![(117)『古事記』日本神話タロット剱ノ8 焼津神社に行って来ました](https://i0.wp.com/harusantarott.com/wp-content/uploads/2022/08/41F5FC74-2A34-4E71-A939-F86D0D60252F-scaled.jpeg?fit=2560%2C1738&ssl=1)
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これまでのあらすじ
景行天皇に東征を命じられた日本武尊(ヤマトタケル)は、山河の荒々しい神や服従しない者どもを言葉で手懐けます。
しかし相模国で国造に、沼に強暴な神がいるから見て欲しいと嘘をつかれました。
「古事記」における「日本武尊、火からの脱出」
強暴な神をご覧になろうとして、日本武尊が野に入ると、その国造が火を放ちました。
日本武尊は騙されたことに気づきます。
そこで倭比売(ヤマトヒメ)にいただいた袋の口をほどいて中を見ると火打ち石が入っていました。
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まず草薙の剣(別名:アメノムラクモ)で草を刈り払い、その火打ち石を使って火を打ち出して、向かい火をつけて燃え来る火を焼き退け、
野の中から脱出して戻り、その国造らを切り殺し、火をつけて焼いてしまいました。
それで、今でもそこを焼遣(やきつ)といいます。
焼遣とは、現在の静岡県焼津市焼津だと思われますが、焼津は相模国ではないので、疑問は残ります。
日本神話タロット 極参 剱ノ捌 (ソード8) 「草薙剣」
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剱ノ捌 (ソード8)の意味
・正位置
失意、孤立、四面楚歌、苦難
・逆位置
希望、妨害の収束、冤罪を晴らす
解説文写し
荒ぶる神の征伐と欺かれたヤマトタケルは、自分を疎ましく思っていた者達から火攻めにあい、窮地に立たされました。
ヤマトヒメに手渡されていたアメノムラクモ(別名:草薙の剣)を振るうと、たちまち火は草を薙ぎ払うかの如く消えていきました。
さらにヤマトタケルは、自分を欺いた者たちを斬り殺し、持っていた火打石で火をつけ焼きました。
参考記事
はるさん的補足 焼津に行ってきました
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日本武尊はこの時期に日本各地を平定した何人かを1人に集約した存在だと言われています。
兄や熊曽建や出雲建を残忍な殺し方で征伐した日本武尊と違い、東征では言葉で説得する人物として描かれています。
しかし、焼津では騙された挙句、命を狙われましたので厳しく処罰しました。
焼津神社
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静岡県焼津市は静岡市に程近い、温暖な気候で富士山もよく見える素晴らしい町でした。
焼津神社は主祭神を日本武尊とする1600年以上も前に創建された神社です。
西暦409年に日本武尊の勇気と優しさを称え、焼津の守神としてお祀りしたのが始まりだと言われています。
市杵島姫命社
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境内には宗像三神の1人、市寸島比売(イチキシマヒメ)も祀られています。
日本武尊が持っていた火打ち石を納め、市寸島比売をお祀りしたという言い伝えもあり、本殿よりも古い歴史があるという説もあります。
現在の本殿は家康が創建
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現在の本殿は1603年に徳川家康が建てたものです。
家康は焼津の浜から出航し、久能山で鷹狩りにいそしんだそうです。
家康は神社に社領を寄進し、以後歴代の将軍からこの社領を保証する朱印状が発せられています。
焼津といえば漁港
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焼津といえば、海の幸が盛りだくさんですね!
今回は小川港魚河岸食堂さんの上海鮮丼をいただきました。
マグロはもちろん、生シラスもびっくりする位美味しくて、ますます焼津ファンになりました。
戦い続きだった日本武尊が、せめて美味しい物を召し上がってくれていたらいいですね。
古事記の他の記事
古事記の他の記事はこちらからご覧ください。
上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)