![(164) 『古事記』 雄略天皇 葛城山の大猪・葛城山と一言主大神](https://i0.wp.com/harusantarott.com/wp-content/uploads/2022/12/2016133_s.jpg?fit=640%2C480&ssl=1)
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これまでのあらすじ
第21代 雄略天皇が即位しました。
「古事記」には多くの雄略天皇のエピソードが載っています。
これまでに
この記事でも2つのエピソードを紹介します。
葛城山の大猪
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ある時のことです。
天皇は葛城の山 (金剛山地。葛城山、金剛山を含む一帯)
の上に登りました。
すると大きな猪が出てきました。
天皇は鏑矢(カブラヤ 音で脅すための殺生能力のない矢)でその猪を射ったときに、
その猪は怒って宇多岐(ウタキ=怒って唸るという意味かと思われるが詳細は不明)してやって来ました。
天皇は怖がって
榛(ハリ=ハンノキ=カバノキ科ハンノキ属の広葉樹木。湿地にも生える)の上に登って座りました。
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そして歌います。
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我が大君の 遊ばしし
猪の 病み猪の
うたき畏み 我が逃げ登りし
あり丘の 榛の木の枝🍃
現代語訳:
我が大君が、狩りをした猪が
傷付いて病んだ猪が
怒って唸った
それが怖くて
私が逃げて登った
あの丘の榛の木の枝よ
葛城山と一言主大神 (神と会った雄略天皇)
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またある時、天皇が葛城山に登ってお行きの時に、
葛城山の向かいの山の尾根から、天皇の一行とそっくりな一行がやってきました。
人数も同じで、天皇のお供の人たちは、
赤いひものついた青い衣 (官人の正装) を着ていたのですが、
その服装もそっくりでした。
驚いた天皇は言いました。
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今、私と同じようなかっこうをして行く者たちは、
いったいどこの誰なのだ。
すると、向こうの一行からも、まったく同じような言葉が返ってきました。
その様子に天皇は腹を立てて弓をかまえ、官人たちもそれにならいます。
すると、またも相手の一行は、同じように矢をかまえてきたのです。
そこで天皇はさらに
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それぞれに名乗ってから、矢を放とう。
と、おっしゃいました。
すると相手は
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私は、どんな善事も、どんな悪事も、
一言で言い放つ、
葛城の一言主大神(ヒトコトヌシノオオカミ)
であるぞ。
と答えました。
びっくりしたのは天皇です。
すっかり恐縮して
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わが大神さまが人間のお姿をしておいでなので
気づきませんでした。
と言うと、
天皇が持っていた大刀や弓矢をはじめ、
官人たちが着ていた衣を脱がせ、
それらを一言主大神に献上しました。
一言主大神は手を叩いて喜び、供え物を受け取りました。
そして天皇の一行が帰ろうとすると、
大神は葛城山から長谷(ハツセ・奈良県桜井市 雄略天皇の宮がある所)
の山のふもとまで
お送り申し上げました。
このように一言主大神はその時に姿を現したのです。
はるさん的補足 この2つのエピソードが示す事
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葛城山の大猪とは何か
「古事記」には猪が何度か登場しています。
このように、猪は単なる獣ではなく、神の化身という存在として登場しています。
葛城山は葛城氏の本拠地ですから、葛城氏の氏神が姿を猪に変えて現れたのでしょう。
少なくとも雄略天皇がそのように解釈した可能性はあり、そのため木の上に逃げたのかもしれません。
まだ葛城氏を恐れている状態を表している様子です。
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一言主大神とは何者か
一言主大神は葛城氏の氏神そのものと考えられます。
今度は雄略天皇は一言主が神であることを認めてご自身の刀や弓矢、(付き人の) 官人たちの正装まで献上しています。
これは、雄略天皇の方から歩み寄った姿を表しているとも読めます。
しかし、その後、一言主大神が「雄略天皇を宮までお送り申し上げた」というのは、
葛城山の神であるはずの一言主が雄略天皇をお送りするために山を降りたということです。
これは葛城氏が天皇家に完全に服従する事となった様子を表すという解釈もあります。
葛城円 (カツラギノツブラ 都夫良意美) が亡くなって葛城氏の権力はほぼ無くなったと言われてはいますが、敵対するような力も完全に無くなったことを示す場面かも知れません。
古事記の他の記事
古事記の他の記事はこちらからご覧ください。
上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)