(125)『古事記』日本神話タロット剱ノ王 「景行天皇」と草薙神社
剱ノ王(ソードのキング) 景行天皇

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古事記における景行天皇

古事記景行天皇が登場した場面をまとめてみましょう。

❶ご自分が結婚したかった姫と息子である大碓命(オオウス)が結婚してしまい、気まずくなって食事に出てこない大碓命日本武尊(この時は小碓命)に「ねぎつる」ように命令。

誤解から日本武尊大碓命を殺害。

参考:(110)オオウスノミコト

❷兄殺しをしたヤマトタケルを恐れ、僅かな従者と共に熊曽征伐に行かせる。

参考:(111)日本武尊、父に恐れられる

熊曽出雲征伐を終えた日本武尊東征を命じる。

参考:(115)日本武尊、東征を命じられる

日本武尊の死を従者が早馬で天皇に報告

参考:(121)日本武尊の崩御

日本神話タロット「景行天皇」

景行天皇が創建したと言われる草薙神社(静岡県)

剱ノ王(ソードのキング)

正位置

権威、権力、柔軟な知性、自律心、交渉力、創造性

逆位置

残忍、冷酷、不確定な未来、悪意

解説文写し

景行天皇は兄弟をも臆することなく殺してしまうことができてしまうヤマトタケルを恐怖に感じていました。

圧倒的な力を持ちこのままでは自分の地位や権力を脅かす存在になると懸念したため、ヤマトタケルに遠征の最中にできることなら死んで欲しいと、数多の試練を与えました。

参考記事

日本神話タロット「極参」

はるさん的補足 草薙の剣の奉納地

日本書紀では日本武尊は兄殺しをしておらず、景行天皇とも仲の良い親子だったことを(112)(123)の記事で補足しました。

日本書紀によると、熊曽は最初に景行天皇が征伐したものであり、

東征して亡くなった日本武尊の死を悲しみ、10年後に日本武尊が遠征した諸国を巡幸したと書かれています。

草薙の剣の奉納は熱田神宮か

熱田神宮

草薙の剣(別名:アメノムラクモ)の奉納について

(124)美夜受比売(ミヤズヒメ)の記事では、熱田神宮建立について書かれた「尾張国熱田太神宮縁起」を紹介しました。

それによると、美夜受比売草薙の剣の奉納場所を探し、熱田神宮を創建したことになっていました。

草薙神社か

草薙神社

一方、静岡県にある草薙神社社伝では日本武尊の死を偲んで巡幸をした景行天皇がご神体として草薙の剣を奉納したことになっています。

草薙の剣はその後686年に天武天皇の勅命で熱田神宮に移されたとされています。

今回で景行天皇日本武尊の章は終わります。

系譜にも矛盾がありますし、

複数の人を合わせて一人にしている説や、

そもそも実在したかについても論議がある方々ですが、

古代日本の最大のヒーローとして各地で愛されていることは間違いありませんね。

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コメント一覧
  1. この度は総復習となりあらためて親子関係、ヤマトタケルさまの武勇伝承、記紀の相違を学びました。
    毎回、謂れの地や陵墓、各神社のお写真を拝見し赴く機会をつくり伺えればと思う次第です。
    これからもはるさんのお話に耳を傾け学習しようと心得ます。

    • ありがとうございます♪
      ヤマトタケルや景行天皇の描かれ方はそれぞれですが、この時代に東征が進んだのでしょうね。
      ゆかりの地がお近くで羨ましいです!
      これからもよろしくお願いします。

  2. 日本書紀では、景行天皇は子への愛情があり、統治者らしく征伐に出掛け、利己的な印象がなくなり良かったです。
    草薙の剣は686年以降はミヤズヒメが奉納したにしても、景行天皇が奉納したにしても熱田神宮に奉られているのですね。景行天皇はどうやって剣を手に入れたのでしょう?ミヤズヒメの所に行って剣を受け取ったのか?と、いろいろと考えさせられます。
    古事記と日本書紀の記述が大きく違っている部分があることがよくわかりました。ありがとうございます。

    • ありがとうございます♪
      古事記のヤマトタケルは天皇になれずに亡くなってしまったことをドラマチックに書きたかったのだろうと思っています。
      ヘラクレスの描かれ方にも影響を受けていると思いますし。
      いずれにしても熱田神宮に奉納されましたが、
      むしろ
      スサノオ→天照大御神→邇邇芸→神武天皇→倭比売が伊勢神宮に奉納
      した神剣(草薙の剣)を尾張国造の家に置いておくということは考えにくく、ミヤズヒメにヤマトタケルの死を伝えるタイミングで取り上げたのではないでしょうか。

  3. 記紀によってずいぶん違うのですね。日本書紀は日本の正史なので、景行天皇を粉飾して書かれているのでしょうか?一度、本物の草薙の剣見てみたいものです

    • ありがとうございます
      古事記の景行天皇はあまりにも酷いですから、海外向けにはできないと判断して日本書紀は直したのかもしれませんね。
      古事記は古事記でドラマチックに書いているようにも思えますが。
      天皇さえも見ることができない草薙の剣、本当にどんな物なんでしょうね。

  4. そして,というかついに!というかの景行天皇,ですね
    ここまでいろいろ読ませていただいてきて,自分としてはやっぱり「(;^ω^)」←こんな感じの印象になってしまいましたが(汗)
    剣の世界の王様・剣のキング!了解です。ある意味ひとすじ縄では行かない「剣のカード」の世界を締めくくるにはふさわしい人物だと言えそうです。
    熱田さんで剣を護るミヤズヒメさんの剣の女王もなのですが,本当にこのヤマモトナオキさんによる日本神話カードは,よく出来ていますね!

    ところでこちらの碑にある漢字「佩用」・・・「はんよう」ではなくて「はいよう」なのでは?と(^^;
    知らない字が気になったので手書きIMEパッドで調べたのですが,そこから行ったらこんな感じでした。(はんよう,では出てきませんでした)

    はい‐よう【×佩用】 の解説
    [名](スル)からだにつけて用いること。「勲章を―する」

    • ありがとうございます♪
      景行天皇は、良い人では無さそうですね。
      当時の天皇の権限を考慮するとどうなのか、よくわからないのですが。
      私も佩用はハイヨウの間違いだと思います。
      ヤマモトナオキさんの解説やカードの選び方には唸らされました。
      でもこのカードで最後なのです。泣
      絵もウェイト版を踏襲しつつ、神秘性を加え、とても品があって綺麗で大好きだったので、残念です。
      いつか、仲哀天皇や仁徳天皇や雄略天皇も描いてくださると良いですね!

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