これまでのあらすじ
政治家としては民を思い、免税などを行った仁徳天皇ですが、女好きな一面も。
皇后 石之日売の嫉妬に振り回されながらも恋をし、時には厳しく罰しました。
雁の卵
ある日、仁徳天皇が宴を開こうとして、日女島(ヒメジマ:大阪市西淀川区姫島)に出かけました。
すると、日女島で雁が卵を産みました。
天皇は建内宿禰(タケウチノスクネ)を呼び、大和国で雁が卵を生んだことがあるかと歌を詠みました。
内の朝臣(アソ)
汝こそは 世の長人
そらみつ 倭の国に
雁卵生(カリコム)
と聞くや
現代語訳:
長生きの建内宿禰命よ
この国で雁が卵を生んだと
聞いたことがあるか?
渡り鳥である雁は、通常、大和国で卵を産むことはありません。
ですから、それは良い奇跡として考えて良いのだろうか、
と天皇は尋ねたのです。
建内宿禰が歌で答えました。
諾(ウベ)しこそ
問ひたまへ まこそに
問ひたまへ 吾こそは
世の長人そらみつ
倭の国に
雁卵生(カリコム)と
未だ聞かず
現代語訳:
よくぞ聞いてくれました。
長く生きていますが、
渡り鳥である雁が
大和国で卵を産んだことは聞いたことがありません。
すると、(よくぞ申してくれたと)天皇は琴を建内宿禰にたまわると、彼はまた歌でお答えしました。
終(ツイ)に知らむと
雁は卵生(コム)らし
現代語訳:
これは、
あなた様の子孫が長い間国を治めるよう、
吉兆として雁が卵を生んだのです
枯野という船
仁徳天皇の世に、菟寸河(トノキガワ:所在不詳)の西に、一本の高い木がありました。
その木の影は、朝日に当たれば淡路島、夕日に当たれば高安山(タカヤスヤマ:大阪と奈良の間の山)に達しました。
そこで、この木を切り船を作ると、とても早い船「枯野(カラノ)」ができました。
(日本書紀によると、軽く浮かび早く走るので「軽野(カルノ)」といい、
それが訛って「枯野(カラノ)」になったそうです。)
そして、この船で朝夕に淡路島の清水を汲んで、天皇が口にする飲料水の大御水(オオミモイ)として献上しました。
船がボロボロになってきたので、塩を焼くのに使いました。
また、残った木で琴を作ると、琴の音は七里に響き渡りました。
だから、人々はこんな歌を詠みました。
其の余り 琴に作り
かき弾くと 由良の門の
門中の海石(イクリに
ふれ立つ
なづの木の さやさや
現代語訳:
枯野の船で塩を焼き、
その余った木で琴を作って弾くと、
由良(兵庫県の由良)の海峡の、
海の中の岩礁に波に振れながら生えている海藻のように、
さやさやと鳴り響いている
仁徳天皇の御年は83歳。
丁卯年(ひのとうのとり:西暦427年)の8月15日に崩御しました。
御陵は毛受の耳原(モズのミミハラ:大阪府堺市堺区大仙町)にあります。
大仙陵古墳
大仙陵古墳は日本最大の古墳であり、世界でも最大級の墳墓です。
被葬者はわかりませんが、宮内庁により仁徳天皇陵と治定されています。
2019年に世界文化遺産に登録されました。
はるさん的補足 古代天皇と琴
「古事記」に度々琴を弾く場面が登場します。
仲哀天皇が琴をお弾きになって神功皇后が巫女となって神託を求めました。
( 参照:(128)住吉三神による神託 )
仁徳天皇も最期のお話しで琴をお弾きになりました。
これらのことから、
古代において琴を弾くのは音楽を楽しむというよりも、
国政に関して神の託宣を請うためのもの祭祀道具だったのではないかと考えられます。
また、形状も今のように床に置くものではなく、上の埴輪の写真のように、
膝に置いてかき鳴らすような物ではないかと言われています。
「古事記」の他の記事
これまで書けている記事はこちらからご覧ください。
上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)