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「ウケイ」によって高天原に残ることを許された「スサノオ」は、調子に乗って乱暴な振る舞いをしました。
「アマテラス」は怒って天岩戸に閉じこもってしまいます。
すると高天原も地上も真っ暗になってしまい、災いも起きるようになりました。
そこで「オモイカネ」を中心に「アマテラス」を引っ張り出す大作戦「天岩屋祭り」が計画されます。
その時に踊って神々に拍手喝采を浴びたのが「アメノウズメ」です。
「天宇受売女命」
アメノウズメノミコト
アメ、、、天の、高天原の
ウズ、、、神事の際に頭に挿す枝や花「挿頭(カザシ)」のことか?
メ、、、、女性
ミコト、、神
つまり「アメノウズメ」は
「神事における特別な役割をする髪飾りを挿した女神」という意味で巫女的存在だったと思われます。
下の写真は三重県にある「天岩戸」です。
①「天岩屋」での踊り
岩屋に閉じこもっている「アマテラス」に戸を開かせるためには
「何か楽しいことがあるのかな」
と思わせる必要がありました。
そこで神々の前で踊ることを「オモイカネ」に任命されたのが「アメノウズメ」です。
「アメノウズメ」は笹の葉を持ち、体には日陰の蔓をかけ、頭にはまさきの葛をかぶって桶を伏せてその上で踊ります。
ですが、踊り始めて服がはだけ裸踊りの状態になりました。
「アメノウズメ」=ストリップ
と思われることがありますが、踊りの最中に「神がかり」いわゆる「トランス状態」にあったと言われています。
②「天孫降臨」の場面
「アマテラス」の孫「ニニギ」が地上に降臨する時に「ニニギ」に随伴者の1人として同行します。
「アメノウズメ」は大小の魚を集めて
ところがナマコは何も答えませんでした。
そこで怒った「アメノウズメ」はナマコの口を小刀で裂いてしまいました。
③「猿女の君(サルメノキミ)」の場面
「ニニギ」の天下りを先導した「サルタヒコ」の名前を聞くように「アマテラス」と「タカミムスビ」に命じられました。
「アメノウズメ」が気後れしない性格だと見込まれての命令でした。
「アメノウズメ」は「サルタヒコ」の名前を明かしたことから「サルメ」の祖神となりました。
また一説には「アメノウズメ」は「サルタヒコ」と結婚したとされています。
②③については後日別記事にします。
猿田彦神社内 さるめ神社 (三重県)
おかめ
「アメノウズメ」は芸能の始祖神、福の神、おたふく、おかめ等と称され、京都府の芸能神社、長野県の鈿女(ウズメ)神社などで祀られています。
お面などでお馴染みの「おかめ」の起源は「アメノウズメ」とされ、それほど美人でないものの人気があり縁起がいい物とされているようです。
鎮魂祭
「アメノウズメ」は衣装がはだけても踊り続けたというエピソードが有名です。
しかし、単に踊ったということに意味があるわけではありません。
「アメノウズメ」が桶をふせてその上に乗って踏み鳴らすという所作が、空洞の器を振動させ活性化させることでそこに魂を呼び込む意味を持つと言われています。
それは後世の儀式書の類にも鎮魂祭の所作として記されるものと同じです。
鎮魂祭は新嘗祭に先だって行われる祭儀ですが冬至の頃、太陽の復活を祈願して行われるものといわれます。
「天岩屋こもり」を日蝕の神格化と捉えるせつもありますが、太陽神が最も弱っている状態である、冬至の時期の神格化と考えることもできます。
新嘗祭は現在「勤労感謝の日11/23」となっていますが、それは旧暦の11月に合わせた日です。
旧暦の11月下旬は現在の冬至の時期に当たります。
徐々に弱っていた太陽の力が冬至を境に復活するということで、「天岩屋の神話」成立の背景に冬至と鎮魂祭や新嘗祭が反映されていると言えるでしょう。
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(23)『古事記』のアイドル「アメノウズメ」
(22)までのあらすじ「ウケイ」によって高天原に残ることを許された「スサノオ」は、調子に乗って乱暴な振る舞いをしました。
「アマテラス」は怒って天岩戸に閉じこもってしまいます。
すると高天原も地上も真っ暗になってしまい、災いも起きるようになりました。
そこで「オモイカネ」を中心に「アマテラス」を引っ張り出す大作戦「天岩屋祭り」が計画されます。
その時に踊って神々に拍手喝采を浴びたのが「アメノウズメ」です。
「アメノウズメ」とは
日本最古の踊り子で神楽や俳優といった芸能の祖神とされる女神「アメノウズメ」は「古事記」ではどのように記されているのでしょうか。「アメノウズメ」を名前から考える
「古事記」での漢字表記「天宇受売女命」
アメノウズメノミコト
アメ、、、天の、高天原の
ウズ、、、神事の際に頭に挿す枝や花「挿頭(カザシ)」のことか?
メ、、、、女性
ミコト、、神
つまり「アメノウズメ」は
「神事における特別な役割をする髪飾りを挿した女神」という意味で巫女的存在だったと思われます。
下の写真は三重県にある「天岩戸」です。
「アメノウズメ」が登場する場面
「古事記」では「アメノウズメ」が登場するのは3箇所です。①「天岩屋」での踊り
岩屋に閉じこもっている「アマテラス」に戸を開かせるためには
「何か楽しいことがあるのかな」
と思わせる必要がありました。
そこで神々の前で踊ることを「オモイカネ」に任命されたのが「アメノウズメ」です。
「アメノウズメ」は笹の葉を持ち、体には日陰の蔓をかけ、頭にはまさきの葛をかぶって桶を伏せてその上で踊ります。
ですが、踊り始めて服がはだけ裸踊りの状態になりました。
「アメノウズメ」=ストリップ
と思われることがありますが、踊りの最中に「神がかり」いわゆる「トランス状態」にあったと言われています。
②「天孫降臨」の場面
「アマテラス」の孫「ニニギ」が地上に降臨する時に「ニニギ」に随伴者の1人として同行します。
「アメノウズメ」は大小の魚を集めて
アメノウズメ
ニニギに仕えるか
魚たち
お仕えします
そこで怒った「アメノウズメ」はナマコの口を小刀で裂いてしまいました。
③「猿女の君(サルメノキミ)」の場面
「ニニギ」の天下りを先導した「サルタヒコ」の名前を聞くように「アマテラス」と「タカミムスビ」に命じられました。
「アメノウズメ」が気後れしない性格だと見込まれての命令でした。
「アメノウズメ」は「サルタヒコ」の名前を明かしたことから「サルメ」の祖神となりました。
また一説には「アメノウズメ」は「サルタヒコ」と結婚したとされています。
②③については後日別記事にします。
神としての「アメノウズメ」
お面などでお馴染みの「おかめ」の起源は「アメノウズメ」とされ、それほど美人でないものの人気があり縁起がいい物とされているようです。
はるさん的補足
しかし、単に踊ったということに意味があるわけではありません。
「アメノウズメ」が桶をふせてその上に乗って踏み鳴らすという所作が、空洞の器を振動させ活性化させることでそこに魂を呼び込む意味を持つと言われています。
それは後世の儀式書の類にも鎮魂祭の所作として記されるものと同じです。
鎮魂祭は新嘗祭に先だって行われる祭儀ですが冬至の頃、太陽の復活を祈願して行われるものといわれます。
「天岩屋こもり」を日蝕の神格化と捉えるせつもありますが、太陽神が最も弱っている状態である、冬至の時期の神格化と考えることもできます。
新嘗祭は現在「勤労感謝の日11/23」となっていますが、それは旧暦の11月に合わせた日です。
旧暦の11月下旬は現在の冬至の時期に当たります。
徐々に弱っていた太陽の力が冬至を境に復活するということで、「天岩屋の神話」成立の背景に冬至と鎮魂祭や新嘗祭が反映されていると言えるでしょう。
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
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