(123)『古事記』日本神話タロット剱ノ士(ソードのナイト)日本武尊系譜
剱ノ士 (ソードのナイト) 「ヤマトタケル」

今回は前回(122)に引き続き、ヤマトタケルの系譜の読み解きをします。

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これまでのあらすじ

景行天皇の御子として生まれた日本武尊(ヤマトタケル)残酷な殺し方で殺したことから、父親に疎んじられてしまいます。

そのため熊曽征伐出雲征伐東征にわずかな兵と共に行かされました。

伯母の倭比売から頂いた草薙の剣(別名:アメノムラクモ)と共に戦い、妻の弟橘比売(オトタチバナヒメ)の助けもあり連戦連勝。

東征の帰りには美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚。

油断からか美夜受比売のところに草薙の剣を置いて伊吹山の神を征伐しに出かけましたが

大きな雹を降らされ病気になってしまいます。

それでも懸命に都を目指しますが、とうとう亡くなり、白い鳥となって飛び立ちました。

「古事記」におけるヤマトタケルの系譜②

古事記」におけるヤマトタケルの系譜には大きな矛盾点があります。

それはヤマトタケルが複数の英雄を一人にまとめたからだという説や、単なる書き間違えだという説があります。

系譜の下の方で景行天皇がヤマトタケルの子孫と結婚?

矛盾点も含めて「古事記」に書かれているヤマトタケルの系譜を紹介します。
妻子の紹介までは(122)をご覧ください。

帯中津日子(タラシナカツヒコ)第14代仲哀天皇となり天下を統治なさいます。

稲依別王(イナヨリワケノミコ)犬上君(イヌガミノキミ)建部君(タケベのキミ)の祖先です。

建貝児王(タケカイコノミコ)讃岐綾君(アヤキミ)伊勢別登袁別(トオノワケ)麻佐首(マサノオビト)宮首別(ミヤジノワケ)らの祖先です。

足鏡別王(アシカガミワケノミコ)は、鎌倉別小津の石代別(イワシロノワケ)漁田別(イザリタノワケ)の祖先です。

息長田別王(オキナガタワケノミコ)の子は杙俣長日子王(クイマタナガヒコノミコ)

杙俣長日子王の子は、飯野の真黒比売(マグロヒメ)息長真若中比売(オキナガマワカナカツヒメ)弟比売(オトヒメ)の3人。

若建王(ワカタケノミコ)飯野の真黒比売(マグロヒメ)と結婚して

(ヤマトタケルひ孫が結婚するということです)

生んだ子は、須売伊呂大中比子王(スメイロオオナカツヒコノミコ)

・須売伊呂大中比子王(スメイロオオナカツヒコノミコ)近江柴野入杵(シバノイリキ)の娘の柴野比売と結婚して生んだ子は、迦具漏比売(カグロヒメ)

・そして景行天皇迦具漏比売(カグロヒメ)と結婚してお生みになった御子は大江王(オオエノミコ)

・大江王(オオエノミコ)が異母妹の銀王(シロガネノミコ)と結婚して生んだ子は、大名方王(オオナガタノミコ)大中比売(オオナカツヒメ)の2人。

・大中比売(オオナカツヒメ)香坂王(カゴサカノミコ)忍熊王(オシクマノミコ)の母です。

香坂王(カゴサカノミコ)忍熊王(オシクマノミコ)は第14代仲哀天皇の章では、

仲哀天皇大中比売の子供として登場し第15代応神天皇と対立します。

景行天皇の御寿命は137歳。

御陵は山の辺の道のほとり(奈良県天理市渋谷町向山)にあります。

景行天皇陵(写真:友人提供)

日本神話タロット 極参 剱ノ士(ソードのナイト)「ヤマトタケル」

剱ノ士(ソードのナイト)の意味

正位置

正義感、先駆的、有望、無鉄砲、率直

逆位置

集中力の欠如、立ち往生、辛辣な発言、好戦的

解説文写し

ヤマトタケルは馬を駆り立て進んで行きます。

ヤマトタケルの猛進は留まるところを知らず、西へ東へ奔走しました。

彼は立ち止まってはいけないと思っているため、休むことをしません。

そのため、疲れからくる集中力の欠如などが心を蝕みました。

参考記事

日本神話タロット「極参」

はるさん的補足 日本書紀における東征

景行天皇の「日本書紀」における記述は「古事記」と全く違います。

熊曽征伐も「日本書紀」では最初に景行天皇が行なったと、(112)の補足で説明しました。

東征についても、「日本書紀」は違います。

日本書紀」では、最初に東征を命じられたのはヤマトタケルではなく、兄の大碓命(オオウスノミコト)でした。

ところが、大碓命蝦夷と戦うことに怯えて逃亡してしまったのです。

そこで、ヤマトタケル東征をすることになりました。

つまり「日本書紀」でヤマトタケルは兄を殺してないのです。

日本書紀」では景行天皇ヤマトタケルの仲も良好で、景行天皇ヤマトタケルの死をとても悲しみ、10年後にはヤマトタケルが遠征した諸国を巡幸して偲んだことになっています。

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中巻(神武天皇から応神天皇)

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コメント一覧
  1. 才色健躾 より:

    日本書紀は古事記を改ざんされたのでしょうか
    余りにも景行天皇を尊いお方に奉られていらっしゃるような…
    ヤマトタケルさまは複数人の英雄でいらっしゃるならば複数の妻子も納得できますね。

    • harusan0112 より:

      日本書紀は海外の人に読まれることを前提に書かれているので、天皇に関しては人格者として描かないといけないと思ったのでしょうね。
      ヤマトタケルは複数とはいえ、それほど多くない人数なのではないかと思っています。
      垂仁天皇の娘と結婚しているし、その奥さんとの子は仲哀天皇なのですから、景行天皇以外からは大切に扱われていたのでしょうね。

  2. Yoshi より:

    ノートのページいっぱいの系譜!!
    どこから書き出して、どういう具合・どういう形に展開していくか、そのレイアウトを考えるだけでも大変でしょうに。
    もちろん下書きもされているのでしょうね、というかまずは資料から系譜を拾い上げてのメモ書きをされているのでしょうけれど、これだけ綺麗に清書をされるだけでも本当に大変な事だと思います。
    本当にお疲れさまです。

    日本書紀とで本当に扱い・描写が違うんですねー。お兄さんを殺していなかったり、景行天皇とヤマトタケルの仲が良好なのは良いな、と(^^)

    日本神話タロットだと剣のナイトまでがヤマトタケル譚なのでしょうか。剣のナイトの逆位置(暴走・若さ故の自己過信、自暴自棄)で最期が締め括られたように思いました。

    あと景行天皇陵って天理にあるんですね!石上さん⛩や三輪さん⛰もほど近いですし、秋の大和路をドライブするというのもとても素敵そうです

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      系譜は毎回苦労していますが、ヤマトタケルは妻一人に対して子が一人ですし、そんなに大変な方ではないんです。
      漢字も漢字変換ですぐに出てくる漢字ばかりでした。
      日本書紀だと、あちこち行かされるものの幸せな家族です。
      でも古事記のヤマトタケルの方がより英雄に思えます。
      英雄的にするには、父に疎まれるくらいのドラマチックな演出が必要なのかもしれないですね。
      日本神話タロットはこのカードまでがヤマトタケル
      クイーンがミヤズヒメ
      キングが景行天皇です。
      このカードは締めくくりにふさわしいですね。
      秋の大和路、いいですね!
      あまりにもショボいので記事に載せませんでしたが、御所市富田に琴弾原白鳥陵もあります。

  3. さゆ より:

    馬に乗ったヤマトタケル素敵です。
    複雑な系譜がすっきりした図になっています。大変だったでしょうね。
    景行天皇は御長命ですね。景行天皇もヤマトタケルのように複数の天皇を集めた可能性があるかもしれないですね。
    景行天皇陵の辺りは景色がよくて散策に良さそう。
    白鳥陵は、三度羽を休めたから奈良県と大阪府と三重県の3ヶ所にあるようです。全部立派だといいけど、そうはいかないのでしょうね。
    古事記と日本書紀の相違点の説明よくわかりました。ありがとうございます。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      ヤマモトナオキさんのイラスト、素敵ですよね。
      景行天皇陵は私は行けなかったのですが、古墳時代の天皇なので立派ですね。
      ヤマトタケルは天皇になっていないので、宮内庁の管轄でないと、一気に寂しい物になるんだと思いました。

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