これまでのあらすじ
第10代崇神天皇の時期に疫病が起こりました。
大物主神が崇神天皇の夢に出てきて、
大物主神の子孫である「オオタタネコ(意富多々泥古)」に自分を祀らせるよう言います。
その通りにすると、疫病は止み、国家は安らかになりました。
三輪山伝説
「古事記」ではここで大物主神と「イクタマヨリビメ(活玉依毘売)」の恋愛譚が綴られています。
大物主神は「セヤダララヒメ(勢夜陀多良比売)」との恋愛の時には矢に変身して陰部を突き刺した神でしたね。
(参照:(92)神武天皇の皇后選び)
大物主神と「イクタマヨリビメ」の恋愛伝説
「イクタマヨリビメ」は輝くほど美しい乙女でした。
ある夜、高貴な男性が訪ねてきて、たちまち惹かれ合い結ばれました。
ほどなく「イクタマヨリビメ」は身籠もりました。
不審に思った両親が相手の男性が誰か聞きましたが、
ヒメは毎晩やってくる相手の名前すら知りません。
男性の素性を知ろうとした父はヒメに、
糸巻きに巻いた麻糸を針に通し、男性の着物に刺すよう教えます。
この方法はヨバイなどの相手を知るために一般的に行われていたようです。
ヒメがその通りにすると翌朝、
糸は戸の鍵穴を抜け、三輪山に鎮座する大物主神の社に達していました。
糸巻きに三輪だけ糸が残っていたのでこの地を三輪といいます。
「オオタタネコ」は大物主神と「イクタマヨリビメ」の子孫となります。
「日本書紀」の箸墓伝説
第7代孝霊天皇の皇女に「ヤマトトモモゾヒメ(夜麻登登母母曽毗売)」というヒメがいました。(参照:(95)欠史8代②)
「日本書紀」ではこの「ヤマトトモモゾヒメ」を崇神天皇の叔母とし、予言を下す巫女として描いています。
そして大物主神と「ヤマトトモモゾヒメ」は結婚していることになっています。
けれども「ヤマトトモモゾヒメ」は夜にだけ訪れる夫の姿を見たことがありませんでした。
そこで大物主神に姿を見たいと言います。
大物主神は、朝になったら櫛箱に入っていると答えました。
翌朝ヒメが櫛箱を開けると、小さな蛇がいました。
驚いたヒメは座り込んだ拍子に箸で陰部をついてしまい、亡くなってしまいます。
三輪山の麓に「ヤマトトモモゾヒメ陵」がありますが、そのエピソードから箸墓古墳(通称:大市墓 オオイチボ)と呼ばれています。
この墓は古墳の中でも最古級と考えられており、前方後円墳のひな形になったと言われています。
一方、この墓は邪馬台国の卑弥呼の墓という説もあります。
「魏志倭人伝」に記されている卑弥呼の円墳の直径とほぼ一致することなどがその理由です。
しかし否定的な見解も多く、謎が多い墓です。
はるさん的補足 巳の神杉
「日本書紀」によると大物主神の化身の蛇が三輪に住んでいたことから、
大神神社内のご神木となっている杉の木は「巳の神杉」と呼ばれています。
なので蛇の好物である卵がお供えされていました。
(「神木に卵を投げないで下さい」と注意書きがありました。笑)
古事記の他の記事
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)