

1866年、日本とベルギー(白耳義)は日白修好通商航海条約に調印し、両国の永続的なパートナーシップが始まりました。
ベルギーは白耳義という漢字で表記されるので、
明治時代の文書には「白」という文字で表されることがあります。
ベルギーは、日本の開国後に正式な外交関係を樹立した9番目の欧米諸国となりました。
修好160年を記念して2026年の今年は、音楽、ビール、絵画など様々なイベントが開かれているようです。
國學院大学では協定校であるベルギーのルーヴェン・カトリック大学と共催、 駐日ベルギー大使館の後援のもと、「修好160年を記念する特別展」を開催しているので行ってきました。
「日本ベルギー修好160周年記念-美と知の交流の軌跡-」展
この展覧会では、「美」と「知」をキーワードに両国の交流の軌跡を双方向から紹介していました。
丁寧に仕舞われていた物が多いとのことで、喜多川歌麿や歌川国芳の浮世絵などが(日本にあるものより)綺麗な状態で見られるのが私にとっては最大の見どころですが
政治や歴史に興味のある人なら、「源慶喜」の署名の入った貴重な文書などをゆっくり堪能する絶好の機会となるでしょう。
序章 明治天皇からの贈り物ー初里帰りの美術品
会場の前に大きな花瓶が目に入ります。
綺麗なコバルトで絵付けされたこの花瓶は宮川香山氏が製作した物です。

そして菊、萩、百合、撫子、水仙などが描かれ、完成までに45ヶ月かかった蒔絵文箱を見ることができました。
第1章 「修」ー国交のはじまりー

・左上 日白修好通商航海条約 (源慶喜 署名)
・右上 日白修好通商航海条約 (仏・蘭文の超印書)
・左下 日白修好通商航海条約 (和文の仮条約)
・右下 税制
1866年に締結された日白修好通商航海条約により両国間の外交関係は正式に樹立されました。
当時、ベルギーは1830年建国以来の中立国で外国との修好通商条約締結を通じて経済的利益の拡大を目指していました。
この締結は日本と他国との条約同様に不平等なものでした。
日本は神奈川、長崎、函館を開港、貿易・航行の自由、最恵国待遇、治外法権、日本における宗教活動の自由を規定しました。
第2章 「交」ー有栖川宮 熾仁親王のベルギー訪問ー
1882〜3年頃に有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)が欧州訪問をされた際、ベルギーも訪問されました。

・左上 有栖川宮 熾仁親王
・右上 ボンボニエール (高松宮家)
・左下 井上馨外相の駐日ベルギー代表当ての感謝状仏訳
・右下 井上馨外相の駐日ベルギー代表当ての感謝状
有栖川宮熾仁親王は明治天皇の命を受け、ロシア皇帝の戴冠式に出席、欧米各国をまわり、現地の政治・軍事情報を調査しました。
ここではベルギーの外交資料館および王宮資料館で保管されている文書から有栖川親王のベルギー滞在の様子を展示されていました。

・左上 有栖川宮熾仁親王が訪れた名所の絵葉書、レオポルド2世等の肖像
・右上 有栖川二品親王 欧米巡遊日記
・左下 有栖川二品親王 欧米巡遊日記(仏訳)
・右下 ラーケン城で行われたレオポルド2世の晩餐会席次表
第3章 「知」ー日本とベルギーの修学ー
1830年に建国されたばかりのベルギーは近代化を進める日本にとって模範となる国の一つでした。

・左上 憲法説明草案
・右上 王国建国法
・左下 仏和辞典
・右下 仏和会話辞典
岩倉使節団もベルギーを訪れており、
1882年に開業した日本銀行もベルギー国立銀行を手本にしました。
また、第日本帝国憲法の起草者の一人、井上毅氏はベルギー憲法を学んだそうです。

上 仏和大辞典
中 日本語教本
下 日本語講座の案内書
第4章 「美」ー海をこえたUkiyo-eー
17世紀後半に誕生した浮世絵は、時代の先端をいく楽しい主題と手頃な価格で江戸庶民の主要なメディアになりました。

・左上 当時三美人 (喜多川歌麿)
・右上 吉原の夜 (歌川国芳)
・左下 異国の女性と羊 (魚屋北渓)
・右下 3代目大谷鬼次の江戸兵衛 (東洲斎写楽)
海外にも多くの愛好者を得て19世紀後半にジャポニズムが流行するきっかけとなりました。
ベルギー王立美術館所蔵の浮世絵は7600点を超えますが、保存状態がよく、当時の色彩を感じることができました。

・左上 見立邯鄲の夢 (喜多川歌麿)
・右上 鬼灯を鳴らす母と子 (喜多川歌麿)
・左下 見立邯鄲の夢 の説明
・右下 調布の玉川 定家 (鈴木春信)
海外の人は歌川国芳がお好きですね。
このような浮世絵を見ると人気の秘密がよくわかるような気がします。
鮮やかな色彩にコミカルな動物たちの動きや表情、スサノオの「八岐大蛇」が海外の方に伝わったかな?と思うとワクワクします。
お酒を飲ませて酔わせる場面ですね。

・上 金魚づくし にはかあめんぼう (歌川国芳)
・下 金魚づくし すさのおのみこと (歌川国芳)
第5章 「憧」ー浮世絵に見る東西文化の交流ー
明治時代になっても浮世絵のメディアとしての役割は健在でした。
都市部では西洋風の建物や建築、街灯などの設置が進みます。
浮世絵師たちも時代の変化に柔軟に対応しました。
一方で浮世絵を通して海外から日本文化の理解が深まりました。

・左上 幻燈写心競 (楊洲周延)
・右上 山海目出たい図絵 双六 (歌川国芳)
・左下 東風俗福づくし (楊洲周延)
・右下 子供遊び画帳 (小林永濯)
第6章 「創」ー東洋からの着想とドートルモンー
20世紀のベルギーを代表する詩人で画家のクリスチャン・ドートルモンはシュールレアリズムに参加した後、「コブラ」という前衛芸術活動の主導的な役割を果たしました。
若い頃に日本の手書き文字を学んだ影響が、ドートルモンのロゴグラムに表れています。

上 ロゴグラム(偶然事の地理上及び地質学上の行程)
中 ロゴグラム(言葉とはそれが示す事物ではなく、もちろん事物である)
下 ロゴグラム(言葉の調子が狂い、猛り狂わんことを)
見学を終えて
ベルギーも当時の欧米諸国同様に植民地を広げようとしていました。
そんな中、日本は「地理的に遠い」という利点はあったものの、勤勉な国民性や浮世絵などの高度な文化で西洋諸国を魅了し、尊敬され植民地化は免れました。
その後、第二次世界大戦などを経て、1951年の講和条約の締結によって平等な外交関係となりました。
その間も日本とベルギーの関係は皇室や文化、義援金などで繋がっていました。
今後もこのようなイベントを通して相互理解を深め、友好的な関係を維持していくことが大切だと思いました。
シミのない浮世絵、関東大震災で燃えてしまって日本には残っていない「日白修好通商航海条約」など、見どころはいっぱいです。
渋谷という便利な立地で、入場無料ですから、興味がある方はお散歩がてら是非訪れてみてはいかがでしょうか。
会場・休館日など
会場は國學院大学博物館です。
令和8年6月28日まで!
アクセス・休館日などはこちらでお確かめください。
















