これまでのあらすじ
応神天皇が崩御されました。
次の仁徳天皇の記に入る前に関連する2つの物語が挿入されています。
1つ目は
応神天皇の母である神功皇后の祖先、天之日矛( 新羅の国王の子でした) が妻を追って渡来したお話しです。
その時、天之日矛は8つの神宝を持って来ました。
それらは、八座の大神となって伊豆志(イズシ)にある出石神社に奉納されました。
2つ目はその神社の娘に関するお話しです。
「古事記」における秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫
この伊豆志の神には娘がいました。
娘の名前は伊豆志袁登売神(イズシオトメノカミ)といいました。
多くの神々はこの伊豆志袁登売神を妻にしようと思っていましたが、誰も結婚できませんでした。
そこにニ柱の神がいました。
兄の秋山之下氷壮夫(アキヤマノシタヒヲトコ)と
弟の春山之霞壮夫(ハルヤマノカスミヲトコ)
です。
下氷(シタヒ)とは
赤く色づくことです。
(「万葉集」には「秋山の下へる妹」の例があります。)
秋の自然を表す名前です。
兄が
お前はこの乙女を手に入れられるか。
と聞くと、弟は
と答えました。すると兄は言いました。
私は上下の服を脱ぎ、
身の丈を量りその丈と同じ大きさの甕(カメ)に酒を醸し、
また山や川の産物をことごとく用意してやろう。
どうだ私とカケをしよう
そこで、弟の春山之霞壮夫は、兄の秋山之下氷壮夫が言ったことを詳細に母に伝えると、
母は藤葛(フジカズラ:藤のつる)を取り、
一晩で衣と褌(ふんどし)、襪(シトウズ:足袋)、沓(クツ:履物)を織り縫い、また弓矢を作り、
それらを春山之霞壮夫に身に着けさせ、伊豆志袁登売神の家に向かわせました。
すると、衣服や弓矢はことごとく藤の花になったのです。
そして、春山之霞壮夫は弓矢(藤の花)を乙女の家の厠に立て掛けました。
伊豆志袁登売神は、その藤の花を不思議に思い持ち帰り家に入ろうとした時、春山之霞壮夫はそのすぐ後ろに立ち着けて家の中へと入り、まぐわい(性行為)をしました。
そして、伊豆志袁登売神は一柱の子を生みました。
こうして春山之霞壮夫は、兄に、
と言いました。
しかし、兄は弟が伊豆志袁登売神を娶ったことを憎らしく思い、カケの物を払いませんでした。
春山之霞壮夫はそのことに嘆いて母に言うと、母は、
(カケをしたなら払うべきよ。)
それなのに兄が物を償わないのは現世の人間の世に染まってしまったからなのか。
と言い、秋山之下氷壮夫を恨みました。
そして、伊豆志河(いずしがわ)の中州の一節竹(ひとよだけ:ひと節の竹)を取り、編み目の粗い竹籠を作り、川の石を取り塩と混ぜ合わせ、その竹の葉に包んで、こう呪いました。
またこの潮の満ち引きのように、兄の体も乾いてしまえ。
またこの石が沈むように沈み倒れてしまえ。
そして、それを竈(かまど)の上に置きました。
この呪いによって兄の秋山之下氷壮夫は、8年の間、生気を失い、やせ細り病んでしまいました。
苦しみ果て、兄は泣きながら母に許しを請うと、
母はすぐにその呪物を取り除き、無かったことにしてやりました。
こうして秋山之下氷壮夫の体は元の通りになり、平安が戻りました。
これが「神うれづく」と言う言葉の語源です。
神うれづくの意味は不明です。
当時流行った言葉でしょうか?
はるさん的補足 この物語が応神天皇記の最後に置かれている理由
もうすぐ「古事記」の中巻が終わります。
何故この物語が中巻の最後、応神天皇記の末尾におかれているのでしょうか。
「上巻」の最後と対応させたという説
「上巻」の最後(の方)は「海幸彦、山幸彦」の物語でした。
兄の海幸彦の釣り針を山幸彦がなくしてしまい、
山幸彦が謝ったにも関わらず海幸彦が許さなかった。
山幸彦はワタツミの神のアドバイスに従って兄に呪いをかける。
兄は貧しくなって、弟に謝罪。
許して仲良くなる(主従関係が明白になる)という流れに似ています。
嫌がる海幸彦に頼み込んで釣り針を借りて失くしてしまった山幸彦と同様に、
春山之霞壮夫にも責められる要素
(合意の上での結婚ではなく、母親を巻き込んでのただのヨバイ?)があり、
兄に同情の余地を残している所も似ています。
ですから、中巻の最後にこのお話しを挿入したのではないかという説があります。
春秋の対比をしたという説
この後の仁徳天皇に繋がる場面なので、
春秋の対比から四時(シジ :春夏秋冬)運行を司る天皇の治世と関わりを持たせたという説。
また、約束の履行という面から天皇の御代の規範を示したという説もあります。
古事記の記事
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)
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