

これまでのあらすじ
清寧天皇が崩御した後、皇位継承者として
履中天皇の孫であり、市辺之忍歯王 (イチノヘノオシハ) の息子である
意祁王 (オケ) と袁祁王 (ヲケ) 兄弟 が現れます。
2人は皇位を譲り合いますが、弟の袁祁王が先に皇位に就くことになりました。

顕宗天皇
履中天皇の御子、市辺之忍歯王の御子の袁祁王こと顕宗(けんぞう)天皇は、
河内の近飛鳥宮(チカツアスカノミヤ)においでになって
8年間天下を治められました。
石木王(イワキノミコト) の娘の 難波王 (ナニワノミコ) と結婚なさいました。
御子はありませんでした。

置目老媼 (オキメノオミナ)
即位すると天皇は、雄略天皇に殺された父、市辺之忍歯王の遺骸を
捜させました。
参考記事:(159) 雄略天皇、市辺之忍歯王を殺害
すると、近江国に住む卑しい老婆があらわれて訴えました。

父君は歯の形に特徴がありましたので、
掘りおこせば、
すぐにわかりますよ。
市辺之忍歯王は特徴のある八重歯でした。
そこで民を集め、土を掘り、すぐに遺骸を見つけ出しました。
そして父が殺された蚊屋野 (カヤノ) の東の山に
立派な陵をお造りし、臣下である韓帒(カラブクロ) の子らに陵の墓守をさせました。

その後、父の遺骨を持って河内にある近飛鳥宮にお戻りになりました。
さて天皇は河内へお戻りになると、例の報告をしてきた
老女を召しだし、

それにしてもよく覚えていてくれたものだ。
父の弔いをすることができたのは、
ひとえにお前のおかげだ。
さかんに老女をねぎらい、「しっかりと見ておいた老女」という意味の
「置目老媼(オキメノオミナ)」と名付けました。
天皇は置目老媼をそのまま皇居で召し使うこととし、
宮の近くに置目老媼の家を建て、毎日呼び出しました。
釣鐘形の鈴を御殿の戸に掛けて、老女をお呼びになりたい時は、その鈴を引いてお鳴らしになりました。

そして顕宗天皇は歌をお作りになりました。

小谷 (オダテ) を過ぎて
百伝 (モモヅタ) い
鐸響 (ヌテユラ) くも
置目来らしも🍃
現代語訳:
浅茅原や谷を過ぎて
はるばると鈴の音が響いているよ
置目が来ているらしい
こうして長年にわたって、置目は天皇にお仕えしましたが、
ある時、

故郷へ下がりたく存じます。
と申しました。
そして申し出の通りに、故郷へ帰る時、
天皇はお見送りをして歌っておっしゃいました。

淡海 (オウミ) の置目
明日よりは
み山隠りて
見えずかもあらむ🍃
現代語訳:
置目や
近江の置目や
明日からは
山のむこうに隠れて
会えなくなってしまうのだな
はるさん的補足 置目老媼
置目老媼は「古事記」には「近江の卑しい老婆」と書かれていますが、
「日本書紀」では「臣下である韓帒の妹」ということになっています。
そして宮中を辞するときに天皇から日野の地を賜りました。
今でも、
滋賀県蒲生郡日野町にある馬見岡綿向神社内の森は「置目の森」と呼ばれており、
馬見岡綿向神社の末社の一つ村井御前社 に置目は祀られています。
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