(95)『古事記』欠史8代②5代孝昭・6代孝安・7代孝霊 豪族たちの氏祖
大神神社からの風景

これまでのあらすじ

前回は第4代の懿徳(イトク)天皇まで終わりました。

懿徳天皇の長男「ミマツヒコカエシネ(御真津日子訶恵志泥命)」が後継者となります。

欠史8代とは

第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までについては「古事記」「日本書紀」双方ともに詳しい記述がありません。

実在が疑問視される天皇なので「欠史8代」と呼ばれます。

第10代以降の天皇については崩御された年の干支が記されていますが、欠史8代と呼ばれる天皇に関しては記されていないのが特徴の一つです。

「古事記」における欠史8代(5〜7代)

4代〜7代までの系譜

第5代 孝昭天皇

ミマツヒコカエシネ(孝昭天皇)」は葛城の掖上宮(ワキガミのミヤ)で天下を治めました。

そして尾張連(オワリノムラジ)の祖先である「オキツヨソ(奥津余曽)」の妹の「ヨソタホビメ(余曽多本毘売)」と結婚し、

アメオシタラシヒコノミコト(天押帯日子命)」と「オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト(大倭帯日子国押人命)」の2人の御子が生まれます。

オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト(孝安天皇)」が天下を治めることになります。

兄の「アメオシタラシヒコノミコト」は

春日臣・大宅臣(オオヤケオミ)・粟田臣・小野臣・柿本臣・壱比韋臣(イチヒイノオミ)・大坂臣・阿那臣・多紀臣・羽栗臣・知多臣・牟耶臣(ムギノオミ)・都怒山臣(ツノヤマノオミ)・伊勢の飯高君・壱師君・近江の国造の祖先です。

孝昭天皇の御寿命は93歳、御陵は掖上の博多山のほとりにあります。

孝昭天皇掖上博多山上陵

第6代 孝安天皇

オオヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト(孝安天皇)」は葛城の秋津島宮で天下を治めました。

姪の「オシカヒメ(忍鹿比売命)」と結婚し、

オオキビのモロススミノミコト(大吉備の諸進命)」と「オオヤマトネコヒコフトニノミコト(大倭根子日子賦斗迩命)」という2人の御子が生まれます。

オオヤマトネコヒコフトニノミコト(孝霊天皇)」が天下を治めることになります。

孝安天皇の御寿命は123歳、御陵は玉手岡のほとりにあります。

孝安天皇玉手丘上陵

第7代 孝霊天皇

オオヤマトネコヒコフトニノミコト(孝霊天皇)」は黒田盧戸宮(クロダノイホトのミヤ)で天下を治めました。

・そして大目(オオメ)の娘「ホソヒメ(細比売命)」と結婚して

オオヤマトネコヒコクニクルノミコト(大倭根子日子国玖琉命)」(後の第8代孝元天皇)が生まれます。

・次に春日の「チヂハヤマワカヒメ(千々速真若比売)」と結婚して「チヂハヤヒメ(千々速比売)」が生まれました。

・また「オオヤマトクニアレヒメ(意富夜麻登玖迩阿礼比売命)」と結婚し、

ヤマトトモモソビメ(夜麻登登母母曽毗売命)」「ヒコサシカタワケ(日子刺肩別命)」「オオキビツヒコ(大吉備津日子命)」「ヤマトトビハヤワカヒメ(倭飛羽矢若屋比売)」の4人の子が生まれました。

ヤマトトモモソビメ(夜麻登登母母曽毗売命)」の墓「大市墓」卑弥呼の墓とも言われる前方後円墳

・そして「オオヤマトクニアレヒメ」の妹「ハエイロド(蝿伊呂ド)」(ドは木へんに予)とも結婚し、

ヒコサメマ(日子寤間命)」と「ワカヒコタケキビツヒコ(若日子建吉備津日子命)」の2人が生まれました。

孝霊天皇の子供は男王5人、女王3人、計8人です。

オオキビツヒコ(大吉備津日子命)」と「ワカヒコタケキビツヒコ(若日子建吉備津日子命)」は2人で播磨国氷河(ヒカワ)に張り出された丘の先を吉備国への入り口にして吉備国を平定しました。

オオキビツヒコ」は吉備の上道臣(カミツミチノオミ)の祖先です。

ワカヒコタケキビツヒコ」は吉備の下道臣(シモツミチノオミ)・笠臣(カサオミ)の祖先です。

ヒコサメマ」は播磨の牛鹿臣(ウシカノオミ)の祖先です。

ヒコサシカタワケ」は

高志(コシ)の利波臣(トナミオミ)豊国(大分県)の国前臣(クニサキオミ)・五百原君(イオハラノキミ)・角鹿(ツヌカ)(福井県敦賀市)の海直(アマノアタイ)の祖先です。

孝霊天皇の御寿命は106歳、御陵は片岡の馬坂のほとりにあります。

(孝霊天皇陵は行けませんでした。)

はるさん的補足 豪族の氏祖注釈

掖上古墳

欠史8代の箇所で注目されるのは、膨大な数の有力氏族の名前が天皇の系譜に位置付けられて記述されていることです。

春日・柿本・吉備・国前など、朝廷で権勢を振るう豪族たちを、即位しなかった御子から枝分かれする形で記しています。

各豪族にとって王家との結びつきや関係の深さは重要なことです。それが政権内で発揮できる力の淵源になるからです。

これまで天孫降臨の随行や神武天皇の東征に登場させることができなかった有力な豪族を、欠史8代の文中に一括して載せたのではないかとも思われます。

ただ、欠史8代自体の存在が疑問視されていますので、豪族の出自も勿論そのまま信じるわけにはいかないでしょう。

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