(148)『古事記』雁の卵・枯野という船・仁徳天皇崩御 天皇と琴

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これまでのあらすじ

政治家としては民を思い、免税などを行った仁徳天皇ですが、女好きな一面も。

皇后 石之日売の嫉妬に振り回されながらも恋をし、時には厳しく罰しました。

雁の卵

ある日、仁徳天皇が宴を開こうとして、日女島(ヒメジマ:大阪市西淀川区姫島)に出かけました。

すると、日女島で雁が卵を産みました。

天皇建内宿禰(タケウチノスクネ)を呼び、大和国で雁が卵を生んだことがあるかと歌を詠みました。

仁徳天皇
🍃たまきはる 
内の朝臣(アソ) 
汝こそは 世の長人 
そらみつ 倭の国に 
雁卵生(カリコム)
と聞くや

現代語訳:
長生きの建内宿禰命よ
この国で雁が卵を生んだと
聞いたことがあるか?

建内宿禰

第8代孝元天皇のひ孫で

景行天皇(ヤマトタケルの父)→成務天皇仲哀天皇応神天皇仁徳天皇にお仕えしたという伝説上の忠臣です。

建内宿禰の孫が仁徳天皇皇后である石之日売という話しもあり、

とても長生き

( 景行天皇から仁徳天皇までとなると300年以上生きられたことになります 笑) されたお方です。

建内宿禰の子孫には巨勢氏、紀氏、蘇我氏、波多(秦)氏など多数の有力な一族がいらっしゃいます。

渡り鳥である雁は、通常、大和国で卵を産むことはありません。

ですから、それは良い奇跡として考えて良いのだろうか、

と天皇は尋ねたのです。

建内宿禰が歌で答えました。

建内宿禰
🍃高光る 日の御子
諾(ウベ)しこそ 
問ひたまへ まこそに  
問ひたまへ 吾こそは
世の長人そらみつ 
倭の国に 
雁卵生(カリコム)と
未だ聞かず

現代語訳:

よくぞ聞いてくれました。
長く生きていますが、
渡り鳥である雁が
大和国で卵を産んだことは聞いたことがありません。

すると、(よくぞ申してくれたと)天皇は琴を建内宿禰にたまわると、彼はまた歌でお答えしました。

建内宿禰
🍃汝が御子や 
終(ツイ)に知らむと
雁は卵生(コム)らし

現代語訳:
これは、
あなた様の子孫が長い間国を治めるよう、
吉兆として雁が卵を生んだのです

枯野という船

仁徳天皇の世に、菟寸河(トノキガワ:所在不詳)の西に、一本の高い木がありました。


その木の影は、朝日に当たれば淡路島、夕日に当たれば高安山(タカヤスヤマ:大阪と奈良の間の山)に達しました。

そこで、この木を切り船を作ると、とても早い船「枯野(カラノ)」ができました。

日本書紀によると、軽く浮かび早く走るので「軽野(カルノ)」といい、

それが訛って「枯野(カラノ)」になったそうです。)

そして、この船で朝夕に淡路島の清水を汲んで、天皇が口にする飲料水の大御水(オオミモイ)として献上しました。

瀬戸内海の藻塩

船がボロボロになってきたので、塩を焼くのに使いました。

また、残った木で琴を作ると、琴の音は七里に響き渡りました。

だから、人々はこんな歌を詠みました。

人々
枯野を 塩に焼き、
其の余り 琴に作り 
かき弾くと 由良の門の 
門中の海石(イクリに
ふれ立つ
なづの木の さやさや

現代語訳:

枯野の船で塩を焼き、
その余った木で琴を作って弾くと、
由良(兵庫県の由良)の海峡の、
海の中の岩礁に波に振れながら生えている海藻のように、
さやさやと鳴り響いている

仁徳天皇の御年は83歳。

丁卯年(ひのとうのとり:西暦427年)の8月15日に崩御しました。

御陵は毛受の耳原(モズのミミハラ:大阪府堺市堺区大仙町)にあります。

大仙陵古墳

大仙陵古墳は日本最大の古墳であり、世界でも最大級の墳墓です。

被葬者はわかりませんが、宮内庁により仁徳天皇陵と治定されています。

2019年に世界文化遺産に登録されました。

仁徳天皇陵と治定される大仙陵古墳 
(堺市博物館のhpより写真をお借りしました)

はるさん的補足 古代天皇と琴

古事記」に度々を弾く場面が登場します。

仲哀天皇をお弾きになって神功皇后巫女となって神託を求めました。

( 参照(128)住吉三神による神託 )

仁徳天皇も最期のお話しでをお弾きになりました。

これらのことから、

古代において琴を弾くのは音楽を楽しむというよりも、

国政に関して神の託宣を請うためのもの祭祀道具だったのではないかと考えられます。

埴輪「琴を弾く男子」
(写真は愛知県陶磁美術館hpからお借りしました)

また、形状も今のように床に置くものではなく、上の埴輪の写真のように、

膝に置いてかき鳴らすような物ではないかと言われています。

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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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コメント一覧
  1. 枯野の意味。とても理解しやすく呼称の所以も読み解く事も適い勉強に為りました。
    琴を奏でる埴輪は疑いようもない史実ですね。
    仁徳天皇陵から大仙古墳へ。はるさんのブログに目を通さなければ知り得ませんでした。
    こうして様々な謂われを拝見してきますと幼少期より古事記を知り日本史を学習しなければ理解適わないと思いました。

    • ありがとうございます♪
      象徴的な場面のようですね
      仁徳天皇が今後の天皇家の栄光や平和を祈っているような、、、。
      琴を持つ男の人の埴輪は他の地域からも発掘されているので、琴はあのような形だったんでしょう。
      幼少期からいい意味での愛国心を持ってもらうためにも日本史を学習して欲しいですね!

  2. 300年生きたと言われる仁徳天皇、実際にはどうだったかは別としてもそう言ういろんな話(逸話⁇)の多い人はやはりそれにふさわしい魅力的な人物であったのだろうと思います。
    そして嫉妬深い皇后も、仁徳天皇を愛していたからこそ、嫉妬深かったのでしょうね…。どうでもいい夫が何をしようともはや関心さえない冷めきった妻も、その当時からいたのでしょうから。

    • ありがとうございます

      仁徳天皇は83歳で崩御されました。
      300歳越えは建内宿禰さまです。
      建内宿禰は紙幣にもなったので、古事記のスターですが天皇ではありません。

      仁徳天皇は優しくて魅力的な天皇だったのでしょうね。
      万葉集に載っている石之日売の歌からは深い愛情が感じられます。
      冷めきっていれば辛さは感じないのでしょうけれど、大好きだと辛いですね。

  3. 仁徳天皇は、妻たちや、石之日売のことで悩むこともありましたが、建内宿禰という忠臣もいて、総じて穏やかな生涯を送られたのですね。民には優しい為政者でしたね。
    仁徳天皇陵は古墳の中で日本一の大きさ!こんな巨大な古墳を造らせることが出来たということは、けっこう広範囲まで統治が及んでいたということですね。

    • ありがとうございます♪
      治水工事などは、どう見ても仁徳天皇の時代ではないということや、大仙陵古墳も仁徳天皇陵ではないというせつが濃厚ではありますが、民に尊敬された大天皇だということは間違いないのでしょう。
      巨大な古墳に関しては、氏族間で張り合っていたということもあるようですが、公共事業を増やして民の貧困対策をしたという説も有力視されています。
      統治範囲も拡がって来ているでしょうね。

  4. 83歳の仁徳天皇も当時としては十分長生きだったと思うけど、建内宿禰は300歳越え?!石之日売の祖父だとしたら、仁徳天皇との関わりが深くなるのも納得です。子孫に多数の有力豪族を残し、存在そのものがレジェンド感ありますね!

    • ありがとうございます♪
      一年二歳論だとしても建内宿禰はちょっと伝説的すぎますね。笑
      応神天皇誕生、有力豪族の祖には欠かせない人物として、何人かの忠臣を1人に集約したと考えるのが自然だと思います。

  5. 古代のお琴は今の時代のカリンバという楽器に似ていますね。音を奉納したり、自然現象で吉凶を占うなど、神々が常に人々の生活の身近にあったようですね。天皇の女好きも、生物本来の繁殖への本能だったのかもしれません

    • ありがとうございます♪
      カリンバ、存じ上げませんでした。
      アフリカの楽器だそうですが確かに似てますね。

      古代は病気の原因や疫病のウイルス、川の反乱などの天災も神の怒りだと解釈していたので、神託を聞くのが大切な政治でした。
      女好きな一面も含めて、仁徳天皇は素晴らしい天皇だったんでしょうね。

  6. 仁徳天皇譚もここに幕を閉じるのですね。それにしてもインパクトのある御陵です。
    それにしても地名が・・・高安って近鉄沿線、電車乗って大阪に向かっていく途中にありますし、姫島には友達の実家のお好み焼きやさんがありました。(時々ご馳走なりに行ってた)みなさんお元気にしてはるかな。

    琴のお話で鳳笙(ほうしょう・雅楽の笙、オルガンぽいミステリアスな音の楽器です)を思い出したのですがミステリアスに綺麗な音のものは神様に通じるように感じるかもしれません。
    仁徳天皇も色々ありましたが、徳があり慕われていた天皇さんだったのかなと思います。

    • ありがとうございます♪
      仁徳天皇は当時どう思われていたのでしょうね。
      高安山に達する影ですね。
      この辺り、全く土地勘がないので、実感できる方って羨ましいです。

      天皇が琴を弾く時になぜか建内宿禰がいるのも気になりますが(笑)神託を聞く、大切な神事だったのですね。

      天皇家が豪族ひしめく中、生き延びて来ている背景には、フィクションはあるものの、慕われる存在があったと見るのが妥当かも知れません。

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