ラピスラズリから作る「ウルトラマリン」
フラ・アンジェリコ「受胎告知」1435年頃

ラピスラズリから作る顔料

鉱物をすり潰して作る顔料は 色々あります カルサイト  →白 ルビー    →赤 孔雀石    →緑 などです それらの中で、一番有名で 一番高価な顔料の材料は ラピスラズリでしょう
参考記事
顔料

ラピスラズリを使った顔料の歴史

バーミヤン石窟の天井画

最初は「原産地」アフガニスタン

ラピスラズリを粉末にして
顔料として最初に利用されたのは
6〜7世紀に出来たと言われる
アフガニスタンの寺院の洞窟画とされています

これは、すべての鉱物を顔料として使った物の
最初の物と言われています

現在も
バーミヤン石窟(アフガニスタン)の 天井画や

キジル石窟(中国ウイグル自治区)
鮮やかな色彩が残っています

キジル石窟

イタリアで人気に

14〜15世紀にかけて、
イタリアの装飾写本や陶板画に
使用されるようになりました

「べリー公のいとも豪華なる時祷書」 が有名です

「ベリー公いとも豪華なる時祷書」1413年頃
また、14、5世紀には壁画にも
多く使われました
この時期が使用量の最盛期だった
ようです

スクロヴェーニ礼拝堂 の壁画が有名です

スクロヴェーニ礼拝堂1305年

海を渡って来たから
「ウルトラマリン」

14、5世紀にはラピスラズリの原石が
アフガニスタンから海路で
イタリアのヴェネツィアまで
運ばれて来ていました

そのため
ヨーロッパではこの顔料は
「ウルトラマリン」
と呼ばれていました

金より貴重な
「ウルトラマリン」

「ウルトラマリン」は
ラピスラズリをただ砕いた物ではなく、
ラピスラズリから青の成分を抽出し、
濃縮させなくてはいけないなど、
手間のかかる顔料です

したがって、非常に高価
顔料となり
金より貴重な顔料
と呼ばれるようになりました

「ウルトラマリン」を
手に入れた主な画家と
入れられなかった画家

フラ・アンジェリコ「受胎告知」1435年頃

手に入れた画家

フラ・アンジェリコ

1425年頃、描かれたとされる
受胎告知」(画面1番上参照)は初期ルネサンスの傑作と 言われています

修道士だったフラ・アンジェリコは
マリアさまの羽織る布に
ふんだんに「ウルトラマリン」を
使用しました

ラファエロ
若々しい聖母マリアと幼児キリスト
ひざまずくヨハネを描いた
牧場の聖母」もマリアさまの
羽織る布に「ウルトラマリン」
を使っています

1506年、ラファエロが23歳の作品です

フェルメール
フェルメール「真珠の耳飾りの少女」1665年
オランダ人のフェルメールも
ラピスラズリの顔料に魅せられた
画家の1人です

真珠の耳飾りの少女」は1665年の
作品です

フェルメールは、「真珠の耳飾りの少女」や
「牛乳を注ぐ女」など、身分の高くない人の
風俗画に「ウルトラマリン」を
使用しました

高価な「ウルトラマリン」を
たくさん使ったため、
家族は困窮してしまいます

しかし、後世、「ウルトラマリン」は
「フェルメールブルー」とも呼ばれるように
なりました

手に入れられなかった画家

ミケランジェロ
ミケランジェロ「キリストの埋葬」1500年頃
高価な上に流通量も少なかった
「ウルトラマリン」を
手に入れられなかった画家は
たくさんいます

その1人がミケランジェロです
ミケランジェロが1500年頃製作した
キリストの埋葬」は右下の部分が未完成です

そこに「ウルトラマリン」の
マントを羽織ったマリアさまを
描きたかったのではないかと推測されています

しかし手に入れることが出来なかった

だから、この絵は未完成で終わってしまったのだ
と、言われています

「ウルトラマリン」のその後

ラピスラズリ
1828年にドイツ人の研究者
クリスティアン・グメリン氏によって
「ウルトラマリン」の代わりの顔料が
開発されました

高品質で安価な代用品が出たことで
「ウルトラマリン」は徐々に
姿を消していくことになりました

でも、今でも、
天然「ウルトラマリン」に
こだわる画家はいるので
生産はしているそうです
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