

これまでのあらすじ
第11代垂仁天皇が即位しました。
サホビコの反乱

垂仁天皇には7人の妻がいましたが、とりわけ「サホビメ(沙本毗売)」を愛していたといわれています。
「サホビメ」には「サホビコ(沙本毗古)」という母親も同じ兄がいました。
この時代、兄弟であっても母親が違えば結婚は許されたのですが、母親が同じ場合は許されませんでした。
「古事記」における「サホビコ」の反乱
「サホビメ」が垂仁天皇と結婚する時、「サホビコ」が

と聞くと、

と答えたので

天皇が寝ている間に刺し殺せ。
と言って「サホビメ」に小刀を渡しました。
そんなことを知らない垂仁天皇は「サホビメ」の膝枕で寝てしまいます。
「サホビメ」は天皇の首を3度も刺そうとしましたが悲しくなって刺せず、天皇の顔の上に涙を落としてしまいました。
天皇は目を覚まし

それに、錦色の蛇が私の首に巻き付いた。
と言いました。
「サホビメ」から謀反のことを打ち明けられた天皇は軍を率いて「サホビコ」の征伐に向かいました。

「サホビコ」は砦を築いて天皇軍を迎えます。
兄を想う気持ちを抑えられない「サホビメ」は宮殿(師木玉垣宮)を抜け出し「サホビコ」が立て篭もる砦の中に入りましたが、その時「サホビメ」は妊娠していました。

と思いながら砦を囲みました。
そのため攻めあぐねてしまいます。
そんな中、「サホビメ」が出産しました。


と言い、腕力のある兵士を選び

と、命じました。
それを察した「サホビメ」は掴まれそうな髪を切りカツラを被りました。また、首飾りの紐や衣を腐らせて、すぐにちぎれるようにしました。
そして御子と共に外に出ると兵たちは御子と「サホビメ」を奪おうとしましたが、「サホビメ」のことは捕まえることができませんでした。

この子にはなんと名付けようか。




(次の皇后は誰にすればいいか。)

その姉妹をそばにお迎えください。
垂仁天皇は会話を長引かせて、「サホビメ」が出てくるのを待ち、なんとか命を助けたかったのではないかと言われています。
しかし「サホビメ」の決意は固く、奪還に失敗します。
天皇はやむなく「サホビコ」の砦に火を放ち、「サホビメ」は兄と共に亡くなりました。
垂仁天皇は「ホムチワケ」を大切に養育することにしました。
(次回は「ホムチワケ」のお話しです。)

はるさん的補足 后が権力を持っていた当時の結婚
この物語は優しい垂仁天皇と情熱家の「サホビコ」の間でゆれる「サホビメ」の慈愛に満ちた、「古事記」の中で最も悲しい物語だと言われています。
この物語から、当時の母親の権力を窺い知ることができます。
まず、命名権、養育権は母親に。
そして后を退く時に、後任を推薦する権利も持っていました。
これは妻問婚が背景にあると考えられ、嫁ぎ先よりも実家との結びつきが強かったことが読み取れます。
(複数の)妻の家を訪れるだけで定住しない夫は、子供に対する責任もなく、責任は母親側が持っていたようです。
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