色に変わる珍しい虫がいるんです。

皇后はこのをご覧になりたいと仰ってお出でになっただけです。
決して(仁徳天皇に)反逆心は持っていらっしゃいません!

この虫はだと言われています。

古代中国では、養蚕は皇后の仕事であり資格でした

このころ、その伝統が日本にも入り、現在に至ります

(話を作って仲直りさせようとした、お仕えする方たちのご苦労と忠誠心と愛を感じます。)

そのように申し上げると、天皇

仁徳天皇
そんな珍しい虫がいるのか。
私も見に行こかなあ。


と、仰いました。

🍃

仁徳天皇が宮からさかのぼって、奴理能美の家にお入りになると、

奴理能美は自分が飼っている三種の虫皇后に献上しました。

そこで天皇は、皇后のおられる御殿の戸口にお立ちになってお歌いになりました。

仁徳天皇
山城女の
木鍬持ち 打ちおこした大根
その葉が擦れ合うようにさわさわと

あなたが事だてるから
見渡すと 桑の木がたくさんの枝を立てるように
大勢でやってきたのだよ

この天皇皇后がお歌いになった六つの歌は、志都歌(シツウタ)の歌い返しと言われます。

志都歌とは

上代歌謡の名前

全体に調子を下げて歌った歌のことでしょうか。

こうして、仁徳天皇皇后(石之日売)と仲直りをされました。

はるさん的補足 苦労したのは仁徳天皇か

仁徳天皇は恋多き天皇でした。

しかし、当時の天皇なら多くの女性との結婚は当たり前

ですから「古事記」では、

仁徳天皇オッカナイ皇后のせいで苦労した(偉い)

というニュアンスで描かれています。

皇后が浮気を許してくれないので、皇后が外出している時を見計らって結婚しなければいけなかった。

・怒って実家の方に帰ってしまった皇后に使いをやっても帰って来なかった。

・「虫を見たいために石之日売山城にいるのだ」と言った使用人の作り話をウソだとわかっていながら、騙されるフリをした。

皇后のご機嫌を取るため、御自ら出向いた、、、。

古事記」では石之日売が許したように書かれていますが

日本書紀」によると、石之日売は結局山城に留まり、

山城で亡くなったようです。

最後に「万葉集最古の作者」である石之日売の歌を紹介します。

🍃かくばかり 恋ひつつあらずは 

高山の

磐根し枕(マ)きて 死なましものを🍃

現代語訳:

あなたに振り向いてもらえない、

こんな辛い運命と知っていたら

最初から山奥の冷たい岩を枕に独身でいたかった

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コメント一覧
  1. この度は切実な万葉集のひと歌にて石之日売さまの性質を伺い知れました。
    仁徳天皇の優しさも、帝としての生業の所業(多妻)も垣間見れました。
    此方の万葉集については現代語訳無しではとても分かりづらい歌でした。
    「死なましものの」とは”独身でいたかった”との事でしょうか?

    • ありがとうございます!
      万葉集の石之日売さまはいじらしい方なのですが、仁徳天皇のことが好き過ぎて、激しい行動に出てしまうこともあったのかも知れません。
      源氏物語の中の朝顔などは嫉妬するようになるのを嫌って光源氏と結婚しなかったですね。
      石之日売に選択肢があったならば、独身でいられた方が幸せだったと思っていても不思議はありません。
      しかし、石之日売は3人の天皇の母になりました。
      また、お付きの女官に慕われている様子を見ると、別居してセイセイしていたかも知れませんね。

  2. 仁と徳に溢れた天皇が色には弱かったという
    いや石之日売にとっては笑いごと、いや苦笑いですら済む話じゃ無いですけど。
    好きすぎる彼が他の女にもじゃんじゃん手を出してしまう、本当に辛いでしょうね。
    「いっそ、この出会いが無かったら良かったのに」って、好きの最上級という感じですが同時にあまりにも切ない感じもします。女性が軽んじられていた?当時からしたら「嫉妬深い奥さんで大変だ」で済まされたのでしょうが。。
    (ただ男の自分としては、奥さんの嫉妬についても分かる。「仁徳天皇さん、分かるぜー」なんて場末の立ち飲み屋でコップ酒片手に話したくなるような気もしますが((ただもう一つ言うと男の「奥さん怖い」はつまるところノロケだったりするわけですが)))

    自分にとってこの話の中では、奥さんを迎えに行かせるよう一計を案じる・調整に奔走する部下の気持ちがほんっとに良くわかる&つまされました
    時々こういう板ばさみとか胃が痛い思い・エラい目に遭わされている部下さんたちが出てきますね

    • ありがとうございます♪
      古事記での石之日売の書かれ方、
      過去にどのように読まれて来たかを見ると、本当にお気の毒なんです。
      現代女性はあなたの味方も多いですよ!
      と言って差し上げたいです。
      私も、部下たちの有能な奔走ぶりと忠誠心に心打たれました。
      部下に思われるということは、仁徳天皇も石之日売も良い方なのだろうなと思います。

  3. 終わる事なく次々と側室を作り続ける天皇にみそめられた女性は全員、ある意味災難ですね。いっときの幸福のために、ほとんどの人生の時間、哀しい思いをして生きるのは、虚しい限りです

    • ありがとうございます♪
      全くその通りです!
      あまりにも核心を突いていて、笑ってしまいました。
      石之日売の場合は息子が3人も天皇になったので、実家の葛城家は大喜びだったはず。
      石之日売がドライな女性だったら贅沢でもして楽しく過ごしていたのでしょうね。
      他の、ただ手をつけられた女性は、、、、。泣

  4. 石之日売は難波の宮から離れ、相手に嫌がらせをしたわけではないので、前回より人間的に少し大人になった気がします。
    石之日売にすれば、浮気をする仁徳天皇の方が自分を困らせているとお考えでしょう。今日では、仁徳天皇が悪いということになりそうですが、逆にわがままに耐えて偉い!になってしまうのですね。
    現代日本人や石之日売の夫婦観とこの時代の統治者や編者側から考える夫婦観との差は大きいですね。
    養蚕がこのころから皇后のお務めになり、今も続いているのに感動しました。

    • ありがとうございます♪
      言われてみれば、黒日売に対しては、より厳しかったですね。笑
      成長もしたかも知れませんが、
      ・黒日売は吉備の海部直の娘
      ・八田若郎女は応神天皇の娘
      なので、さすがに嫌がらせはしにくかったのかも知れません。

      古事記がどう読まれてきたかなのですが、「平成に出た本でも石之日売に苦労する仁徳天皇」と書かれています。
      時代を考えるとそうなのでしょうけど、気の毒ですね。

      養蚕のエピソードをここに入れ込んできた古事記の作者は素晴らしいですね!感動します。

      今も続く皇后様のお勤めは、石之日売様から始まったのですね。

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