

「竹取物語」は「源氏物語」にも「日本最古の物語」と書かれている有名なお話しです。
9世紀後半から10世紀前半に成立したと考えられていますが、作者は不明です。
主人公のかぐや姫のモデルの1人と言われるのは第11代垂仁天皇の妃「迦具夜比売命」(カグヤヒメのミコト)です。
日本各地に「かぐや姫の里」と言われる所はありますが、その中の一つは奈良県北葛城郡広陵町です。
舞台となった場所には「竹取公園」と「讃岐神社」があります。
「古事記」に書かれている「迦具夜比売命」

「迦具夜比売(カグヤヒメ)」は「古事記」には垂仁天皇の系譜のところに
「オオツツキタリネ(大筒木垂根王)」の娘「カグヤヒメ(迦具夜比売命)」と結婚し、子供は「オナベ(袁那弁王)」お1人。
という記載だけの登場です。
垂仁天皇には7人の后妃と16人の御子がいらっしゃいました。
「迦具夜比売(カグヤヒメ)」は皇妃ではなくたくさんいる妻のお一人でした。
「迦具夜比売(カグヤヒメ)」の系譜

「古事記」の「迦具夜比売(カグヤヒメ)」は開化天皇の血をひく女性です。
妃になるに相応しい系譜だったことがわかりますね。
「竹取物語」に書かれた竹取翁

「竹取物語」の冒頭に「今は昔、竹取の翁というものありけり。名をば讃岐の造となむいひける」
とあります。
「讃岐造」とは讃岐の市長のような人物でしょう。
この頃、地名と姓は同じ場合が多いので讃岐という姓だった人物であると考えられます。
第9代開化天皇の系譜の孫のところに「讃岐垂根王」の名前を見つけることが出来ます。
上の手書きの系譜では「迦具夜比売(カグヤヒメ)」の叔父に当たる人ですね。
「讃岐」と聞くと香川県を連想しますが、「讃岐国(香川県)」の斎部氏が「大和国(奈良県)」に移り住み「讃岐」という場所となったそうです。
広陵町にある「讃岐神社」

大阪市立大学講師の塚原鉄雄氏が昭和29年に竹取翁の住まいを大和国広瀬郡散吉郷(現在の広陵町三吉)と発表しました。
それ以来、岩波・新潮・講談社の『竹取物語注釈書』では、この説を今日まで使っています
かぐや姫に求婚する五人の貴公子の名は壬申の乱(672年)で活躍した実在の人物です。
求婚した5人の貴公子のモデルとなったのは、
・阿倍御主人(アベノミウシ)
・大伴御行(オオトモノミユキ)
・石上麻呂(イソノカミノマロ)の3人は実名で登場します。
また他の2人については、
・車持皇子(クラモチノミコ)のモデルが藤原不比等
・石作皇子(イシズクリノミコ)のモデルが多治比嶋(タジヒノシマ)
であると江戸時代の国学者・加納諸平氏が指摘しています。
垂仁天皇は紀元前69〜紀元前70年頃の人なので、その妃であった「迦具夜比売(カグヤヒメ)」と貴公子たちは全く時代が違いますが、貴公子たちの物語に相応しい人物を歴史書から探したのでしょう。
そして貴公子たちはかぐや姫に求婚のするために館に通ったというのですから、竹取物語の舞台は少なくとも奈良県であろうと思われます。
奈良県北葛城郡広陵町三吉に「讃岐神社」があります。
讃岐の一族が大和朝廷に仕えるため、竹の豊富なこの地に移り住み、美しい「迦具夜比売(カグヤヒメ)」が物語のモデルに選ばれたのかもしれませんね。
すぐ近くには「竹取公園」もあります

お散歩に良さそうな気持ちのいい公園でした。


竹取公園では「かぐや姫まつり」が開催されます。
2024年は10/19〜10/20です。
コスプレなどの催しがあって楽しそうです♪
また、公園から二上山(ニジョウザン)が望めます。(写真ボケました、すみません)
山の間に夕陽が落ちていく様子はとても美しいそうです。

二上山は奈良県葛城市と大阪府南河内郡にまたがる山で、石器時代の石器に使われていた岩が採掘されていました。
その岩の名前は「讃岐岩」です。
なんと「讃岐岩」は香川県坂出市と二上山周辺で採れるそうです。
およそ1400万年前に瀬戸内周辺地域の火山から噴出した溶岩だそうですが、香川県と奈良県葛城市の共通点が岩にもありました!
「竹から生まれた」姫ですからフィクションなのは間違いありませんが、紫式部から現代まで読み継がれる物語について考えてみるのも楽しいですね。