『古事記』イザナキとイザナミによる「国生み①」[大八嶋国] 現代語訳と解説
イザナキとイザナミ

地上に降臨したイザナキイザナミは最初の子「ヒルコ」と最初の島「淡嶋」を生みました。

しかし、いずれも不完全だったので天上に戻り、天津神たちと太占にアドバイスを求めると

「女(イザナミ)が先に話しかけたのが良くないからやり直せ」と言われました。

この「国生み」の場面ではアドバイス通りやり直し、多くの島と神を無事に生みます。

「国生み」

はる
「古事記」本文の現代語訳としては
『古事記』[イザナキとイザナミ] 「ニ神の結婚」現代語訳と解説
の続きになります。

()内とオレンジ色の🔸内は注釈です。

結婚のやり直し

そこで二神 (イザナキとイザナミ) はオノゴロ島に帰り、

天の御柱を先ほどと同じように(イザナキが左回り、イザナミが右回り)で行きめぐりました。

そしてイザナギが先に

イザナキ
ああ、なんて素敵な女性なんだ!

と言い、後からイザナミが

イザナミ
ああ、なんて素敵な男性なのでしょう!

と言いました。

大八嶋国誕生

大八嶋国ができた順番

①こう言い終えてから交わり、生んだ子は淡道之穂之狭別(アワジノホノサワケノシマ・現在の淡路島)です。

最初に作った淡路島は「淡嶋」という字の失敗作でした。

作り直した淡路島は「淡道之穂之狭別」という完成された島になりました。

淡道之穂之狭別」は粟の初穂の男神の島という意味です。

」という文字は男性のお名前に使われていた文字です


②次に伊予之二名 (イヨノフタシマ・現在の四国)を生みました。

この島は身体は一つだが顔が四つあり、それぞれの顔に名前があります。

すなわち、

伊予国愛比売 (エヒメ・現在の愛媛県)といい

讃岐国飯依比古(イイヨリヒコ・現在の香川県)といい

粟国大宜都比売(オオゲツヒメ・現在の徳島県)といい

土左国建依別 (タケヨリワケ・現在の高知県)といいます。

愛比売は可愛い(立派な)女神

飯依比古は飯の霊が依り憑く男神

大宜都比売は偉大な食物の女神

建依別は勇敢な(猛々しい)霊が依り憑く男神

という意味です。


③次に隠伎之三子 (オキノミツゴノシマ・現在の隠岐島は四島ありますがこの時代に航路となっていたのは三島だけだったかもしれません)をお生みになりました。

またの名は天之忍許呂別 (アメノオシコロワケ)です。

天之忍許呂別は天上界と関連のある立派で威圧的に凝り固まった男神

という意味です。


④次に筑紫 (ツクシノシマ・現在の九州の総称)をお生みになりました。

この島もまた、身体は一つだが顔が四つあり、それぞれの顔に名前があります。

すなわち、


筑紫国 (後の筑前・筑後、現在の福岡県を中心とした地域)を白日別 (シラヒワケ)といい


豊国 ( 後の豊前・豊後、現在の大分県相当)を豊日別 (トヨヒワケ)といい


肥国 (ヒノクニ 後の肥前・肥後 佐賀県、長崎県、熊本県相当)を建日向日豊久士比泥別 (タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)といい


熊曾国 (クマソノクニ 後の肥後南部と薩摩を合わせた名前、現在の熊本県南部と鹿児島県相当)を建日別(タケヒワケ)といいます。

のちにニニギが降臨したと言われる日向 (宮崎県)は登場しません。

白日別は明るい太陽の男神

豊日別は光が豊かな太陽の男神

建日向日豊久士比泥別 は勇猛で太陽に向かう太陽の光が豊かで霊妙な力のある男神

建日別は勇猛な太陽の男神

という意味です。


⑤次に伊伎 (イキノシマ・現在の壱岐島)を生みました。

またの名を天比登都柱 (アメノヒトツハシラ)といいいます。

天比登都柱は天と地を繋ぐ一本の柱

という意味です。


⑥次に (ツシマ・現在の対馬)を生みました。

またの名を天之狭手依比売 (アメノサデヨリヒメ)といいます。

天之狭手依比売は天上界と関連のある立派な「さで網」に霊が依り憑く女神

という意味です。

さで網」とは海人が魚を取る時に使う縄を神格化したもののこと。


⑦次に佐度 (サドノシマ・現在の佐渡島)を生みました。


⑧次に大倭豊秋津 (オオヤマトトヨアキヅシマ・現在の本州ですが畿内を指します)を生みました。

またの名を天御虚空豊秋津根別 (アメノミソラトヨアキヅネワケ)といいます。

天御虚空豊秋津根別は天の美空に群れ飛ぶ蜻蛉の男神

という意味です。

「日本書紀」では神武天皇が、国土を一望して

トンボのよう(な形)だ」とおっしゃったので

本州を秋津島(アキズシマ)と呼ぶようになった

と記されています。


 

この八つの島をまず生んだことから、この国を大八嶋国 (オオヤシマクニ)といいます。

(本文ここまで 『古事記』イザナキとイザナミによる「国生み②』[六嶋]現代語訳と解説 に続きます。)

おおむね左廻りで作られた大八嶋国

淤能碁呂嶋に降り立ったイザナキとイザナミは「天の御柱」をイザナキが左廻り、イザナミが右廻りをしました。

中国神話の影響で左のほうが上位と考えられていたためだと言われています。

国生みも③の隠伎之三子 (オキノミツゴノシマ・現在の隠岐島)は例外ですが、おおむね左廻りで完成しています。

また、海路がすでに発達していて交易が盛んだったこと、「古事記」が書かれたのがおそらく畿内だったことがわかります。

生まれた嶋に神名をつけて神格化

大八嶋国はイザナキとイザナミが生んだ島々です。

国土はイザナキとイザナミが天津神の命令によって生んだ神であることを表しています。

四国は穀物の神が、九州は太陽の神が多いことから、「国土」や「自然」を大切な同胞として見ていることがわかります。

終わりに

イザナキとイザナミは天津神の命令と太占にアドバイスをもらって正しく結婚をして、国土を生み進めています。

もう少し国生みが続きます。

古事記の他の記事

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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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