これまでのあらすじ
仲哀天皇と神功皇后の御子である品陀和気が応神天皇として即位し、たくさんの女性と結婚し、多くの子供をもうけました。
「古事記」における 三皇子の分掌( ブンショウ)
応神天皇には27人の御子がいらっしゃいましたが、とりわけ3人の御子を信頼していました。
年齢順に
大山守(オオヤマモリ)
大雀命(オオサザキノミコト 後の仁徳天皇)
宇遅能和気郎子(ウジノワキイラツコ)です。
応神天皇は大山守と大雀命に
どちらが可愛いか?
と聞きました。
(この3人の中で1番)若い宇遅能和気郎子を後継者にしたかったからです。
大山守は
と答えました。
しかし大雀命は父の真意を理解していたので
幼い子は愛おしく思われます。
と答えました。
天皇は
とおっしゃいました。
そして
・宇遅能和気郎子を後継者に指名
・大雀命をご自分の政治の責任者に
・大山守には海や山の民を総括する閑職を与えました。
実際には大雀命が次期天皇になります。
その経緯は後日、別記事にします。
「古事記」における 葛野(カズノ)の歌
ある時、応神天皇が近江国に巡行なさった時に、途中で宇治野(ウジノ 現在の宇治市の台地)の上にお立ちになって、葛野(現在の渡月橋の辺りか?)を遠くご覧になり、歌っておっしゃいました。
(葛野の歌)
🍃葉がたくさん繁る葛(かづら)の名に因む、葛野を見渡すと、豊かに満ち足りた民の家々が見えるよ。
山々に囲まれた、住みよい平原の土地が見えるよ🍃
はるさん的補足 宇遅能和気郎子と宇治
宇遅能和気郎子はお名前に「ウジ」と付くように、宇治市に宮を構える丸迩(ワニ)氏の一族でした。
宇遅能和気郎子の母、宮主矢河枝比売(ミヤヌシヤカワエヒメ)はたいそう美しかったので、
近江国に巡行する途中で出会った応神天皇はすぐさま求婚し、溺愛したそうです。
葛野の歌を歌った時も、美しい宮主矢河枝比売が隣にいてうっとりと歌ったのではないでしょうか。
ちなみに「日本書紀」では菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)と表記されています。
現在も宇治市に菟道という地名はあります。
地名の「菟道」はトドウと読みます。
地名の由来はその昔ウジノワキイラツコがその地を通った時に
兎が道案内をしてくれたからではないかと言われています。
宇遅能和気郎子が住んでいたとされる場所には世界遺産になった
宇治上神社が建立され、宇遅能和気郎子は父の応神天皇、異母兄の仁徳天皇と共に祀られています。
古事記の他の記事
古事記の他の記事はこちらからご覧ください。
上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)