(141)『古事記』応神天皇のもう一つの系譜 応神天皇の御陵について
応神天皇陵 (日本一の体積を誇ります 大阪府)

中巻の最後に

古事記」の中巻がいよいよ終わります。

中巻は神武天皇から始まり、欠史8代など神話性があるものの、神の世から人の世になりました。

皇族が生まれ、地方の豪族と時に協力し、時に敵対しながら、(日本武尊などの活躍もあり)

日本を少しずつ平定してきました。

中巻は応神天皇までです。(仁徳天皇から推古天皇までが下巻です。)

中巻の最後は応神天皇の(傍系の)系譜です。

応神天皇には多くの子がいましたが、大雀命(仁徳天皇)が次期天皇となります。

この記事の若沼毛ニ俣王の系譜は、一旦天皇家の直系から外れるのですが、後に第26代継体天皇が誕生し、現在の皇室まで繋がる大切な系譜です。

応神天皇の系譜は既に(133)の箇所にありましたが「古事記」の中巻の最後に再び応神天皇の系譜が出てきます。

載せ忘れた人の追加のように見せて、(133)の系譜と別にすることで若沼毛ニ俣王の系譜が一番大切な系譜であることを強調しているように思えます。

「古事記」における応神天皇の系譜

若沼毛二俣王

応神天皇の御子の若沼毛ニ俣王(ワカヌケノフタマタノミコ)

その母の妹である百師木伊呂辨(モモシキイロベ)、別名弟日賣眞若比売(オトヒメマワカヒメ)と結婚して生まれた子は

意富富杼王(オオホドノミコ)

次に忍坂之大中津比売(オシサカノオオナカツヒメ)

次に田井之中比売(タイノナカツヒメ)

次に田宮之中比売(タミヤノナカツヒメ)

次に藤原之琴節郎女(フジワラノコトフシノイラツメ)

次に取売王(トリメノミコ)

次に沙袮王(サネノミコ)の7人。

意富富杼王(オオホドノオウ)三国君(ミクニノキミ)、波多君(ハタノキミ)、息長の坂君(オキナガのサカキミ)らの祖先です。

根取王

根取王(ネトリノミコ 133の系譜では根鳥王)

異母妹の三原郎女(ミハラノイラツメ 133の系譜の三野郎女か?)

と結婚して生んだ子は、

中日子王(ナカツヒコノミコ)

次に伊和島王(イワジマノミコ)の2人。

堅石王

堅石王(カタシワノミコ 131の系譜の迦多遅王と同一人物か)の子は、久奴王(クヌノミコ)である。

根取王堅石王の系譜に関しては若沼毛ニ俣王の系譜を入れたついでに入れたものかもしれません。

この応神天皇の御寿命は130歳です。

甲午(キノエウマ)の年(西暦394年)の9月9日に崩御されました。

御陵は河内の恵賀(エガ)の裳伏岡(モフシノオカ 現在の大阪府羽曳野市誉田)にあります。

はるさん的補足 応神天皇陵

体積日本一「誉田御廟山古墳」

応神天皇陵とされる古墳は、別名「誉田御廟(コンダゴビョウ)山古墳」といいます。

巨大古墳として有名な仁徳天皇陵に次ぐ広さですが、

墳丘を盛る時に使用した土の体積誉田御廟山古墳が一番です。

「誉田御廟山古墳」は応神天皇陵か

誉田御廟山古墳

・古くから「応神天皇陵だ」と言われてきたこと
・「古事記」や「日本書紀」や10世紀に書かれた「延喜式」の記述を元に

幕末から明治にかけて応神天皇陵であると指定されました。

しかし、出土された埴輪などから、造営されたのは5世紀ころだとわかり、

古事記」に書かれた応神天皇が崩御された年(394年)と年代が合いません。

天皇陵は宮内庁の指定となっており、

中に入って学術調査をすることが禁止されているので

謎のままになっています。

世界文化遺産に登録される

応神天皇陵といわれる誉田御廟山古墳を含む古市古墳群

仁徳天皇陵といわれる大仙陵古墳を含む百舌鳥古墳群

2019年に世界文化遺産に登録されました。

天地開闢からここまでの記事

ここまでの記事はこちらからご覧

上巻中巻

にほんブログ村

コメント一覧
  1. 才色健躾 より:

    応神天皇の偉大さ?を知らしめる中巻でしたね。
    死没年齢、系譜に関しては信憑性に欠くものの古事記に重大に記されている以上、立派な帝と思われます。
    冒頭の「もう一つの系譜」小説として発刊適いそうな表題です。
    記し忘れは行為的な感じもしますね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      応神天皇の時代には渡来人も多く、学問や思想も発達しました。
      海外からの人を受け入れて、学ばせてもらうというのは、人格が大らかで賢い人物でないとできないことではないかと思います。
      突然?継体天皇が出てくるに当たって継体天皇に繋がる系譜は大切ですね。
      仁徳天皇とは別の系譜を載せる必要があったのだと思っております。

      • ミカリン より:

        応神天皇の寿命が130歳である事、古墳の造られた年代と崩御した年代と合わない点等、古事記は天皇家に有利なように創作されているのでしょうね。でも、系図が正確に残されているというのは、凄い事です

        • harusan0112 より:

          ありがとうございます♪
          私も
          古事記は天皇家に有利に書かれていると思います。
          元明天皇に献上されたのですから、多分に忖度があったことと思います。
          古墳に関しては謎を解きたいので
          発掘調査をして欲しい気持ちもありますが、わからないロマンもありますね。
          系譜をここに持って来るとは、編纂者さんやるなぁって感じです。

  2. Yoshi より:

    若沼毛ニ俣王(ワカヌケノフタマタノミコ)は、応神天皇のたくさんいる御子の中の(ノーマークな感じの)お一人だった、というところでしょうか。
    でも後には返り咲いた〜現代までつながることとなったわけですね。
    現代(というか少なくとも記紀が編纂された時)まで繋がっていたからこそ、中巻の最後で再び取り上げられた、触れられた、と。

    応神天皇の陵も東大阪にあるんですね。仁徳天皇陵もですけど、一度行ってみようかしらんと思いました。
    あと何なら比賣許曾神社さんにも

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      お母様に関する記述はお母さんの父の名前が書かれているだけ。
      謎なのです。
      エピソードがもりこまれてもいいのに、それもないのです。
      中巻の最後という目立つところに入れ込んだのは意図的でしょう。笑
      古市古墳群行きたいです!

  3. さゆ より:

    日本各地に天皇の力が及ぶようにするのは並大抵のことではなかったでしょうね。多くの戦、話し合いで支配下に収めていったのですね。
    息長真若中比売、若沼二俣王は、現在の皇室まで繋がるのですね。母親の息長真若中比売はどんなお方だったのでしょう。
    異母兄弟、甥・叔母婚など、全部表記すると、非常に複雑な系譜になりそう!部分的に取り上げた系譜で、悩まないで読み進められました。
    応神天皇陵は真上から見ると、立派な天皇陵ですね。天皇陵の謎も学べました。ありがとうございます。

    • harusan0112 より:

      次の天皇が決まっていないのでトラブルが多いのですよね。
      今は順位まで決まっているので平和ですね。
      息長真若中比売については何も分からないようなのです。
      ただ、お父様の名前が書いてあるだけで。
      ヤマトタケルのお孫さんかもしれないという方もいます。
      応神天皇陵大きいですね。
      だから近くで見ると、丘のようなのです。
      前方後円墳とか、全くわかりません。笑

コメントを残す

古事記の関連記事
おすすめの記事