これまでのあらすじ
仲哀天皇の妃である神功皇后は新羅親征を行い、帰国後に応神天皇をお生みになりました。
神託によってその子を神功皇后は次期天皇としようとするも、異母兄弟たちは反乱を起こします。
反乱を制圧し、氣比神宮で禊を行ない、大和に入り応神天皇として即位しました。
応神天皇 后妃と皇子女
応神天皇は、軽島の明宮 (アキラノミヤ 現在の奈良県橿原市大軽町)で天下を治めました。
応神天皇は厳しい母親に反発したのか、
10人の妻と27人の御子がいらっしゃいます。
あまりにも多いので系譜を3つに分けることにします。
品陀真若王(ホンダマワカノミコ)の3人の娘
応神天皇は
品陀真若王(ホンダマワカノミコ)の3人の娘と結婚なさいました。
品陀真若王の父、五百木之入日子(イオキノイリヒコ)は景行天皇の3人の太子(ヒツギノミコ 後継者候補)の中のお一人でした。
品陀真若王は
五百木之入日子が尾張連の祖である建伊那陀宿禰の娘と結婚して生まれた子です。
(1)高木之入日売命(タカキノイリヒメノミコト)と結婚
子供は5人
・額田大中日子命(ヌカタノオオナカツヒコノミコト)
・大山守命(オオヤマモリノミコト)
・伊奢之真若命(イザノマワカノミコト)
・大原郎女(オオハラノイラツメ)
・高目郎女(コムクノイラツメ)
(2)中日売命(ナカツヒメ)と結婚
子供は3人
・木之荒田郎女(キノアラタノイラツメ)
・大雀命(オオサザキノミコト) (後の仁徳天皇)
・根鳥命(ネトリノミコト)
(3)弟日売命(オトヒメノミコト)と結婚
子供は4人
・阿倍郎女(アヘノイラツメ)
・阿貝知能三腹郎女(アワジノミハラノイラツメ)
・木之菟野郎女(キノウノノイラツメ)
・三野郎女(ミノノイラツメ)
丸迩之比布礼意富美の娘達 他1人
また、応神天皇は丸迩之比布礼意富美(ワニノヒフレノオオミ)の娘達などともご結婚なさいました。
(4)宮主矢河枝比売(ミヤヌシヤカワエヒメ)と結婚
子供は3人
・宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)
・八田若郎女(ヤタノワカイラツメ)
・女鳥王(メドリノミコ)
(5)袁那弁郎女(オナベノイラツメ 宮主矢河枝比売の妹)と結婚
子供は1人
・宇遅之若郎女(ウジノワカイラツメ)
(6)咋俣長日子王(クイマタナガヒコノミコ)の娘の
息長真若中比売(オキナガマワカナカヒメ)と結婚
子供は1人
・若沼毛二俣王(ワカヌケノフタマタノミコ)
その他 4人の妻と子供たち
(7)島垂根(シマタリネ)の娘の糸井比売(イトイヒメ)と結婚
子供は1人
・速総別命(ハヤブサワケノミコト)
(8)日向の泉之長比売(イズミノナガヒメ)と結婚
子供は3人
・大羽江王(オオハエノミコ)
・小羽江王(オハエノミコ)
・幡日之若郎女(ハタヒノワカイラツメ)
(9)迦具漏比売(カグロヒメ)と結婚
子供は5人
・川原田郎女(カワラダノイラツメ)
・玉郎女(タマノイラツメ)
・忍坂大中比売(オシサカノオオナカツヒメ)
・登富志郎女(トオシノイラツメ)
・迦多遅王(カタジノミコ)
(10)葛城の野伊呂売(ノノイロメ)と結婚
子供は1人
・伊奢能麻和迦王(イザノマワカノミコ)
応神天皇の御子は26人(と古事記には書かれていますが、実数27人)
男王11人(実数12人)、女王は15人です。
この中で大雀命が次期天皇(仁徳天皇)になります。
はるさん的補足 八幡神と同一視される応神天皇
日本には多くの神社がありますが、最も多いのが八幡神(ヤハタノカミ・ハチマンシン)を御祭神とする八幡神社です。
八幡神は宇佐(大分県)の土着的な神と応神天皇の神霊が結びついた神と言われています。
後に出てくる欽明天皇が571年にみた夢に
応神天皇と称して八幡神が現れたことから同一視されるようになりました。
応神天皇は生まれた時から腕に鞆のような肉がついており、弓道の達人であったと言われています。
そのため、平安時代に清和源氏が京都の石清水八幡宮を氏神にしたことから、武勇の神として多くの武士から信仰を集め、大衆にも信仰されてきました。
八幡神は571年に宇佐で初めて示顕(ジゲン 示し現れたこと)したと伝えられ、
宇佐神宮が八幡宮に総本宮となっています。
京都府の石清水八幡宮
福岡県の筥崎宮(ハコザキグウ)
神奈川県の鶴岡八幡宮を
日本三大八幡宮と呼びます。
古事記の他の記事
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)