これまでのあらすじ
日本武尊(ヤマトタケル)は父である景行天皇に命じられて、熊曽征伐と出雲征伐を成し遂げ、意気揚々と都に帰って来て天皇に報告しました。
日本武尊、東征を命じられる
「古事記」で日本武尊が東征を命じられる場面
報告を受けると、景行天皇は
とおっしゃって、吉備氏の祖である「御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)」を付き添人にして派遣しました。
景行天皇は「御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)」に柊の木で作った長鉾を授けます。
日本武尊一行は、命令に従い東国に行く途中で、天照大御神(アマテラス)を祀る伊勢神宮をお参りしました。
そして神宮の斎王をしている倭比売(ヤマトヒメ)に
西の荒々しい人どもを撃ちに私を派遣して、都に帰り参上してからそれほどの時も置かずに軍隊も下さらず、
今度は荒々しい東国を平定しにお遣わしになりました。
このことから考えてみても私を死ねと思っておいでになるのです。
と言って、思い煩い泣きながら退出しようとしました。
倭比売は草薙の剣(別名:アメノムラクモ)と袋を授けて、
と、おっしゃいました。
日本神話タロット 極参 剱ノ陸(ソード6) 「疑心」
剱ノ陸(ソード6)の意味
・正位置
問題の改善、路線変更、困難からの解放、旅行
・逆位置
行き詰まり、難問、選択の先延ばし
解説文写し
ヤマトタケルとなったオウスノミコトはどんどん功績をあげました。
西に蛮族あれば向かって征伐し、東に荒ぶる神があれば向かって討伐をしました。
父の元へ帰れば、すぐに次の任務を与えられ休む時間もなかったため、
ヤマトタケルは
「父は私を殺そうとしているのか?」
と考えるようになりました。
参考記事
はるさん的補足 日本武尊の遠征
日本武尊の西征ルート
熊曽征伐を命じられた日本武尊は、まず倭(ヤマト)から伊勢を経て瀬戸内側を通り、宮崎経由で鹿児島まで行きます。
そして熊本を通り、福岡経由で出雲に行き、日本海側を通って倭に帰ります。
日本武尊の東征ルート
倭で景行天皇に報告しますが、今度は東征を命じられたのでまた伊勢を経由して
このあと太平洋側を通って「走水の海」(神奈川県横須賀市辺りの浦賀水道)まで行ったということは「古事記」に書かれています。
そして山間部を通り、多くの敵と戦いながら倭に帰ることを目指しますが、倭に戻ることはできず力尽きてしまいます。
ですので、今回が日本武尊が景行天皇と会った最後の場面となりました。
古事記の他の記事
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)