古事記における景行天皇
古事記に景行天皇が登場した場面をまとめてみましょう。
❶ご自分が結婚したかった姫と息子である大碓命(オオウス)が結婚してしまい、気まずくなって食事に出てこない大碓命を日本武尊(この時は小碓命)に「ねぎつる」ように命令。
誤解から日本武尊が大碓命を殺害。
❷兄殺しをしたヤマトタケルを恐れ、僅かな従者と共に熊曽征伐に行かせる。
❸熊曽、出雲征伐を終えた日本武尊に東征を命じる。
❹日本武尊の死を従者が早馬で天皇に報告
参考:(121)日本武尊の崩御
日本神話タロット「景行天皇」
剱ノ王(ソードのキング)
・正位置
権威、権力、柔軟な知性、自律心、交渉力、創造性
・逆位置
残忍、冷酷、不確定な未来、悪意
解説文写し
景行天皇は兄弟をも臆することなく殺してしまうことができてしまうヤマトタケルを恐怖に感じていました。
圧倒的な力を持ちこのままでは自分の地位や権力を脅かす存在になると懸念したため、ヤマトタケルに遠征の最中にできることなら死んで欲しいと、数多の試練を与えました。
参考記事
はるさん的補足 草薙の剣の奉納地
日本書紀では日本武尊は兄殺しをしておらず、景行天皇とも仲の良い親子だったことを(112)(123)の記事で補足しました。
日本書紀によると、熊曽は最初に景行天皇が征伐したものであり、
東征して亡くなった日本武尊の死を悲しみ、10年後に日本武尊が遠征した諸国を巡幸したと書かれています。
草薙の剣の奉納は熱田神宮か
草薙の剣(別名:アメノムラクモ)の奉納について
(124)美夜受比売(ミヤズヒメ)の記事では、熱田神宮建立について書かれた「尾張国熱田太神宮縁起」を紹介しました。
それによると、美夜受比売が草薙の剣の奉納場所を探し、熱田神宮を創建したことになっていました。
草薙神社か
一方、静岡県にある草薙神社の社伝では日本武尊の死を偲んで巡幸をした景行天皇がご神体として草薙の剣を奉納したことになっています。
草薙の剣はその後686年に天武天皇の勅命で熱田神宮に移されたとされています。
今回で景行天皇と日本武尊の章は終わります。
系譜にも矛盾がありますし、
複数の人を合わせて一人にしている説や、
そもそも実在したかについても論議がある方々ですが、
古代日本の最大のヒーローとして各地で愛されていることは間違いありませんね。
古事記の他の記事
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
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