これまでのあらすじ
雄略天皇には2人の皇妃がいました。
若日下部王
今回は、雄略天皇の皇后となった若日下部王(ワカクサベノミコ)に求婚しに行った時のお話しです。
若日下部王は安康天皇が 雄略天皇(大長谷王) と結婚させてあげたいと願った姫です。
仁徳天皇の御子なので当時、最も地位の高い女性でした。
しかも、若日下部王の母は応神天皇がわざわざ日向から呼び寄せた美女。
娘の若日下部王も美しかったと言われています。
しかし、若日下部王の兄の大日下王や甥の目弱王(マヨワオウ)は皇位継承のゴタゴタで殺されています。
若日下部王のお気持ちが気になる場面です。
若日下部王が日下( クサカ 現在の大阪府東大阪市日下町 生駒山の西麓 ) に住んでいらっしゃった時、
天皇は大和から日下に真っ直ぐに越えて行く道を通り、河内にいらっしゃいました。
その途中、山に登って、河内の国中を遠望なさったところ、鰹木(カツオギ) を屋根の棟に上げて造った家がありました。
国を遠望するとは
自分の支配領域を確認する政治行為です。
鰹木とは
立派な家に見られる屋根の上の横棒です。
現在でも神社などの屋根の上に見ることができます。
本来は屋根が飛ばないようにするためのものでしたが、
このころ派手になり、本数を競うこともあったようです。
天皇は
誰の家だ。
とお聞きになると、側の者が
の家でございます。
と、お答えになりました。
大県主とは村長クラスの役人です。
場所は現在の大阪府八尾市の志紀町辺りでしょうか?
すると天皇は
おのれの家を天皇の御殿に似せて造ったな!
と、おっしゃいました。
そして、人を遣わせて、志紀大県主(シキノオオアガタヌシ)の家を焼かせてしまおうとなさいました。
すると志紀大県主は恐れ驚き、頭を地面に押し付けたまま、
卑しいまま、身の程も知らずに
過ちを犯して、このような家を造ってしまいました。
どうかお許しください。
贈り物を差し上げますから。
と申しました。
志紀大県主は布を白い犬にかけ、鈴をつけて、
自分の親族の腰佩(コシハキ)という人物に犬の綱を引かせて献上しました。
(犬を気に入った)雄略天皇は、家を焼くことを取りやめるよう命じました。
🍃
雄略天皇は、目的であった若日下部王の家にお行きになり、贈り物としてもらったばかりの犬を下賜しておっしゃいます。
これを求婚の礼物としよう。
と仰せになって、若日下部王の邸宅に供の者を贈り物の犬と共に入らせました。
若日下部王は人を邸外にいらっしゃる雄略天皇の元にやって
とても畏れ多いことです。
ですので私の方から宮に参上してお仕えいたしましょう。
このように奏上(天皇に申し上げる事)し伝えました。
こうして、天皇は宮に帰り上る時に、日下の山の坂の上に登って、このように歌を詠みました。
たたみこも
平群(ヘグリ)の山の 此方此方(コチゴチ)の
山の峡(カヒ)に 立ち栄ゆる
葉広熊白檮(ハビロクマシラカシ)
本(モト)には
いくみ竹生(タケオ)ひ
末辺(スエヘ)には
たしみ竹生ひ いくみ竹
いくみは寝ず たしみ竹
たしには率寝(イネ)ず
後(ノチ)もくみ寝む
その思ひ妻 あはれ🍃
現代語訳:
日下部のこちらの山と、
大和の平群の山との、
あちこちの山々の間に、
立ち栄る葉の広い樫の木よ。
樹の根元には竹が塊って生え、
先の方には竹が重なり茂って生えている。
その塊って生える竹のようには寝ず、
また重なり茂る竹のように寝ず、
後から共に寝たいと思う愛しい妻よ。
ああ。
そして、天皇はこの歌を若日下部王の使いの者に口頭で返し遣わせました。
仁徳天皇の御子である若日下部王に
口頭で
今日は絡み合って寝ることはできないけど、
後からいっぱい共に寝ようね (私の皇后なのだから)
と、伝えさせる雄略天皇でした。
当時、一番地位の高い女性であっても、天皇の求婚をお断りすることはできなかったようですね。
はるさん的補足 稲荷山古墳 雄略天皇は「ワカタケル」か?
稲荷山古墳(イナリヤマコフン) は埼玉県行田市にある前方後円墳です。
この古墳から、1978年に鉄剣 (金錯銘鉄剣) が発見されました。
鉄剣には
「わたくしはワカタケル大王に仕え、天下を治めるのを補佐した。
そこで辛亥の年(471年)の7月に、
この素晴らしい刀剣にこれまでの輝かしい功績を刻んで記念とする」
と記されています。
その銘文から、「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」が日本列島の大部分を支配していたことが明らかになりました。
雄略天皇は「大長谷若建命 (オオハツセワカタケノミコト)」というお名前です。
もしも雄略天皇が獲加多支鹵(ワカタケル)大王なら、
地方豪族たちと、主従関係を構築していたかもしれません。
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中巻(神武天皇から応神天皇)
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