(113)『古事記』日本神話タロット 剱ノ伍 日本武尊の熊曽征伐 
剱ノ伍(ソード5)「偽装」

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これまでのあらすじ

誤解から兄「大碓命(オオウス)」を殺してしまった「小碓命(ヤマトタケル)」は父の景行天皇熊曽征伐をするよう命じられます。

九州に行く前に、伊勢神宮の斎宮をしている叔母「倭比売(ヤマトヒメ)」を訪ね、着物をいただきました。

「古事記」における熊曽征伐

女装したヤマトタケル(月岡芳年 画)

少女に変装する「小碓命(ヤマトタケル)」

小碓命(ヤマトタケル)」は「熊曽建(クマソタケル)」の家の辺りに到着しましたが、軍勢で固められていて、容易に踏み込めそうもありません。

機会をうかがっていると、「熊曽建(クマソタケル)」は家の増改築祝いをしようということになり、ご馳走の準備が始まりました。

そこで「小碓命(ヤマトタケル)」は髪を下ろし、叔母からもらった着物を着て少女に変装しました。

そして女たちに紛れ込み宴に潜入すると「熊曽建(クマソタケル)」兄弟たちに気に入られ、間に座らされました。

宴もたけなわになった時、「小碓命(ヤマトタケル)」は懐に隠し持っていた剣を抜き、「熊曽建」の兄の方の胸を刺し貫きました。

それを見た「熊曽建」の弟の方が逃げ出すと「小碓命(ヤマトタケル)」は追いかけ、尻に剣を突き刺しました。

すると

熊曽建
その剣を抜かないでください。
私には申し上げたいことがあります。
あなたは一体どなたですか。
ヤマトタケル
私は景行天皇の息子です。
おまえらが天皇に服従しないで無礼だから、天皇に殺すよう言われて来たのだ。
熊曽建
まさしくそうでしょうね。
西の方には、私たち兄弟ほど強い者はいませんでしたが、大和国には強い方がいらっしゃっいました。
今後は貴方に建(タケル)の名前を差し上げ、「ヤマトタケルの御子」と呼んで敬います。
(だから助けてください。)

しかし「小碓命(ヤマトタケル)」は聞き入れず、熊曽建の体を切り裂きました。

日本神話タロット 極参 剱ノ伍(ソード5)「偽装」

剱ノ伍(ソード5)の意味

正位置

攻撃的、執念、非情、手段を選ばない、強引な勝利

逆位置

敗北感、不名誉、落胆、闘争の長期化

解説文写し

クマソタケルの宮についたオウスノミコトは、ヤマトヒメに授かった着物を着て寝室に忍び込みました。

あまりの美しさに油断した兄のクマソタケルを殺し、次に弟を殺しました。

弟は死に際に、「西の国に我ら2人より強いものはいなかったが、大倭国には我ら2人より強いものがいた。」と賞賛しヤマトタケルの名を与えましたがその直後、真っ二つに切り裂かれました。

参考記事

日本神話タロット「極参」

はるさん的補足 ヤマトタケルが倭比売の着物を着た理由

近松門左衛門(1653〜1725)

近松門左衛門が面白おかしく脚色

この場面から「ヤマトタケル」は女装の元祖とされることがあります。

日本人は筋骨隆々とした英雄よりも牛若丸のような「美少年なのに強い」英雄を好む傾向にあるそうです。

江戸時代に近松門左衛門が「日本武尊吾妻鑑(ヤマトタケルノミコトアズマカガミ)」という浄瑠璃を作り(面白おかしく脚色され)ました。

それが流行ると、

それまで主に「アメノムラクモ」使いの英雄として認識されていた「ヤマトタケル」が

女装の英雄」「女装のパイオニア」として有名になってきました。

本居宣長が釘をさす

本居宣長(1730〜1801)

そこに新しい解釈を唱え、浄瑠璃愛好者に釘をさしたのは本居宣長です。

ヤマトタケル」は倭比売の着物を着て不服従者を刺しました。

倭比売は伊勢で「天照大御神(アマテラス)」を祀る斎宮です。

着物は霊力を表しており、「ヤマトタケル」は「天照大御神」や「倭比売」に代わって刺したのだ。

と述べました。

ともすると下品に語られる場面ですが、品性を感じる解釈ですね。

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コメント一覧
  1. 「筋骨隆々の英雄じゃなく、美少年なのに強い」は、確かに日本人特有の好みなのかもしれませんね。アメリカとかだととにかく筋肉ガッシリがすごい、なんとかヒーローズとかアメリカンコミックの主人公たちは基本みんなムキムキだったりするのに対して、日本には「ニンジャ」が居たり「相手の力を利用して投げる」柔道、「合気道の達人」とかもムキムキじゃない小柄なおじいちゃんだったり。(あとは、「萌え」ですか)
    浄瑠璃で面白おかしく描かれたというのが実際のところぽいのですね。加熱する風潮に対する本居宣長の
    「この作戦成功はヤマトヒメの霊力のおかげなのだ」は納得のいく説ですし、「あと、天照大神を祭祀する方にかかわるお話なので、あんまり粗相の無いように」(悪ノリはいかんよ)と繋いだというのであれば、無理も嫌味も少ないとても理知的な諌めのように感じます。(さすが)

    • ありがとうございます♪
      なるほど!日本人は今に至るまで、
      あんまり強そうじゃないけど強いヒーロー
      が好きなんですね。
      賢かったり、すばしっこかったりの。
      ヤマトタケルの若い頃や義経はドンピシャですね。
      近松門左衛門の筆力があれば、さらに面白いヒーローが誕生しそう。
      宣長説は倭比売が着物をあげたことの整合性を示していて、
      アマテラスに代わってお仕置きよ!
      というのもカッコいいと思いました。
      ただ、ヤマトタケルは味方の軍勢はいないので、多少卑怯な戦い方をしないと殺されてしまう運命。
      使えるものは使って騙して?勝ったという読み方が一般的のようですね。

  2. この度もカードの意味は意味深いですね
    その中でも”不名誉”と何を指すのでしょうか
    勿論、ヤマトタケルさまの行動を指すものと思われます
    近松門左衛門さまの脚色には私も違和感を覚えます
    本居宣長公の様な研究者のお陰を以って現在のヤマトタケル像は英雄とされるのでしょうね。

    • ありがとうございます♪
      ヤマトタケルは味方の軍勢なく敵方に潜入させられました。
      少女に偽装して油断させ、、、というのは相手から見ると卑怯な手に見えるかもしれませんね。
      命乞いも受け入れないので、卑怯で優しくないという評価があってもおかしくないとおもいます。
      本居宣長がヤマトタケルを上代きっての英雄としたのは間違いないと思います。

  3. 国を統一するということは、多くの部族の犠牲の上に成り立っているのですね。倭姫とアマテラスの霊力が味方したといえど、九州地方を治めていたクマソ兄弟達は、女装したヤマトタケルに一瞬油断して命を落とし、物悲しいお話です。出雲一族も滅ぼされたのですよね?

    • ありがとうございます♪
      地方豪族や土蜘蛛を統治しないといけないのですね。
      海幸山幸の海幸彦の子孫が隼人になっているのですが、そこからの反乱分子なのでしょうね。
      次回が出雲建です。

  4. ヤマトタケルは強くて若く、美しいけど、ちょっと人情味に欠けているように感じます。あるいは、上の者に征伐に行くように命じられたら、ちゃんと征伐しなくてはいけない時代だったのかしら?
    本居宣長は、ヤマトタケルは倭比売から頂いた戦いの道具を使っただけという見解ですね。
    たまたまそれで女装になったという見方は、ヤマトタケルの、例えば、所作が女っぽいのでは?とか、正々堂々としていないんじゃないか、とかの疑いの払拭に貢献したのでしょうね。

    • ありがとうございます♪
      15歳で味方の軍勢がない状態で熊本南部まで行っているので、征伐する機会を一瞬でも逃したら、やられてしまいますよね。
      緊張の連続だったと思いますが、オオウス殺害の時も、クマソも思い切りがいいというか、、、。
      天皇の命令には背けないでしょうね。
      次期天皇を狙っていたでしょうし。

      ヤマトタケルは日本書紀では女の子として育てられたので、倭比売の着物が似合ったと思うのですが、古事記ではこれまで武術の稽古をみっちりやってきたことが想像されます。
      だから倭比売の着物を着て霊力が乗り移って
      アマテラスに代わってお仕置きよ!
      っていうのが宣長の好きな整合性のある考え方なのかもしれませんね。

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