(96)『古事記』欠史8代③  8代孝元・9代開化天皇 建内宿禰登場
建内宿禰を祀る氣比神宮(福井県)(写真:友人提供)

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これまでのあらすじ

欠史8代と呼ばれる天皇のうち、第7代孝霊天皇までの説明が終わりました。

孝霊天皇の御子「オオヤマトネコヒコクニクルノミコト」が第8代孝元天皇となります。

欠史8代とは

第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までについては「古事記」「日本書紀」双方ともに詳しい記述がありません。

実在が疑問視される天皇なので「欠史8代」と呼ばれます。第10代以降の天皇については崩御された年の干支が記されていますが、

欠史8代と呼ばれる天皇に関しては記されていないのが特徴の一つです。

「古事記」における欠史8代(8〜9代)

第8代 孝元天皇

オオヤマトネコヒコクニクルノミコト(孝元天皇)」は軽の堺原宮(カルノサカイハラノミヤ)で天下を治めました。

孝元天皇穂積臣(ホズミオミ)の祖先である「ウツシコオノミコト(内色許男命)」の妹「ウツシコメノミコト(内色許売命)」と結婚。

・「オオビコ(大毗古命)
・「スクナヒコナタケイゴコロ(少名日子建猪心命)
・「ワカヤマトネコヒコオオビビ(若倭根子日子大毗々命)
の3人の御子をもうけました。

ワカヤマトネコヒコオオビビ」が第9代「開化天皇」となります。

また、「ウツシコオノミコト」の娘「イカガシコメ(伊迦賀色許売命)」と結婚し

ヒコフツオシノマコト(比古布都押信命)」が生まれます。

そして河内の青玉(アオタマ)の娘「ハニヤスビメ(波迩夜須毗売)」と結婚して

タケハニヤスビコ(建波迩夜須毗古命)」が生まれました。

孝元天皇の御子は5人です。

オオビコ」の子「タケヌナカワワケ(建沼河別命)」は阿倍臣の祖先です。

もう1人の子は膳臣(カシワデノオミ)の祖先です。

ヒコフツオシノマコト」は「ヤマシタノカゲヒメ(山下影日売)」と結婚し、生まれた子供が「タケウチノスクネ(建内宿袮)」です。

神功皇后と建内宿禰

宿祢とは貴人を親しみ敬って言う敬称です。

タケウチノスクネ」には蘇我臣桜井臣などの祖先である「イシカワスクネ(石河宿袮)」など9人の子供がいます。詳しくは系譜をご覧ください。

孝元天皇の御寿命は57歳で、御陵は剣の池の中の岡のほとりにあります。

開化天皇

ワカヤマトネコヒコオオダビビ(開化天皇)」は春日の伊那河宮(イザカワノミヤ)で天下を治めました。

開化天皇旦波(タンパ)の大県主である「ユゴリ(由碁理)」の娘「タケノヒメ(竹野比売)」と結婚して

ヒコユムスミ(比古由牟須美命)」が生まれます。

また、孝元天皇の妻でもあった「イカガシコメ(伊迦賀色許売命)」と結婚して

・「ミマキイリヒコイニエ(御真木入日子印恵命)」と
・「ミマツヒメ(御真津比売命)
の2人が生まれます。

ミマキイリヒコイニエ」が後の第10代崇神天皇です。

そして「オケツヒメ(意祁都比売)」と結婚し、「ヒコイマスノミコ(日子坐王)」が生まれます。

最後に葛城の「ワシヒメ(わし比売)」と結婚し

タケトヨハヅラワケノミコ(建豊波豆羅和気王)」が生まれました。

開化天皇には男王4人、女王1人、合計5人の御子がいます。

ヒコユムスミ」には

・「オオツツキタリネ(大筒木垂根王)
・「サヌキタリネ(讃岐垂根王)」という2人の息子がおり、彼らには5人の娘がいます。

ヒコイマスノミコ」は山代の「エナツヒメ(荏名津比売)」と結婚し、

・「オオマタノミコ(大俣王)
・「オマタノミコ(小俣王)
・「シブミノスクネ(志夫美宿袮)」が生まれます。

オオマタノミコ」には

・「アケタツノミコ(曙立王)
・「ウナカミノミコ(菟上王)」の2人の御子が生まれます。

アケタツノミコ」は伊勢の品遅部君(ホンジべノキミ)などの祖先です。

ウナカミノミコ」は比売陀君(ヒメダノキミ)の祖先です。

オマタノミコ」は当麻(タギマ)の勾君(マガリキミ)の祖先です。

シブミノスクネ」は佐々君の祖先になります。

ヒコイマスノミコ」が次に結婚したのは

沙本(サホ)の「オオクラミトメ(大闇見刀売)」です。

そして

・「サホビコ(沙本毗古王)
・「オザホノミコ(袁耶本王)
・「サホビメ(沙本毗売)
・「ムロビコ(室毗古命)
の4人が生まれました。

サホビコ」は日下部連、甲斐国の国造の祖先です。

オザホノミコ」は葛野別(カズノワケ)などの祖先、

ムロビコ」は若狭の耳別(ミミノワケ)の祖先になります。

そして「サホビメ」は後の第11代天皇である垂仁天皇になります。

そして「ヒコイマスノミコ」は丹波の神職の娘「ミズヨリヒメ(水依比売)」とも結婚してます。

子供は

丹波の「ヒコタタスミチノウシノミコ(比古多々須美知能宇斯王)
・「ミズノホノマワカヒコ(水之穂真若王)
・「カンオオネ(神大根王)

・「ミズホノイホヨリヒメ(水穂五百依比売)
・「ミイツヒメ(御井津比売)
の5人。

また母の妹「オケツヒメ(袁祁津比売命)」とも結婚して、

山代の「オオツツキのマワカノミコ(大筒木の真若王)
・「ヒコオスノミコ(比古意須王)
・「イリネノミコ(伊理泥王)
の3人の御子が生まれました。

ヒコイマスノミコ」の子供は11人です。

開化天皇の御寿命は63歳、御陵は伊那河(イザカワ)の坂のほとりにあります。

建内宿袮とは

お札にも採用されていました

欠史8代に出てくる数百人の中で、ひときわ輝くのが「建内宿禰(タケウチノスクネ)」でしょう。

戦前生まれの方なら、1円札や5円札に使われていた方としてお馴染みですね。

建内宿禰に関してはこれから沢山出てきますが、景行成務仲哀応神仁徳天皇(第12代から第16代の5人の天皇)に仕えた伝説的な人物です。

生年、歿年ともに不明ですが300歳前後まで生きたとされ福井県敦賀市にある気比神宮などで祀られています。

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