これまでのあらすじ
「小碓命(ヤマトタケル)」は父である景行天皇の后を横取りしてしまった「大碓命(オオウス)」を誤解から殺してしまいました。
「小碓命」の残酷な性格を恐れた景行天皇は「小碓命」に熊曽征伐に行くように命令しました。
「古事記」における「伊勢での休息」
そこで、「小碓命(ヤマトタケル)」は (伊勢に寄り) 叔母である「倭比売(ヤマトヒメ)」の御衣(ミソ)・御裳(ミモ)を頂いて、剱を懐に入れて出発なさいました。
御衣(ミソ)・御裳(ミモ)とは天皇や貴人の着物のことです。
「倭比売」は景行天皇の同母の兄弟で、「天照大御神(アマテラス)」を伊勢に祀り(伊勢神宮を創建)、斎宮になっている女性です。
神託を聞く能力があり「小碓命(ヤマトタケル)」に助言や物を与えます。
日本神話タロット 極参 剱ノ肆(ソード4)「伊勢での休息」
剱ノ肆(ソード4)の意味
・正位置
休息、英気を養う、自分の時間を持つ
・逆位置
ズル休み、心の準備、回復
解説文写し
旅の途中、オウスノミコトは叔母のヤマトヒメがいる伊勢に立ち寄りました。
オウスノミコトの境遇を哀れんだヤマトヒメは、いっときの休息を与えると共に、いずれ役に立つであろうと女物の着物を渡しました。
※ヤマトタケルは叔母を慕っており度々伊勢に立ち寄っていました。
別の時(後に)には「アメノムラクモ」と「火打石」をもらっています。
参考記事
はるさん的補足 「日本書紀」における熊襲征伐
景行天皇の「日本書紀」における記述は「古事記」と全く違います。
景行天皇自ら九州へ
景行12年に熊襲(「日本書紀」では熊襲と表記)が朝廷に背きます。
この時、天皇自ら筑紫に向かい、九州の土蜘蛛を次々と打ち破っています。
土蜘蛛とは朝廷に服従しない土着の先住民のことです。
(参考記事:(90)神武天皇一行、忍坂で土蜘蛛の男たちを征伐する)
さらに熊襲の本拠地である日向では熊襲梟帥(クマソタケル)の娘を味方につけ、娘に熊襲梟帥を殺害させました。
その後7年にわたる九州征伐を敢行し、景行19年に大和に戻りました。
ヤマトタケルに熊襲征伐を命じる
景行天皇の九州征伐から8年後、再び熊襲が背きます。
ここで初めて「ヤマトタケル」が登場し、景行天皇に熊襲征伐を命じられます。
(つまり、「日本書紀」には兄殺しの場面はありません。)
その時15歳の「ヤマトタケル」は見事に熊襲を討ち取りました。
「日本書紀」での景行天皇は自ら戦い、子供思いの父親として描かれています。
古事記の他の記事
古事記の他の記事はこちらからご覧ください。
上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)