❷『日本神話タロット』劒ノ壱(ソードのエース)「タカミムスビ」
「劒ノ壱」 ソードのエース

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『日本神話タロット 極参』劒ノ壱(ソードのエース)

「創造神 タカミムスビ」をざっくり言うと

・日本に天と地の区別がつき始めた時、泥沼のような国土に2番目に現れた神(1番目は「アメノミナカヌシ」)

・「造化三神、別天津神」の1柱 (右又は上図 参照)

・「ムスビ」は生産、生成を表す

・高天原の司令神

・天孫降臨で知られる「ニニギ」の祖父(母の父)

天の岩屋に「アマテラス」がこもった時に陣頭指揮をとった「オモイカネ」の父

・「アマテラス」と共に「ニニギ」に降臨を命じたとする説もある

・高天原では「アマテラス」以上の力を持っていたとする見方もある

・「古事記」編纂に深く関わった「藤原不比等」がモデルではないか
と主張する学者がいる

参考記事

劒ノ壱(ソードのエース)の意味

正位置

自由、正義、野心、征服

逆位置
頑固、反感、わがまま、冷酷非道、強要

『日本神話タロット 極参』劒ノ壱(ソードのエース)「創造神 タカミムスビ」の解説文(写し)

カミムスビ」と対になる男女の「ムスビ」を神格化した神

慈愛に満ちた「カミムスビ」とは異なり、裁きを与えることもあります

天孫降臨神武東征は「アマテラス」ではなく、「タカミムスビ」の指示によるものだという記述もあります

「古事記」での「タカミムスビ」

「タカミムスビ」を祀る、東京大神宮 (飯田橋)

他の「造化三神、別天津神」については「現れた」以外の記述がほとんどありません

しかし「タカミムスビ」はたくさん登場し、時に「アマテラス」以上の権力者であったことを感じさせます

この記事に出てくる神々の系譜

「古事記」での「タカミムスビ」

①葦原中国の平定以後、「アマテラス」と共に天津神に偵察を命じたり、国土の平定を助ける動きをしたりします

②天孫降臨神話では、「ニニギ」に天下りを命じたのは、「タカミムスビ」と「アマテラス」になっています

(「日本書紀」には「タカミムスビ」単独で指示したという物もあります)

③神武天皇が熊野に入った時は「アマテラス」と共に「タカクラジ」の夢に出てきて、太刀のありかを教えます

また、先導のために八咫烏(ヤタガラス)を遣わせます

①の部分で「タカミムスビ」が「アマテラス」よりも先に表記されています
そのため、「タカミムスビ」が実質「高天原」の支配者であったという説があります

「タカミムスビ」は藤原不比等か

律令体制の元で天皇が絶対的な権力を掌握する(大化の)改新は「天武天皇」と「持統天皇」の時代にほぼ完成しました

そして「古事記」の編纂には、藤原不比等が深く関わっています

不比等」は「最後の大豪族、蘇我氏」を倒した中臣鎌足の息子です

津田左右吉(ツダソウキチ)は「古事記歴史書でも民衆に伝わる神話的伝承を集めた物でもなく、皇室による国家統治を正当化するための政治的主張」とみなしました

その説は賛否ありますが影響力は大きく、
今も
日本神話は、天皇家と藤原家に
都合のいいように改変、改ざんされたフィクションだ

と主張する学者も多くいます

そのフィクションで最も重要なのは「古事記」では「天孫降臨」の箇所でしょう

その説によると、「天孫降臨神話」に出てくる神々にはみな対応するモデルがいます

「アマテラス」は「持統天皇」「タカミムスビ」は「藤原不比等」で、両者が「天孫降臨」を後見します

天武天皇」は息子に皇位を継承したいと願っていましたが、息子は急逝してしまいます

そこで、孫である軽皇子が即位できるようになるまで、「持統天皇」が即位します

持統天皇」は夫である「天武天皇」の血が父子相承(フシソウショウ)で受け継がれることを切望します

そして「文武天皇」の子、首皇子(「聖武天皇」)に皇位を継がせようと画策します

「不比等」にとっても、首皇子(「聖武天皇」)は娘「宮子」が産んだ外孫なので、「聖武天皇」が即位し、自分が天皇家の外戚になることは願ってもないことでした

つまり、「天孫降臨」というフィクションを「藤原不比等」が創作し、管理、演出したという主張です

はるさんの思うこと

まず、「古事記」を歴史書と見るかという点ですが、歴史書とは見ておりません

各地にモデルがいた可能性はありますが、あくまで神話だと思っています

そして、津田左右吉「古事記及び日本書紀の研究」を読むと「古事記」は「皇室による国家統治を正当化するための政治的主張」という意見に納得させられる説得力を感じます

しかし、そうであるなら「もう少し天皇を人格者として描かないだろうか」という疑問が残ります

なので、ちょっと間をとって「藤原不比等が神話を、自分の都合のいいように(「タカミムスヒ」は不比等がモデルではないかと読者に想像させるように)少し改竄した」または「編纂者が藤原氏と天皇家に忖度した」と考えています

皆さんはどう思いますか

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中巻(神武天皇から応神天皇)

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コメント一覧
  1. 歴史は勝者の都合の良いようになってしまうのでハルさんの鋭い指摘通り忖度があったのでしょうね。ゆっくり読み直すとまた違った感想が出るかもしれませんが

    • ありがとうございます♪
      古事記など、上代文学の良さは妄想し放題なところかもしれません。笑

      • 今回も楽しく読ませていただきました。
        古事記は皇位継承を正当化するためと、天皇の権威を強化するために書かれたもので、それぞれの土地の神話などを取り入れ、神からだんだん実在の人物に重点を移した(合ってる?)物語かと思います。
        神話の編纂過程では、やはり編纂者の意向が入るのは仕方がないことでしょう。内容は、断定するのではなく、読んだあとで、そういえばこの神は、藤原不比等のこと?、あの天皇のこと?、、、と想像する方が、また、神の性格も、人間味を持たせた方が、面白くて、多くの人に読まれやすいと思ったのかなと思います。

        ところで、質問ですが、持統天皇が孫を継がせるのに躍起になったのは、ほかに天皇を継承できる人物=ライバルがいたのでしょうか?例えば、天武天皇に兄弟や、兄弟の子、別の夫人がいたとか、、、?
        あと、持統天皇の夫がスサノオなので、スサノオは、天武天皇のモデルと考えていいでしょうか?

        • 丁寧なコメントありがとうございます♪
          前半部分、私も完全に同意します
          古事記編纂期は天皇が急激に力をつけた(そのために神格化した)時期なので、誰がモデルか?と考えるのは面白いですけど、私も神話と伝承がメインと考えています。

          持統天皇(天智天皇の子)の姉の子大津皇子を始め、天武天皇には4人の夫人と10人の男の子がいたようです。持統天皇の息子の草壁は次男な上、体が弱かったそうです。
          しかし、どうしても草壁に皇位を継承させたくて「卑母拝礼禁止の詔」を出したり、皇太子という制度を作ったり、大津皇子に反乱を起こさせ処刑したり、、、
          なのに草壁が亡くなってしまいます。すると、自分が天皇になります。
          そして、まだ反対した勢力を不比等とともに潰して孫(文武天皇)を即位させます。(その間に、制度をいくつか変えるということもします)
          そんなに自分の子や孫を天皇にさせたいものか?と思いますが、天皇とそれ以外は雲泥の差だったんでしょうね。

          スサノオの件ですが、天武天皇のモデルと考える人はあまりいないと思います。(色々な解釈をする方はいるけど)
          アマテラスは天津神、スサノオは国津神なので、身分がアマテラスが上です。
          また、2人は「うけい(誓約)」という形で子を成しますが夫婦というより兄弟という認識で見られることが多いのではないかと思います。
          天武天皇の頃というのは天皇(天武天皇は特に偉い)を神格化したかった時期なので、スサノオとは結びつかないと思います。

  2. いっちゃんコメント

    タカミムスビもカミムスビも知りませんでした。というか、沢山の神様のうちほんの少しだけしか知らなかったことを痛感します。分かりやすく関係図を交えて解説してくれてありがとう。
    タカミムスビ=不比等、
    アマテラス=持統説は大変説得力があり面白いですね。
    当時、持統天皇は最愛の草壁皇子を亡くし、草壁の血統に皇位を継がせることに奔走していた時期で、幼い文武、更にはその末の直系への継承の正統性や強化に全力をあげていたことは明白で、あおこに不比等が全面的に関与、貢献したことは確実だと思います。
    宮子も光明皇后も不比等も娘だからガチガチに藤原氏に取り込まれていたね。
    聖武天皇(ニニギ)の子孫が神武というのも出来過ぎ、わかりやすすぎですね。

    • 正直、イザナギ、イザナミ以前の神様はあまり出番がないですね。
      権力争いの道具説は説得力があるんですよね。
      そもそもアマテラスやニニギをフィクションで作り上げていったわけですし。
      津田左右吉の本を読むと、それも説得力があるというか、読者を飲み込むような力があります。
      一度、本居宣長と津田左右吉は個別に取り上げようかな、、、。
      その時は、はるさんらしい、と笑って見てください。

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