(124)『古事記』日本神話タロット 剱ノ女王「ミヤズヒメ」
剱ノ女王 (ソードのクイーン)「ミヤズヒメ」

前の記事

次の記事

「古事記」に書かれた美夜受比売

美夜受比売(ミヤズヒメ)が最初に登場するのは、日本武尊が東征に行く時です。

日本武尊尾張国に行った時に国造の娘である美夜受比売と結婚しようと思ったのですが、都に戻る時に結婚しようと思われた。

と書かれています。

そして、次に出てきたのが、約束通り、東征の帰り結婚する場面です。

せっかく再会し、結婚する場面でしたが、美夜受比売は月経に。

しかし、美夜受比売が「待ちきれなかった」と、歌を詠み結婚。

その後、日本武尊美夜受比売の元に、東征の際の必勝アイテムだった「草薙の剣( 別名:アメノムラクモ)」を置いて戦いに行き、亡くなってしまいました。

以上が古事記に記述されている美夜受比売の全てです。

「尾張国熱田太神宮縁起」における美夜受比売

熱田神宮 (愛知県) 写真提供:よしさん

まず、東征に行く途中、日本武尊はとても美しい美夜受比売に夢中になり、互いに離れがたい関係になりました。

心の声
同行していることになっている弟橘比売はどうしていたのでしょうか?不思議です。

その後、東征から都に帰る途中で約束通り日本武尊が来て結婚するのですが、「尾張国熱田太神宮縁起」にはしばらくの間、とても仲睦まじく共に暮らしたと書かれているようです。

しかし、日本武尊伊吹山に行かなくてはいけなくなりました。

従者が

従者
伊吹山には大変凶暴な神がいらっしゃいます。 草薙の剣を必ずお持ちください。

と言ったにも関わらず、美夜受比売

日本武尊
私は 伊吹山の神を征伐して、都に帰ってから必ず貴女を迎えに来ます。 それまでこの剣を我が床の守りとしなさい。

と言って草薙の剣を残して伊吹山に行ってしまいました。

その後、日本武尊が亡くなると、美夜受比売は言いつけを通り、独りで床を守り、草薙の剣を奉っていました。

しかし、やがて老いたとき、身近な人々を集め、草薙の剣を鎮守するための社地の選定を諮ります。

ある楓の木があり、自ら炎を発して燃え続け、水田に倒れても炎は消えず、水田もなお熱かったのでその地を熱田と号して、社地に定めたといいいます。

こうして、草薙神剣をご神体とした熱田神宮は創建されました。

日本神話タロット 極参 剱ノ女王(ソードのクイーン)「ミヤズヒメ」

熱田神宮(愛知県) 写真提供:よしさん

剱ノ女王(ソードのクイーン) の意味

正位置

頭脳明晰、不妊、未亡人、上品、品格、洞察力

逆位置

信頼が揺らぐ、孤独感、批判的、残酷

解説文写し

ヤマトタケルの最期の妻、ミヤズヒメは彼の死後、預かっていた草薙の剣を奉納するために熱田神宮を建立します。

それがこの国を良くするためだと確信していたからこそ、揺るぎない信念を元に尽力します。

また、良くするためには人の意見も聞き入れるため、尊敬と信頼を集めました。

参考記事

日本神話タロット「極参」

はるさん的補足 その後の美夜受比

日本書紀」によると、日本武尊が亡くなったのは30歳の時だったそうです。

尾張国熱田太神宮縁起」によると、その時美夜受比売は18歳とされています。

日本武尊との間に子どもはできませんでしたが、尾張の巫女となったとも、尾張の国造の祖先になったとも言われています。

美夜受比売の邸宅は現在の氷上姉子神社付近だったと言われており、熱田神宮創建前草薙の剣が奉斎されていた場所とされています。

氷上姉子神社は、美夜受比売が96歳で亡くなった時に、日本武尊の子である第14代仲哀天皇(母は美夜受比売ではない)が、美夜受比売の霊を祀るためにを建立したという説があります。

前の記事

次の記事

古事記の他の記事

古事記の他の記事はこちらからご覧ください。

上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

にほんブログ村

コメント一覧
  1. この度は熱田神宮の由来について勉強させて頂きました。
    草薙の剣の所以は度々ブログにて解説されていらっしゃいます為、誰に訊ねられてもお答え適うようになりました。
    草薙の剣や三種の神器は幾たびも複製されているとお聞きします
    現代の3Dを駆使すれば…バチ当たりですね。

    • ありがとうございます♪
      ミヤズヒメも立派な奥様でしたね。
      お若くして未亡人になられ、しかもアマテラスの神剣を預けられっぱなしで。
      大変なご負担だったことでしょう。

      草薙の剣、せめてどんな物か図でも残っていると嬉しかったですね。

  2. ミヤズヒメは96歳までずっと剣を守り抜いたのですね。
    ヤマタノオロチの尻尾から出てきたからとても大きな剣だったとおもうので大変だったと想像します。

    • ありがとうございます♪
      ミヤズヒメは若くして未亡人となり、神剣を預かってしまって大変だったでしょうね。
      でも、ちゃんと奉納してくれてよかったです。

  3. ヤマトタケルも自分の力を過信したのか、美しいミヤズヒメにいいところを見せようとたしたのか、はたまた、オトタチバナヒメの怨念か、伊吹山で命尽きるのですね一度行ってみたい熱田神宮の由来がわかりました。ありがとうございます

    • ありがとうございます♪
      オトタチバナヒメの怨念説もありますか?泣
      まあ、命を犠牲にしたのに、さっさと若い嫁を貰ったものだとは思いましたけど、、、。

  4. キヨさんコメント

    ミヤズヒメが亡くなったのは96歳ですか…
    18歳で大恋愛をして、子もなせないまま未亡人になって…タケルさんとの思い出だけを頼りに過ごすには人生はどんなに永遠に感じた事か。
    しかも、ご神剣まで預けられて、最初のうちこそ形見に慰められた時もあったかもしれませんが、扱いに困ったでしょうね〜。

    • ありがとうございます♪
      ミヤズヒメは辛かったでしょうね。
      若い娘が御子をたぶらかした、というようなことも言われたでしょうし。

      原点に返って草薙の剣を考えると
      スサノオから天照大御神、その後天孫降臨で邇邇芸に。
      そして垂仁天皇の皇女、倭比売が伊勢神宮に奉納。
      その倭比売が日本武尊に渡した物ですね。

      そのように大切な剣を最後の妻とはいえ、尾張の国造の娘の元の長年置いてあったのは不自然でしょう。
      日本武尊が崩御した時に、倭比売がもしご存命であれば、頼りになる倭比売おばさんが助けてくれたのではないかと想像しています。

  5. ミヤズヒメは剣を守り続けたり、剣を祀る社地を選定されたりして、ずっと操を守って本当に立派なお方でしたね。結婚もされているし、系譜に入れてもらえなかったのは、系譜作成時、御存命だったら不服でしたでしょうね。
    古事記、日本書紀以外にミヤズヒメに関連する書物『尾張国熱田太神宮縁起』もあることを紹介してくれて、知識が増えました。ありがとうございます。

  6. 「何を思って剣を置いていったのか」はやっぱり気になるところではあるのですが,
    これまたやっぱりヤマトタケルからのミヤズヒメへの想いの強さからだったのでしょうか。
    コメントでも読ませていただいた「18歳~96歳までヤマトタケルを想い,操を立てて生きる」となると・・本当に,確かに,どんなお気持ちだったかな,と。
    文書としてはさらっと記述し残されていただけだとしても,そこにはやっぱりものすごい物語があるのですよね。

    熱田さんの成り立ち,改めて勉強になりました(^^)/熱い田んぼで獲れるお米はどんな味がしたんでしょうね。
    写真,使っていただいてありがとうございますー

    • ありがとうございます♪
      ヤマトタケルが30歳、ミヤズヒメが18歳となるいうことを考えると、
      やはりカッコつけたかった&寂しがるミヤズヒメに確実に戻ってくるよという意思表示をしたかったのではないでしょうか。
      可愛くて仕方がなかったのでしょう。
      そう考えると、ヤマトタケルも最後に幸せな思いができて良かったなと思います。
      その後のミヤズヒメさんは、若くして未亡人になってしまったので気の毒ですが、このような英雄に愛されたのですから、巫女となったにしても大変幸せな人生だと思います。というか思いたいですね。
      熱田神宮さんの写真ありがとうございます!
      2回も行ったはずなのですが、
      写真の管理が悪かったのでとても助かりました。

コメントを残す

おすすめの記事