これまでのあらすじ
実在した可能性が高いと言われる第10代崇神天皇が即位しました。
「古事記」における、崇神天皇と疫病
初代神武天皇が娶った皇后「ヒメタタライスケヨリヒメ(比売多々良伊須気余理比売)」は
美和(三輪)の神である大物主神と美しい乙女「セヤダタラヒメ(勢夜陀多良比売)」の娘でした。
(参照:神武天皇の皇后選び)
第10代崇神天皇の御世、人民が死に絶えるほどの疫病が起こりました。
天皇は憂い嘆き、カムドコ(神床)で寝ていると、大物主神が夢に現れました。
カムドコとは忌み慎み、神託を夢でみるために寝る床です。
「オオタタネコ(意富多々泥古)」に私の魂を祀らせれば、神の祟りも起きず、国も安らかに治まるでしょう。
そこで、早馬の使いを四方に放ち「オオタタネコ」を探しました。
ほどなく使者は河内(カワチ)の美努村(ミノムラ)で「オオタタネコ」を見つけ、崇神天皇に差し出しました。
河内の美努村は現在の大阪府八尾市上之島町付近です。
大和川流域にあり、川を遡ると三輪山のふもとに辿り着きます。
「イクタマヨリビメ(活玉依毘売)」を妻としてもうけた
「クシミカタ(櫛御方)」の子
「イイカタスミ(飯肩巣見)」の子
「タケミカツ(建甕遺)」の子です。
私が「オオタタネコ」です。
この「タケミカツ」は国譲りで活躍した「タケミカヅチ」とは違う神です。
これを聞いた崇神天皇は喜び
と言い「オオタタネコ」を神主にして御諸山(ミモロヤマ・三輪山のこと)に大物主神の魂を祀らせました。
そして(母の弟の)「イカガシコオ(伊迦賀色許男)」に命じて祭りで使う多数の甕(カメ)を作り、天神地祇(アマツカミクニツカミ)が鎮まる社を定めて祀らせました。
また、宇陀墨坂神(ウダスミサカノカミ)に赤色の楯と矛を祀り、大坂神(オオサカノカミ)に黒色の楯と矛を祀って、坂の神、河川の神に至るまで全てに供え物を献上しました。
これにより、疫病はことごとく止み、国家は平安になりました。
奈良県宇陀市榛原区と奈良県香芝市逢坂に楯と矛を祀ることで、都への疫病を防ぎました。
赤と黒は邪気を払うとされます。陰陽道の影響があったと考えられます。
大物主神を祀ることの意味
疫病は神の祟りとされていました。
祭祀をおろそかにしていたことを神がお怒りになったという解釈です。
崇神天皇の夢に大物主神が現れ「オオタタネコ」に祀らせたことは、大和で政権を握った天皇家が大和の祭祀を掌握したことを示します。
さらに「イカガシコオ」に神祭りの物を供えさせたことで、古墳時代の最大といわれる豪族の統一をし、祭政一致の政策だったことがわかります。
はるさん的補足 大物主神の変遷
「大物主神」とはどんな神なのでしょうか。
「オオモノ」というのは偉大なる霊力を表すので、強靭な呪力を司る神でしょう。
もともと大物主神は自然界を支配する大和土着の神だったと考えられています。
「古事記」で最初に登場するのは、少彦名命(スクナヒコナ)が去ってしまって悲しんでいた大国主命(オオクニヌシ)に
「私を御諸山にしっかり祀りなさい」というくだりです。
その後、神武天皇の皇后選びの場面で神武天皇の妻の父であると記される(天皇家と密接な関係である)一方、
今回は国中に疫病を蔓延させたとも書かれています。
よほどきちんと祀ってもらわないと悪さをしてしまうのでしょうね。
しかし「オオタタネコ」に祀らせたことで大和土着の神から、王権の守護神に変遷をしたと考えられます。
古事記の他の記事
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)