(133)『古事記』第15代応神天皇后妃と皇子女 八幡神と同一視される

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これまでのあらすじ

仲哀天皇の妃である神功皇后新羅親征を行い、帰国後に応神天皇お生みになりました。

神託によってその子を神功皇后は次期天皇としようとするも、異母兄弟たちは反乱を起こします。

反乱を制圧し、氣比神宮を行ない、大和に入り応神天皇として即位しました。

応神天皇 后妃と皇子女

応神天皇は、軽島の明宮 (アキラノミヤ 現在の奈良県橿原市大軽町)で天下を治めました。

応神天皇厳しい母親に反発したのか

10人の妻と27人の御子がいらっしゃいます。

あまりにも多いので系譜を3つに分けることにします。

品陀真若王(ホンダマワカノミコ)の3人の娘

応神天皇系譜① 品陀真若王の3人の娘達と結婚

応神天皇

品陀真若王(ホンダマワカノミコ)の3人の娘と結婚なさいました。

品陀真若王の父、五百木之入日子(イオキノイリヒコ)景行天皇の3人の太子(ヒツギノミコ 後継者候補)の中のお一人でした。

品陀真若王

五百木之入日子尾張連の祖である建伊那陀宿禰の娘と結婚して生まれた子です。

(1)高木之入日売命(タカキノイリヒメノミコト)と結婚

子供は5人

額田大中日子命(ヌカタノオオナカツヒコノミコト)

大山守命(オオヤマモリノミコト)

伊奢之真若命(イザノマワカノミコト)

大原郎女(オオハラノイラツメ)

高目郎女(コムクノイラツメ)

(2)中日売命(ナカツヒメ)と結婚

子供は3人

木之荒田郎女(キノアラタノイラツメ)

大雀命(オオサザキノミコト) (後の仁徳天皇)

根鳥命(ネトリノミコト)

(3)弟日売命(オトヒメノミコト)と結婚

子供は4人

阿倍郎女(アヘノイラツメ)

阿貝知能三腹郎女(アワジノミハラノイラツメ)

木之菟野郎女(キノウノノイラツメ)

三野郎女(ミノノイラツメ)

丸迩之比布礼意富美の娘達 他1人

応神天皇系譜②

また、応神天皇丸迩之比布礼意富美(ワニノヒフレノオオミ)の娘達などともご結婚なさいました。

(4)宮主矢河枝比売(ミヤヌシヤカワエヒメ)と結婚

子供は3人

宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)

八田若郎女(ヤタノワカイラツメ)

女鳥王(メドリノミコ)

(5)袁那弁郎女(オナベノイラツメ 宮主矢河枝比売の妹)と結婚

子供は1人

宇遅之若郎女(ウジノワカイラツメ)

(6)咋俣長日子王(クイマタナガヒコノミコ)の娘

息長真若中比売(オキナガマワカナカヒメ)と結婚

子供は1人

若沼毛二俣王(ワカヌケノフタマタノミコ)

その他 4人の妻と子供たち

応神天皇系譜③

(7)島垂根(シマタリネ)の娘の糸井比売(イトイヒメ)と結婚

子供は1人

速総別命(ハヤブサワケノミコト)

(8)日向の泉之長比売(イズミノナガヒメ)と結婚

子供は3人

大羽江王(オオハエノミコ)

小羽江王(オハエノミコ)

幡日之若郎女(ハタヒノワカイラツメ)

(9)迦具漏比売(カグロヒメ)と結婚

子供は5人

川原田郎女(カワラダノイラツメ)

玉郎女(タマノイラツメ)

忍坂大中比売(オシサカノオオナカツヒメ)

登富志郎女(トオシノイラツメ)

迦多遅王(カタジノミコ)

(10)葛城野伊呂売(ノノイロメ)と結婚

子供は1人

伊奢能麻和迦王(イザノマワカノミコ)

応神天皇の御子は26人(と古事記には書かれていますが、実数27人)

男王11人(実数12人)、女王は15人です。

この中で大雀命が次期天皇(仁徳天皇)になります。

はるさん的補足 八幡神と同一視される応神天皇

宇佐八幡(大分県)

日本には多くの神社がありますが、最も多いのが八幡神(ヤハタノカミ・ハチマンシン)を御祭神とする八幡神社です。

八幡神宇佐(大分県)土着的な神と応神天皇の神霊が結びついた神と言われています。

後に出てくる欽明天皇が571年にみた夢に

応神天皇と称して八幡神が現れたことから同一視されるようになりました。

応神天皇は生まれた時から腕にのような肉がついており、弓道の達人であったと言われています。

そのため、平安時代清和源氏京都の石清水八幡宮を氏神にしたことから、武勇の神として多くの武士から信仰を集め、大衆にも信仰されてきました。

八幡神は571年に宇佐で初めて示顕(ジゲン 示し現れたこと)したと伝えられ、

宇佐神宮が八幡宮に総本宮となっています。

京都府の石清水八幡宮

福岡県の筥崎宮(ハコザキグウ)

神奈川県の鶴岡八幡宮

日本三大八幡宮と呼びます。

石清水八幡宮(京都府)

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コメント一覧
  1. 才色健躾 より:

    応神天皇は代々の神々と同じくして大所帯ですね。
    私には現代の大手企業の経営組織の様な異業種事業部を創設しそのまた子会社を孫会社を下請けを設立されている様なお話しに伺えます。
    八幡神社ではなく”八幡神”なのですね。勉強に為りました。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      2組の姉妹婚もしましたし。笑
      垂仁天皇の時に、姉妹婚はやめようということになったと思ったのですが。笑

      大手企業とはいい例えですね!
      たくさんの小さな八幡宮を創設し、勧請して全国展開。
      そして業界トップになりましたね。

  2. ミカリン より:

    多くの側室と子供がいて、それぞれに名前をつけるのも名前を覚えるのも大変だったでしょうね。昔の女性は嫉妬とかは無かったのでしょうか?八幡神社の総本宮の宇佐八幡は応神天皇が御祭神だったのですね。武勇というより多産と子孫繁栄の神社かもしれませんね

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪

      うまい!!
      大笑いしてしまいました。笑
      昔は通い婚ですから、姉妹で助けあったり、足を引っ張ってみたり、毒を盛ったりするのかな?と想像してしまいました。

      八幡宮は全国全て応神天皇が主祭神だと思います。
      神功皇后も祭神となっている場合は安産も加わる所が多いと思います。

      でも応神天皇単独なら
      (穏やかな方のようでしたので)武運というより
      多産と
      継体天皇以降の天皇の先祖ということで、これ以上ない子孫繁栄の神にピッタリですね!

  3. さゆ より:

    10人の妻。多すぎ!これを整えて、すっきりと系譜にされたはるさんすごいです。
    大雀命が次期天皇に。大体は、天皇系統の子孫が天皇になるのでしょうか?
    八幡神が応神天皇の御霊だとは、知りませんでした。宇佐神宮の社伝等によると、地元の八幡神が、誉田天皇広幡八幡麿と託宣で名乗ったそうです。誉田天皇は、ホンダワケノミコ即ち、応神天皇のことなので八幡神と同一視されるのですね。
    宇佐神宮のサイトをみると、やはり総本宮だからか、鶴岡八幡宮 や筥崎宮をよりも三大八幡宮の一つとして認められたいようですね。
    清和源氏は八幡神を京都に勧請し石清水八幡宮を創建したのですね。
    いろいろな知識が増えました。

    • harusan0112 より:

      応神天皇も多くのお子様がいらっしゃいますね。笑
      難しいお名前のお子様もいらっしゃるので覚えられるのか?と思っちゃいます。

      この応神天皇以外は、母親が天皇の子孫だったと思います。
      ですから応神天皇が即位することを忍熊王などは反発したのでしょう。

      八幡宮は身近ですが、主祭神までは知らない方も多いと思うので、知ってもらえたら嬉しいです。
      去年、石清水八幡宮に行った時にガイドさんが話しをしてくれたのですが信長の話しばかりしてました。

  4. Yoshi より:

    「八幡神と応神天皇が同一視されるようになった」のが八幡神の始まりなのですね。
    明確に応神天皇が何か八幡神になる・トランスフォームする?ような話がある、とかでもなく
    自分よく八幡宮にお世話になっているのですが、本当に何も知らなかったのだなーと思いました。
    それにしても妻が10人子供が27人って凄すぎます!「オカンが強烈すぎたから」という理由だったとしても全然驚かないかも。
    というか子供27人って、もはや、ちょっと小さな「学級」ですね。お父さんが見て名前と顔が一致しない子供とかがあったりしそうで

    • harusan0112 より:

      八幡神は大分県の神と応神天皇がと結びついたのですね。
      その後、秦氏や源氏によって全国展開されて戦国武将にも愛され、日本で一番多い神社になりました。
      大分県から広がったというのが、正直なところ意外です。
      景行天皇も子供80人と書かれていましたが、皇太子は3人ですね。
      応神天皇も3人を皇太子候補にしています。
      気の毒ですが、通い婚の時代、女性の実家で育てているので目をかけてもらえない子もいるでしょうね。
      足が遠のいてしまう(女の人の)家もあったでしょうから、女性の実家がしっかりしてない場合、ご落胤という子供になってしまうのですね。

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