これまでのあらすじ
垂仁天皇と「サホビメ(沙本毗売)」の御子
「ホムチワケ(本牟智和気)」は大人になっても言葉を話すことができません。
ある時、白鳥を見て、何かを言いたそうにしたので、
垂仁天皇はその白鳥を捕獲させました。
しかし、もう一度その白鳥を「ホムチワケ」に見せましたが言葉を発しませんでした。
垂仁天皇の夢に大国主命が
垂仁天皇がお休みされていると、大国主命(オオクニヌシ)の夢をみました。
「ホムチワケ」がしゃべれなかったのは出雲の大国主命の祟りだったのです。
そこで「ホムチワケ」を出雲に参拝に行かせることにします。
随行者の選定
誰を随行させようか占うと、
「曙立王(アケタツノミコ)」が良いと出ました。
本当に「曙立王」が適任かウケイをさせることにしました。
「ウケイ」とは簡単に言えば占いの一つです。
「〇〇なら△△になる、✖️✖️なら□□になる」とあらかじめ決めて誓約し、どうなるかによって神の意思や物事の正邪を判断する方法です。
この池に住む鷺(サギ)よ、
ウケイ通り落ちよ
するとその鷺は池に落ちて死にました。
そして
と言うと、鷺は復活しました。
また、甘樫丘(アマカシノオカ)の岬の葉の広い大きな白樫の木をウケイ通り枯らし、
ウケイ通り蘇生させました。
それにより「曙立王」は
「倭(ヤマト)は師木の登美(トミ)の豊朝倉(トヨアサクラ)の曙立王」という名前を賜ります。
垂仁天皇は「曙立王」と「菟上王(ウナカミノミコ)」を御子に添えて派遣しました。
出雲で
こうして出雲に着き、
大国主命を参拝し終わって都に帰る時に、
斐伊川(ヒイノカワ)の中に丸太橋を造り、
仮宮をお造りして御子においでいただきました。
そして出雲の国造の祖先である「キヒサツミ(岐比佐都美)」が御子にお食事を差し上げようとすると
もしかしたら出雲に鎮座なさる大国主命を祀り申し上げる神職の祭場なのか?
と、お聞きになりました。
「曙立王」と「菟上王」は、御子のお言葉を聞いて喜び、
この知らせを早馬を使い垂仁天皇に知らせました。
ホムチワケの一夜婚
その間に「ホムチワケ」は「ヒナガヒメ(肥長比売)」と結婚しました。
しかし御子が「ヒナガヒメ」を(翌朝?)覗き見してみたら蛇でした!
御子は恐ろしくなって逃げました。
「ヒナガヒメ」は船に乗って追いかけてきましたが、
御子はさらに怖くなって必死で都に逃げました。
この挿話は単に出雲の神を祀った結果、言葉が話せるようになっただけでなく、
出雲の神の正体である蛇の姿をした神女とまぐわいをすることによって成人格を与えられたことを示すと考えられています。
喜ぶ垂仁天皇
都に戻った曙立王は垂仁天皇に、
出雲で大国主命を拝んだことによって
「ホムチワケ」が話せるようになったことを報告します。
天皇は喜び、「菟上王」を出雲に引き返させ大国主命の宮を造らせました。
また、天皇は御子のために鳥取部(トトリベ)・鳥甘(トリカイ)などをお定めになりました。
鳥取部・鳥甘とは
水鳥を捕獲してそれを飼育する職業集団のことです。
はるさん的補足 ホムチワケの正体は
「ホムチワケ」は垂仁天皇の御子ではありますが、16人もいた御子の1人で、
しかも母親「サボヒメ」は裏切り者でした。
にもかかわらず「古事記」では「ホムチワケ」についてかなり丁寧に記しています。
「ホムチワケ」は天皇になったか?
「ホムチワケ」は垂仁天皇の御子ではなく、
別の天皇の幼少期を記した物を垂仁天皇の章に溶け込ませたのではないかという推察をする人もいます。
その根拠は、
「ホムチワケ」は炎の中で生まれ、口がきけなくなり、神のご加護で治りました。
このような神話的な構造は天皇の出現を暗示させる物です。
しかし「古事記」には「ホムチワケ」についてこの後の記述はありません。
第15代応神天皇か?
第15代応神天皇の名前は1文字違いの「ホムダワケ(品陀和気)」です。
後に軍神八幡神となる天皇ですね。
もしかすると応神天皇の幼少期の記述が「古事記」編纂時に垂仁天皇の所に入って溶け込んでしまったのかもしれません。
古事記の他の記事
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)