(136)『古事記』息子(仁徳天皇)に美女を譲る応神天皇  国主の歌

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これまでのあらすじ

応神天皇は即位し、政治の一環として巡行し、たくさんの子供を作ります。

「古事記」における髪長比売

応神天皇は、日向国の諸県君モロガタノキミ 宮崎県南部の豪族)の娘の髪長比売(カミナガヒメ)の容姿がとても美しいと聞き、

妻として迎えようと宮中に呼び出すことにしました。

髪長比売の生誕の地と言われる場所に建立された早水神社(この写真は みやざき観光情報「旬ナビ」さんよりお借りしました)

その時、お迎えに行った大雀命(オオサザキ 後の仁徳天皇は、髪長比売難波津(ナニワズ 現在の大阪湾)に着いたのを見て、

その美しい顔立ちに感動なさり、建内宿禰大臣にお願いしました。

大雀
日向から呼び出しになられた
髪長比売を、
私に譲ってもらうように(応神天皇に)お願いしてくれないだろうか。

建内宿禰はそのように応神天皇へ申し上げると、天皇は髪長比売大雀にお与えになりました。

大雀に授けた時の状況は次のようなものでした。

応神天皇が、新嘗祭(天皇が国家、国民の安寧と繁栄を祈りおこなう祭祀の一つ)の翌日、豊明(トヨノアカリ)の宴会の日に、

髪長比売大御酒の柏(カシの葉に盛った御酒)を持たせ、大雀命髪長比売を授けたのでした。

古代、祭祀の時に使った道具 (國學院大学博物館)

そして、応神天皇は御歌を詠みました。

🍶さぁ子供たち、野蒜(ノビル)を摘みに行こう 。

蒜を摘みに私が行く道の、香しい花橘は、

上の枝は鳥が止まって枯らし、下の枝は人が取って枯らし、

その真ん中ほどの枝は蕾がある。

その蕾のような紅顔のお嬢さんを誘うがよい。🍶

(「息子が気に入ったのなら、どうぞどうぞ与えてあげよう」という意味か?)

また、次のお歌も詠みました。

🍶水をたたえる依網池(ヨサミノイケ)にの堰杙打ち(水量調節のための杭を打つ人)が、

杭を打っているのも知らないで、

ジュンサイ採りが蓴菜に手を伸ばしているのも知らないで。

私の心こそなんと愚かなことか。

今になり悔しいばかりだ。🍶

(自分も評判の美人を心待ちにしていたのに、惜しい事をしたなあ。)

このように歌を詠み、髪長比売大雀命に授けました。

野蒜(ノビル)

髪長比売を賜った後に大雀命は歌を詠みました。

🍶遠い国の古波陀の乙女の噂は、雷が鳴り響くように聞こえてきたけれど、今や抱き合いながら一緒に寝ている🍶

(美しいと評判の乙女は自分と寝てる。、、、承諾を得る前に結婚してしまっていたということか?)

また、このように歌いました。

🍶国の果の地、古波陀の乙女は、拒むことなく一緒に寝てくれた。

とても親密な気分だ🍶

(一緒に寝てくれたことを喜ぶ歌。

応神天皇、仁徳天皇は美女に会うと、

幸せだ〜」と浮かれて歌う親子のようです。)

国主(クニス)の歌

またその時、吉野の国主は、大雀命の佩(ハ)いている御刀を見このように歌いました。

🍶応神天皇の御子、大雀が佩いている大刀は、根元が剣で、先が増えている。

まるで冬木の灌木のようにさやさやと鳴っているようだ🍶

(刀を持つ大雀が力強いことを賛美しているのか?不明な歌です。)

また、国主達吉野の樫の林の辺りで樫の木で横広の臼を掘って作り

御酒を献上する時、口鼓を打って、このように歌いました。

🍶樫の生えている所で、横臼を作り、その臼で造った大御酒。

おいしく飲んでください、我が父上🍶

(吉野の国主達大雀に対して尊敬と親しみを持っていることがわかります。)

この歌は、吉野の国主達大贄(オオニエ 朝廷に献上するその地の産物)を献上する時に詠む歌で、声を長く引き調子をつけて歌う歌です。

はるさん的補足 大雀(後の仁徳天皇)の台頭

髪長比売との結婚」も「国主の歌」もほのぼのとしたエピソードに見えますが、

大雀の台頭を象徴する場面でもあります。

髪長比売との結婚が意味すること

髪長比売日向国のご出身です。

日向国天孫降臨が行われた場所です。

ですから、日向国の姫との結婚天神との正当な繋がりを得たことを意味します。

狩野探幽画 「天孫降臨」

また、大雀髪長比売との結婚の許しを建内宿禰大臣を通してお願いしました。

建内宿禰大臣は政治の中枢を担っていた人物です。

そして、大雀の皇后は建内宿禰大臣の孫にあたる、

(「古事記」一番の恐妻) 石之日売(イワノヒメ)

大雀建内宿禰大臣に「お願い」することによって、建内宿禰大臣を味方につけたと言われています。

(髪長比売は皇后ではありませんが、生まれた娘が雄略天皇と結婚するなど、重要な活躍をします。)

国主の歌が意味すること

吉野大山守(オオヤマモリ)が管轄をしていた主要な地域でした。

その吉野の国主たちが大雀に産物を献上したということは、

大雀大山守の主要な管轄地を取り上げたことを意味します。

こうして大雀は次期天皇の座を掴む地固めをしていったのです。

恐らく応神天皇はお気づきになってらっしゃいませんね。

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コメント一覧
  1. Yoshi より:

    またしても「一眼で心を奪われるほどの美女」が登場したのですね。今回は景行天皇と大碓命のようにはならなくて良かった応神天皇も息子のためにすごく優しいです。というか教訓から応神天皇が自制したりしたのでしょうか。(父だろうと子だろうと、美女を巡ったらライバル同士・取り合いになっちゃいそうですが)
    髪長比売は髪が長かった?(美しく長い髪というのも美人の条件でしたね。)
    一目惚れで浮き足立っているようにも見えますが、同時に日向の国・天神との繋がり等まで意識していたのだとすれば、大雀は相当の切れ者ですね

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      応神天皇は景行天皇とは違う、器の大きさを見せましたね!
      しかし、仁徳天皇が一枚上手なのだとわからせるエピソードなのでしょう。
      髪が長くて綺麗な女性に関しては世界の神話や童話に登場しますね。
      一眼で心を奪うには、必要なアイテムなのではないでしょうか。笑
      姫の背景(家柄)まで十分理解した上での一目惚れなのだと思います。

  2. 才色健躾 より:

    応神天皇当たりよりお歌の掛け合いを多分に見受けられます。
    こに時代の歌は和歌で云います連歌の様なものですね
    然りながら大雀はしたたかなご性格ですね
    天皇を前にしても建内宿禰さまを前にしても心に一物を抱き相対するとは…
    さすがに巨大な大仙古墳を造営させるお方ですね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      ヤマトタケル以降、しばらくは連歌のようなもののようですね
      仁徳天皇はなさりたかった政治があったのでしょうか。
      天皇という地位への執念は一番ですね。
      天皇としては素晴らしいのだと思いますが、古事記では昼メロのようにドロドロした話が多いのです。泣
      古事記きっての知性派、建内宿禰も懐柔されたのか、お孫さんの旦那さんとして密かに応援していたのかもしれませんね。

  3. ミカリン より:

    女性を装飾品のように扱っていたので、呼び寄せた美女を息子に譲ったのでしょうか?財力と権力ある男性に気に入られたとしても、いろいろ大変な時代ですね

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      日向の姫さまですから、身分が低いわけではないのでしょうけれど、応神天皇は10人も妻がいらっしゃるし、可愛い息子の頼みだし、、、まっいいか。
      っていう感じではないでしょうか。
      仁徳天皇は(人たらし的な)可愛がられる性格の方だと思うので、応神天皇も許してしまったのでしょうね。
      いずれにしても、女性が弱い時代ですね。

    • さゆ より:

      遠いところなのに伝わってくるとはすごい評判!
      天皇に呼び出されて、宮崎から大阪までの旅は、さぞや時間と労力が掛かったことでしょうね。名誉なことなので出来たのでしょうね。
      大雀命は、いつのまにか吉野で尊敬される統治責任者になっていたのですね。
      髪長比売のことは、天皇も、孫が皇后になっている建内宿禰大臣も認めたので、誰からも怒りを買うことがなかったのですね。
      作戦とお人柄が良かったからでしょうね。

      • harusan0112 より:

        ありがとうございます
        髪長比売さまはコノハナサクヤさまと並んで古事記における伝説的な美女です。
        はるばるやってきて天皇と結婚すると思いきや、大雀と結婚。
        でも、仁徳天皇も人たらしだったように思うのと、生まれた子供達も幸せになったので、髪長比売にとって不幸ではなかったのだろうと思います。

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