これまでのあらすじ
誤解から兄「大碓命(オオウス)」を殺してしまった「小碓命(ヤマトタケル)」は父の景行天皇に熊曽征伐をするよう命じられます。
九州に行く前に、伊勢神宮の斎宮をしている叔母「倭比売(ヤマトヒメ)」を訪ね、着物をいただきました。
「古事記」における熊曽征伐
少女に変装する「小碓命(ヤマトタケル)」
「小碓命(ヤマトタケル)」は「熊曽建(クマソタケル)」の家の辺りに到着しましたが、軍勢で固められていて、容易に踏み込めそうもありません。
機会をうかがっていると、「熊曽建(クマソタケル)」は家の増改築祝いをしようということになり、ご馳走の準備が始まりました。
そこで「小碓命(ヤマトタケル)」は髪を下ろし、叔母からもらった着物を着て少女に変装しました。
そして女たちに紛れ込み宴に潜入すると「熊曽建(クマソタケル)」兄弟たちに気に入られ、間に座らされました。
宴もたけなわになった時、「小碓命(ヤマトタケル)」は懐に隠し持っていた剣を抜き、「熊曽建」の兄の方の胸を刺し貫きました。
それを見た「熊曽建」の弟の方が逃げ出すと「小碓命(ヤマトタケル)」は追いかけ、尻に剣を突き刺しました。
すると
私には申し上げたいことがあります。
あなたは一体どなたですか。
おまえらが天皇に服従しないで無礼だから、天皇に殺すよう言われて来たのだ。
西の方には、私たち兄弟ほど強い者はいませんでしたが、大和国には強い方がいらっしゃっいました。
今後は貴方に建(タケル)の名前を差し上げ、「ヤマトタケルの御子」と呼んで敬います。
(だから助けてください。)
しかし「小碓命(ヤマトタケル)」は聞き入れず、熊曽建の体を切り裂きました。
日本神話タロット 極参 剱ノ伍(ソード5)「偽装」
剱ノ伍(ソード5)の意味
・正位置
攻撃的、執念、非情、手段を選ばない、強引な勝利
・逆位置
敗北感、不名誉、落胆、闘争の長期化
解説文写し
クマソタケルの宮についたオウスノミコトは、ヤマトヒメに授かった着物を着て寝室に忍び込みました。
あまりの美しさに油断した兄のクマソタケルを殺し、次に弟を殺しました。
弟は死に際に、「西の国に我ら2人より強いものはいなかったが、大倭国には我ら2人より強いものがいた。」と賞賛しヤマトタケルの名を与えましたがその直後、真っ二つに切り裂かれました。
参考記事
はるさん的補足 ヤマトタケルが倭比売の着物を着た理由
近松門左衛門が面白おかしく脚色
この場面から「ヤマトタケル」は女装の元祖とされることがあります。
日本人は筋骨隆々とした英雄よりも牛若丸のような「美少年なのに強い」英雄を好む傾向にあるそうです。
江戸時代に近松門左衛門が「日本武尊吾妻鑑(ヤマトタケルノミコトアズマカガミ)」という浄瑠璃を作り(面白おかしく脚色され)ました。
それが流行ると、
それまで主に「アメノムラクモ」使いの英雄として認識されていた「ヤマトタケル」が
「女装の英雄」「女装のパイオニア」として有名になってきました。
本居宣長が釘をさす
そこに新しい解釈を唱え、浄瑠璃愛好者に釘をさしたのは本居宣長です。
「ヤマトタケル」は倭比売の着物を着て不服従者を刺しました。
倭比売は伊勢で「天照大御神(アマテラス)」を祀る斎宮です。
着物は霊力を表しており、「ヤマトタケル」は「天照大御神」や「倭比売」に代わって刺したのだ。
と述べました。
ともすると下品に語られる場面ですが、品性を感じる解釈ですね。
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中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)