これまでのあらすじ
実在した最初の天皇と言われる崇神天皇は疫病を退散させ、祭祀も掌握し、地方豪族も平定、徴税も始めました。
垂仁天皇の后妃と皇子女
今回から垂仁天皇の回が始まります。
まずはご家族の紹介です。
第11代垂仁天皇は師木の玉垣宮で天下を治めました。
垂仁天皇が「サホビコ(沙本毗古命)」の妹の「サホビメ(沙本毗売)」結婚して、
生まれた御子は「ホムツワケ(品牟都和気命)」(後日、詳しく別記事にします)お1人です。
丹波の「ヒコタタスミチノウシ(比古多々須美知宇斯王)」の娘「ヒバスヒメ(氷羽州比売命)」と結婚してお生まれになったのは
・「イニシキノイリヒコ(印色之入日子命)」
知沼池、狭山池、日下(クサカ)の高津池を作る。太刀一千振を作らせ石上(イソノカミ)神宮に奉納。河上部(カワカミベ)を定めた。
・「オオタラシヒコオシロワケ(大帯日子淤斯呂和気命)」 のちの景行天皇
・「オオナカツヒコ(大中津日子命)」
山辺別・三枝別・稲木別・阿太(アダ)別・尾張国の三野別・飛鳥君・牟礼別 などの祖先
・「ヤマトヒメ(倭比売命)」
「アマテラス(天照大御神)」を祀る場所を探し行脚し、伊勢に祀る (参照 : (68) 天孫降臨①)
・「ワカキイリヒコ(若木入日子命)」
の5人です。
「ヒバスヒメ」の妹である「ヌバタノイリビメ(沼羽田之入毗売命)」と結婚して
・「ヌタラシワケ(沼帯別命)」
・「イガタラシヒコ(伊賀帯日子命)」
のお2人が生まれます。
また、その妹「アザミノイリビメ(阿耶美伊理毗売命)」と結婚して
・「イコバヤワケ(伊許婆夜和気命)」
沙本の「穴太部別(アナホベノワケ)」の祖
・「アザミツヒメ(阿耶美都比売命)」
(その後「イナセビコ(稲瀬毗古命)」と結婚)
のお2人が生まれました。
また、「オオツツキタリネ(大筒木垂根王)」の娘「カグヤヒメ(迦具夜比売命)」と結婚し、子供は
・「オナベ(袁那弁王)」
お1人。
また、山城の「オオクニノフチ(大国之淵)」の娘の「カリハタトベ(苅羽田刀弁)」と結婚して
・「オチワケノミコ(落別王)」
小目(オメ)の山君・三川の衣君の祖先
・「イカタラシヒコミコ(五十日帯日子王)」
春日の山君・高志(コシ)の池君・春日部君の祖先
・「イトシワケ(伊登志別王)」
伊登志部を定めた
の3人の子をもうけました。
そして「カリハタトベ(苅羽田刀弁)」の妹「オトカリタハトベ(弟苅羽田刀弁)」とも結婚し
・「イワツクワケ(石衝別王)」
羽咋君(ハクイノキミ)・三尾君の祖先
・「フタジノイリビメ(布多遅能伊理毗売命)」
「ヤマトタケル(倭建命)」と結婚
の2人の子をもうけました。
以上、7人の后妃と16人の御子がいらっしゃいます。
はるさん的補足 かぐや姫のモデル
后妃のお一人「カグヤヒメ(迦具夜比売)」は「竹取物語」の「かぐや姫」のモデルだと言われています。
「古事記」のl「カグヤヒメ」が「竹取物語」の「かぐや姫」のモデルではないかと言われるのは、お名前が同じだからだけではありません。
「カグヤヒメ」の父親は「オオツツキタリネ(大筒木垂根王)」、その祖母が「タケノヒメ(竹野比売)」というお名前です。
「竹野比売」には竹の字が付きます。
また、父の「大筒木垂根王」の名前の「大筒木」が筒状の竹を思い起こさせます。
「垂根」は竹の品種の一つで、枝が垂れて地面に接地することで根に変化する特徴を持っています。
さらに「オオツツキタリネ(大筒木垂根王)」は竹細工技術や月信仰を所有した山城国を指すお名前なのです。
もちろん「古事記」に出てくる「カグヤヒメ」は垂仁天皇との間に子供を産んでいる人物であって、「竹取物語」の「かぐや姫」とは違います。
「竹取物語」は平安時代の初期頃書かれたと言われているので、「古事記」の「カグヤヒメ」の時代とはかなり異なります。
でもきっと、創作意欲を掻き立てるような、伝説的美女だったのでしょうね。
垂仁天皇の妃「カグヤヒメ」の里だと言われている所は日本各地にありますが、岩波・新潮・講談社の『竹取物語注釈書』では奈良県葛城郡広陵町という説を採用しています。
行って来ましたのでこちらをご覧ください。
古事記の他の記事
古事記の他の記事はこちらからご覧ください。
上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)