(132)『古事記』応神天皇、氣比神宮で身を清める・酒楽の歌

 

氣比神宮(福井県 写真:友人提供)

これまでのあらすじ

日本武尊の息子である仲哀天皇の時代、急に亡くなった仲哀天皇の代わりに

神功皇后住吉三神神託によって新羅に親征を行いました。

神功皇后は帰国後に品陀和気(ホンダワケ・後の応神天皇)を出産。

神託により神功皇后建内宿禰(タケウチノスクネ)品陀和気を後継者とすることにしますが、異母兄弟が反乱を起こしました。


しかし「品陀和気はすでに亡くなった」という嘘の情報を流すなどして撃退しました。

「古事記」における気比大神

品陀和気(仲哀天皇と神功皇后の息子、以下 御子とします)は

一度死んだとされたため、穢れを清める必要がありました。

そこで建内宿禰近江の国若狭の国を巡り越前角鹿(ツヌガ 現在の敦賀)に仮宮を作り、御子をお迎えし穢れを祓うをしました。

するとその地に鎮座する神御子に現れて

鎮座する神
私の名を御子のお名前と取り替えていただきたい。

と言いました。

御子が喜んで了承すると

鎮座する神
明朝、浜に来なさい。
」を贈りましょう

と、言いました。

翌朝、御子が浜に行くと、鼻が傷ついたイルカの大群が浜いっぱいになるほど押し寄せていました。

そこで御子

御子
我に御食(ミケ)の魚給(ナタマ)へり

現代語訳:
神がお召し上がりになるお魚を私に下さったのですね。

と、おっしゃり、神から品陀和気という名前を賜り、神には伊奢沙和気(イギサワケ)という名を与えました

さらに食べ物の神という意味の御食大神(ミケノオオカミ)という名前も与えて称えました。

それで今も氣比大神(ケヒノオオカミ)といいます。

御子は「古事記」にはこれまで品陀和気という名前で登場していましたが、

ここで初めて神から品陀和気と命名されたことになります。

また、イルカの鼻の血が臭かったので、その浦を血浦と名付けました。

いまは都奴賀(ツヌガ 現在の敦賀)といいます。

古代の人々は名前には霊がこもると考えていました。

それを交換する名易え(ナガエ)は、両者の社会的関係が変わることを示しています。

この場合、敦賀の地が朝廷に服属したことを表します。

また、が「」を交換しようと提案したのは

」は魚を暗示する謎かけでもあったのですが

御子は見事に「我に御食の魚給(ナタマ)へり」と、解いてみせました。

つまり場面は、難題を克服した御子を讃える場面でもあるのです。

酒楽(サカクラ)の歌

御子(と建内宿禰大臣)が都(大和)に着くと、母の神功皇后待ち酒を差し上げ、

祝いの「酒楽の歌」を歌いました。

待ち酒とは、旅人が無事に着くことを祈り、醸すお酒のことです。

神功皇后
[酒楽の歌]
この神酒は私が作った酒ではありません
岩としてお立ちのスクナビコナがお作りになったものです
祝福し、踊り、栄え、踊って醸し
献上してきた由緒ある神酒です
残さずお飲みなさい
さあさあ
(どんどん召し上がれ)
建内宿禰
[酒楽の歌]
この神酒を醸造したという人は
歌いながら醸造していたからか
踊りながら醸造していたからか
無性に楽しい
さあさあ
(どんどん召し上がれ)

酒宴を行うことによって品陀和気の即位が承認され、第15代応神天皇となりました。

お名前の変遷

古事記」での記述もわかりにくいのですが、

仲哀天皇神功皇后御子として生まれた時は伊奢沙和気(イギサワケ)

氣比大神と名前を交換して品陀和気

大和で即位して応神天皇となります。

スクナビコナ大国主命の国作りを手伝った、賢くて優しい小さな神です(波の上にいるのがスクナビコナ)

仲哀天皇は壬戌の年(西暦182年)の6月11日に52歳で崩御されました。

御陵は河内の恵賀の長江(ナガエ)(現在の大阪府藤井寺市)にあります。

神功皇后は100歳で崩御しました。

佐紀(サキ)の楯列(タテナミ)(現在の奈良市山陵町)に御陵があります。

ここまでで仲哀天皇の章が終わります。

仲哀天皇ご自身は新羅親征の前香椎宮で亡くなっていますが、

応神天皇即位までは仲哀天皇の世という扱いになっています。

はるさん的補足 応神天皇即位の時期

古事記」では応神天皇気比神宮で参拝後に大和に行き、すぐに即位したことになっていますが、

日本書紀」では神功皇后が摂政となり69年間にわたって政権を担っていることになっていて応神天皇が即位をするのは神功皇后亡くなってからとなっています。

古事記の他の記事

古事記の他の記事はこちらからご覧ください。

上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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コメント一覧
  1. 才色健躾 より:

    この度は敦賀気比神宮のお話しでした。
    気比神宮へは度々訪れている為、とても身近なお話しに感じました
    名がえのお話しは後の世(武家、貴族)の時代に多分に見受けられました”偏諱”の元なのでしょうか。
    仲哀天皇は今までの天皇の寿命を考えますと短命の様に思えます
    然りながら内容の濃い人生でした。

    • harusan0112 より:

      氣比神宮について、随分詳しく書かれていますね。
      天皇であり神でもある応神天皇と名替えをしたのですからね。
      武士もしていたとは、知りませんでした。
      仲哀天皇は神の言葉を信じなかったので短命になってしまいましたね。
      日本武尊と共に、悲劇の親子ですね。
      私は記紀共に神功皇后をたっぷり書きたかったのだと考えています。

    • 久子 より:

      神功皇后、100歳?!凄い!
      そして気比さん♥️
      大好きな気比さんのお話ですが、あんまり覚えてないので、しっかり記憶しますありがとうございました!

      • harusan0112 より:

        ありがとうございます♪
        私は臨月でも新羅まで行ってしまう神功皇后なら、不死身か思いました。笑
        氣比神宮さんお気に入りなんですね!
        お参りしていれば食べ物に困らなそうですね。

  2. Yoshi より:

    なるほど!この度は敦賀や氣比神宮さんの由来が、きっちりと理解する事ができました!
    神社縁起とか読んでも、リーフレット程度のざっくり話だけだとどうしても掴みかねるところもあったりするので、点と点が線で繋がった感が心地よいです
    義弟夫婦に子供が出来、敦賀に住む彼らはお宮参りを氣比神社さんでしたみたいなのですが、その子は食うに困らなさそうな感じがしました。(敦賀の方にもイルカが居た&古くから食用にもされてきていたのですね。)
    義弟たちと会ったり話す機会があったら、この話をしてみたいと思いました。
    そして応神天皇へ、ですね。日本書紀にある神功皇后による摂政の話も興味深くはありますが。(69年ってやっぱり結構長いような)それにしてもスクナヒコさんが作ったお酒・・・美味しかったんだろうなー。飲んでみたいです(笑)

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      食べることに困らないって最高ですよね。
      お宮参りに最適です!

      応神天皇の時代ならなおさらお参りしたい所ですね。
      イルカの大群は本当に時々来たようですし、海の幸が豊富というのは良い場所です。
      知恵もあり、お米の神でもあるスクナビコナさんのお酒なら、絶対に美味しいですね。
      飲んでみたいです!

  3. さゆ より:

    『禊』は『お祓い』の一つですね。『お祓い』は、社会通念になっていて、何の気なしにしていますが、これで、それまでの穢れを無しにできるのですから、考えてみるとありがたい心理的再生法ですね。
    他の国や地域にも同じようなものがありそうですね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      まあ、穢れを無しに、、、と考えると都合がいいなあという気もしますが、
      神さまにお会いする前に、清めるという意味もありますから儀式として大切なのでしょうね。
      コロナ禍で手水が使えなかったことがあって、なんだかとても変な気分でした。
      イザナギさんの禊から始まったのですよね。

  4. ミカリン より:

    日本に点在している神社の多くは各時代の天皇と深い繋がりがあるのですね。云われのある天皇の生き様を知って参拝すると、ご利益もしっかりもらえそうです

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      天皇や天皇誕生前の神々と深い関わりがありますね。
      江戸時代や明治時代になって造られた物も多いようです。
      やはり、富国強兵と八幡宮は結びつきやすかったのでしょうね。

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