これまでのあらすじ
「古事記」における成務天皇
第13代成務天皇は近江国の志賀の高穴穂宮(タカアナホノミヤ・現在の滋賀県大津市穴太)で天下をお治めになりました。
成務天皇が穂積臣の祖である建忍山垂根(タケオシヤマタリネ)の娘、弟財郎女(オトタカラノイラツメ)と結婚してお生みになった御子は和訶奴気王(ワカヌケノミコ)お一人です。
子がお一人なのは
父の景行天皇が80人も子を作ったことへの反感があったからとも、
体が丈夫でなかったからとも言われています。
そして、建内宿禰(タケウチノスクネ)を大臣(オオオミ)として登用し、大国・小国の国造をお定めになり、
また国々の境界と大県(オオアガタ)・小県(コアガタ)をお定めになりました。
「日本書紀」では建内宿禰は景行天皇の時から登用されています。
ここでいう「大臣」というのは令制の大臣ではなく、宮廷諸臣を束ねる最高身分です。
畿外諸国に大国と小国を置きました。
成務天皇の御寿命は95歳、乙卯(キノトウ)の年の3月15日に崩御なさいました。
御陵は、佐紀の多他那美(タタナミ・現在の奈良市山陵町)にあります。
はるさん的補足 実は有能?成務天皇
成務天皇についてはこれ以上の記述はありません。
「日本書紀」にもほぼ同様な内容しか書かれていません。
成務天皇はこの時までの地方の族長を天皇統治下の国の長とし、下部構造に県主を定めて、
天皇を頂点とする行政機構を確立し県主が治める領域を定めました。
「古事記」の序文「過去の回顧」に崇神天皇の祭祀、仁徳天皇の善政、允恭天皇の氏姓改革と並ぶ偉業として成務天皇の事績を扱っています。
古事記の他の記事
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上巻(序文から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)