(92)『古事記』神武天皇の皇后選び・綏靖天皇誕生・タタラ製鉄
三輪山(奈良県)

これまでのあらすじ

神武天皇は敵対する者たちを長い戦いの末に討ち果たしました。

そして橿原で即位し、初代天皇となりました。

「神武天皇」の皇后選び

「古事記」におけるこの場面

「神武天皇」は日向(宮崎県)にいた時に、阿多の「アヒラヒメ(阿比良比売)」と結婚し、

タギシミミ(多芸志美美命)」と「キスミミ(岐須美美命)」という2人の子供がいました。

阿多は鹿児島県に今も残る地名です

阿多は「ニニギ(邇邇芸)」と「コノハナサクヤヒメ(木花佐久夜毘売)」が出会った辺りです。

コノハナサクヤヒメ」は別名「カムアタツヒメ(神阿多都比売)」ですので親戚筋かもしれません。

しかし、正式な皇后となる乙女を見つけたいと思いました。

するとお供の「オオクメ(大久米命)」が

オオクメ
この地に、神の御子と言われる乙女がいます。
名前は「ヒメタタライスケヨリヒメ(比売多々良伊須気余理比売)」といいます。
神の御子と言われる理由は、出生に理由があります。
「ヒメタタライスケヨリヒメ」が生まれる前、摂津の三島に「セヤダタラヒメ(勢夜陀多良比売)」という美しい乙女がいました。
この乙女を三輪山の大物主神が一目見て気に入り、乙女が大便をする時に、丹塗りの矢に化て便所の溝の上から流れ下り、乙女の陰部に突き刺しました。
乙女は驚いて走り回りましたが、その矢を持ち帰って、床の辺りに置きました。
すると、矢はたちまち美男子に変身し、2人は結婚しました。
そして出来た子が「ヒメタタライスケヨリヒメ」なので、神の御子と呼ばれるのです。

と教えました。

本居宣長は「オオクメ」は「目がクルっとしていた」からこのような名前なのだろうと解説しています。(否定する学者多数。泣)

後日、7人の乙女が歩いていて、その中に「ヒメタタライスケヨリヒメ」がいました。

神武天皇」はその中から「ヒメタタライスケヨリヒメ」を選びました。

ヒメタタライスケヨリヒメ」も

イスケヨリヒメ
お仕え致します。

と申し上げました。

ヒメタタライスケヨリヒメ」の家が狭井川(サイガワ)のほとりにあったので「神武天皇」は家に行かれて一晩泊まりました。

その川を狭井川という訳はその川辺に山百合がたくさん咲いているからです。

山百合は元の名を佐韋(サイ)といいます。

そうして、後に「ヒコヤイ(日子八井命)」「カムヤイミミ(神八井耳命)」「カムヌナカワミミ(神沼河耳命)」の3人の御子が生まれました。

カムヌナカワミミ(神沼河耳命)」は後に第二代綏靖(スイゼイ)天皇になります。

大神神社内にある狭井神社

この結婚が意味すること

高天原系と出雲系が統合されました

ヒメタタライスケヨリヒメ」の父「オオモノヌシ(大物主神)」は葦原中国を平定し、国譲りをした「オオクニヌシ(大国主命)」の分身、または同一視される神です。

オオクニヌシ」は「スサノオ(須佐男命)」の6代目の子孫なので、「神武天皇」と「ヒメタタライスケヨリヒメ」の結婚により高天原系出雲系に分かれていた神の系譜が一つに統合されたことになります。

はるさん的補足 タタラ製鉄

和鋼博物館さんのhpよりお借りしました

ヒメタタライスケヨリヒメ」の名前の中に「タタラ」とありますね。

タタラとは、製鉄の時に何人かが足で踏んで空気を送る、大型のふいごのことです。

タタラ製鉄は日本古来の製鉄方法で、粘土でできた炉で、木炭を燃料として砂鉄を精錬します。

日本刀の素材である玉鋼もこの方法で作られたそうです。

ヒメタタライスケヨリヒメ」の名前に「タタラ」という言葉が入っていることは、ヒメの出身氏族が製鉄と深い関係にあったことを物語ると言われています。

天地開闢からここまでの記事

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コメント一覧
  1. 才色健躾 より:

    神武天皇はヒメタタライスケヨリヒメを選ばれた理由は製鉄製造技術取得を目論んでいたからでしょうか
    高天原系と出雲系のM&A(合併、吸収)ですね。
    メタタライスケヨリヒメの生まれました経緯に些か残念ではあります
    やはり神様は人間ではありませんね。

    • harusan0112 より:

      神武天皇も偉くなると、良いところのお嬢様を嫁にもらって製鉄技術も目論んだのでしょうね。
      子供が生まれれば、母方で育てる時代ですから、ご家庭は大切でしょう。
      合併,吸収は上流階級の方々のご結婚にはよくあることですよね。
      そこに愛はあるんかい?
      っていうのが大切ですが、3人も子を成したので、あるということに。笑
      大神神社はとても素敵な所でしたが、このエピソードを思い出しちゃうんですよね。笑

  2. 久子 より:

    上記お二人のコメがわかりやすくて面白いです!

  3. harusan0112 より:

    キヨさんコメント

    いやいやいや…
    大物主さんとセヤダタラヒメさん、普通に、巡り会い結婚しました。ではダメだったのですかねー?
    何故にこの様なお話になったのかな?
    お手洗いが家の中に無かった時代、美しく若い娘が1人にならざるを得ない状況。
    これは犯罪ですよーっ
    神様って、色々やらかすね
    ダメージをそれほど受けていないのは、その時代ならではのあるある話なのね。

    妻問婚の時代は女性も結構奔放に恋愛を楽しんでいたらしいしね。
    実家の後ろ盾とか、手に職を持って商売してたとか、自立してたのよね。女性も

    • harusan0112 より:

      普通に結婚するより神秘性を持たせたのではないでしょうか。
      下品ですが、変身の術があったから神だという証明というか、、、。
      でも酷い犯罪です!
      これはいけません!
      でもセヤダララ様も、矢を持ち帰って床の近くに置いたというのも変ですけどね!
      この後も、夜這いされて妊娠したけど、相手がわからないなんてお話しが出てくるから、奔放というか諦めていたのでしょうね。
      頑丈な鍵もないでしょうし、、、。

  4. さゆ より:

    ニニギはアマテラスとスサノオの孫ですが、ニニギで高天原系と出雲系が、一つになったとは言えず、ニニギはやはり高天原系なんですね。
    スサノオの6代下の大国主(大物主)は、出雲で育ち、出雲に御殿を建ててもらいそこに住んだので異論なく出雲系ですね。

    出雲では、タタラ製鉄がいまでも紡がれているので、ヒメタタライスケヨリヒメの母のセヤダタラヒメは出雲出身の豪族の娘かと思いましたが、摂津の三島。今の大阪府にあたるここ周辺でも製鉄が盛んだったのでしょうね。

    正式な皇后さまになるのにアヒラヒメよりヒメタタライスケヨリヒメの方が良かったわけは、製鉄の技術取得の他に、大和の強い豪族を支配下におきやすくするためと、祖先に神がいたためもあるかしら?

    • harusan0112 より:

      ニニギはウケイ(血の繋がりはない)によって天照大御神の子として生まれたアメノオシホミミの息子。
      なので、スサノオの孫という扱いはしないんです。
      大国主命は出雲系です。
      個人的な見解ですが出雲系と高天原系を統合したと言いたいために、大物主神と大国主命を同一視したのではないかと思ってます。
      大国主命のようなモテる男が矢に化ける必要はないと思いませんか?
      先妻のアヒラヒメは宮崎に置いてきたでしょうから、随分会っていないのかもしれないですね。
      古事記や日本書紀に書かれている年齢を鵜呑みにすれば、神武天皇が宮崎を出発したのは45歳で平定に16年かかってます。
      ですから即位したのが61歳くらい?
      アヒラヒメのことは記述がありませんが、かなり高齢ではないでしょうか。
      成功した暁には若くて綺麗な豪族と神の娘と結婚したいものでしょう。
      大久米命がたき付けますし、、。笑

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