『古事記』イザナギとイザナミの「淤能碁呂嶋」の現代語訳と解説
平田篤胤画「淤能碁呂嶋」

天地(アメツチ)がひらいて天之御中主(アメノミナカヌシ)から伊邪那岐命(イザナキ)伊邪那美命(イザナミ)まで、神々が生まれました。

ここまでは天上だけのお話しです。

この後いよいよイザナキとイザナミによって神生みと国生みがはじまります。

この章はイザナキとイザナミがアメノミナカヌシらから命令されて淤能碁呂嶋(オノゴロジマ)に天下りをする場面です。

淤能碁呂嶋

はる
「古事記」本文の現代語訳としては
『古事記』における「国之常立神(クニノトコタチ)」御岩神社に行ってきました
の続きになります。

オレンジ色の🔸内は注釈です。

ここで、天津神諸(アマツカミモロモロ)は伊邪那岐命(イザナギ)、伊邪那美命(イザナミ)の二柱の神に

「この漂っている国土をつくり固めよ」と命令して

天の沼矛(アメノヌホコ)を授け、委任しました。

天の沼矛は玉飾られた矛という意味です。

「古事記」では矛という漢字は男性の性器を象徴するという見方もあります。

そこで二柱の神は、天の浮橋に立ち、その沼矛をさし下ろして、潮を「こおろ、こおろ」と音を立ててかきまぜ、引き上げる時にその矛の先からしたたり落ちた塩が積み重なって島となりました。

天の浮橋は天津神がいる天空と地上を結ぶ橋や梯子のことと思われます。

これを淤能碁呂(オノゴロジマ)といいます。

淤能碁呂は「おのずから凝り固まってできた島」という意味です。

イザナギとイザナミはこの後多くの島を生みますが、淤能碁呂嶋は塩が固まって自然にできた島です。

伊耶那岐命・伊耶那美命が淤能碁呂島に降りてみると、

その島には天の御柱(アメノミハシラ)と八尋殿(ヤヒロドノ)がありました。

(本文はここまでです)

天の御柱は天上世界と同質の聖なる柱。

八尋殿は立派な御殿という意味です。

「八」は数が多いという意味で使われる数字です。

「尋」は長さの単位で、「両手を広げた長さ」で約1.8メートル、つまり八尋は約15メートルですが、ここでは単に大きいという意味で使われています。

イザナキとイザナミに命令した天津神諸とは?

イザナキとイザナミは「国生み」や「神生み」をするように天津神諸(アマツカミモロモロ)に命じられました。

「古事記」では天地開闢以降にイザナキとイザナミより前に多く神々が生まれています。

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)神産巣日神(カミムスヒノカミ)は、上の表で造化三神と表記されています。

しかし

造化三神という言葉を作ったのは江戸時代の国学者平田篤胤で、「古事記」には造化三神という言葉は出てきません。

宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコノカミ)天之常立神(アメノトコタチノカミ)を加えて別天津神というと「古事記」には書かれています。

ただし、その後に出現する国之常立神(クニノトコタチノカミ)豊雲野神(トヨクモノノカミ)までは「現れてすぐに身を隠した」ことになっています。

「身を隠した」とは何か

「身を隠した」とはどういう意味でしょうか。

「身を隠した」とあっても、この後もタカミムスヒカミムスヒは何度か「古事記」に出てきます。

ですから「身を隠した」とは所謂「お隠れになる(死ぬ)」のではなく、「引退したけどご意見番として君臨する名誉会長のような存在」と考えるのが自然でしょう。

天津神諸とは?本居宣長説と平田篤胤説

本居宣長説

天津神諸について本居宣長はアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒ、ウマシアシカビヒコ、アメノトコタチの五柱だと解釈しています。

「タカミムスヒとカミムスヒが…」と書かれている箇所が後に出てくるので「諸」という文字は別天津神の五柱を指すであろうという考え方をしています。

平田篤胤説

天津神諸について平田篤胤はアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三柱であろうと解釈しています。

ウマシアシカビヒコ、アメノトコタチはその後「古事記」では何の影響力もない神なので最初の三柱は別天津神の中でも特別な存在だという主張です。

そしてアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三柱を造化三神とよびました。

はる
正解は無いと思いますが、「造化三神」という言葉は「古事記」を読む人にとっては一般的な言葉になっています。

淤能碁呂嶋とはどこか

淤能碁呂嶋については「イザナキとイザナミが天下りをした島」ということで、いかにも神話(フィクション)なので実在性を考える必要は無いように思います。

しかし、「古事記」にも仁徳天皇淡路島から詠んだ歌

「押してるや、難波の崎から出で立ちて、我が国見をすると、アハ島 オノゴロ島 、アジマサ島も見える、サケツ島も見える、、、」

と出てくることから、さまざまな実在説があります。

絵島説

絵島

本居宣長は淤能碁呂嶋は淡路島の北端にある絵島ではないかと書いています。

イザナキとイザナミの最初の子「ヒルコ」は「不具の子」であったために(淤能碁呂嶋から)葦の舟で流されてしまうのですが西宮神社に辿り着いたという伝説があるため、(海流から)絵島から流したと考えました。

沼島(ヌシマ)説

沼島

平田篤胤は淡路島の南にある沼島ではないかと考え、絵(この記事の一番上)も描いています。

仁徳天皇の歌を参考にするとアハ島を淡島明神(和歌山市の淡嶋神社)として、沼島をオノゴロ島とすれば淡路島から一望できる、という理由です。

さらに沼島には上立神岩という大きな岩があり、「天の御柱」ではないかと感じることができるため、沼島説が最も有名かもしれません。

その他に島根県の十神山筑波山、播磨灘の家島、鳴門海峡の飛島などが「淤能碁呂嶋かも」と言われているようです。

終わりに

いよいよ神々が地上に降りて来ました。

段々、この後実在の地名が出てきます。

「古事記」の面白さの一つは神話なのにとても身近に感じられるところです。

次も楽しみにしてください。

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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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コメント一覧
  1. こんばんは、この辺りのお話って本当に謎が多いですね。
    「ヒルコ」は七福神の恵比寿・「えべっさん」商売繁盛等で信仰を集める神様だという話もあったり、
    そもそもなんで「手順を間違えたから、ことが正しく進まなかった」「不具の子が生まれた」みたいな話を書き記す必要があったのか、その辺りも。。

    お多賀さん(多賀大社)に何度かお参りさせていただいた事があるのですが、正式参拝した時に入れていただいた参集殿にかけられていたお軸が、イザナギイザナミが海に矛を突き立てて島を作っている図だったのを思い出しました( ´ ▽ ` )

    • ありがとうございます♪
      ヒルコ伝説は色々ありますが、えべっさんが有名ですね!
      恵比寿さまとして信仰してもらえるなら、イザナミの最初の子供として生まれた子に相応しい扱いをされていますね。
      流されたのは悲しいけれど、世界的に「最初の子は不具の子」という神話があるようです。
      天照大御神はヒルメというお名前もあるのですが、ヒルコと似ています。
      メは女、コが男なのでヒルコは恐らく男で、天照大御神を際立たせるために追放したという説もありますね。
      多賀大社さんにある絵は垂直気味に矛を立てているようですね!

  2. この度は久方の天地開闢のお話しですね。
    前回も記させて頂きました様に同じ時代の国学者に於いても見解の相違は何を以って起こり得るのでしょうか…
    造化三神、別天津神は同じ枠内にも域の相違はお役目によるものなのでしょうか。
    八尋殿とは御殿との事。八つの御殿を設えるとは特別な場所を指しますね
    八は現代で云います“数多”の解釈ですね。

    • ありがとうございます♪
      平田篤胤は本居宣長より少し後の学者で一応年代は被っているものの2人は会っていません。
      にもかかわらず平田篤胤は「本居宣長の弟子」を名乗っていました。
      尊敬していたのでしょうけれど、箔をつけたかったのでは?と思ってしまいます。
      現在に至るまで、古事記研究をする学者は本居宣長をベースにします。
      尊敬しつつも違う意見を述べることに喜びを感じる方が多いようです。
      ウマシアシカビヒコヂやアメノトコタチに関しては役割が決まっていないので、命令したかどうかわかりませんし、コトアマツカミの中に造化三神を作る必要があったかもわからないですね。

      八尋に関してはすみません説明不足でした!
      今から説明を加えます。
      尋というもは長さの単位で「両手を広げた長さ」という意味です。
      約1.8m。
      ですから八尋というと15メートルになります。
      ですが、具体的に15メートルだったというのではなく、大きい御殿という意味で使われています。
      ちなみに
      ウガヤフキアヘズを出産する時の豊玉姫は八尋のワニになっています。

  3. はるさんの現代訳はところどころに注釈があってわかりやすいです。
    神社にお参りに行くと記事に書かれていた守護神に気が付くようになりました。こんな時、古事記を身近に感じます。
    淤能碁呂嶋ではないかと言われている絵島も沼島も、個性的でいいですね。

    • ありがとうございます♪
      神々が地上に降りてきた部分なので、想像力を掻き立てて読んでいただいた方がいいのかな?とも思いましたが、多くの学者さんたちによる注釈を載せておきました。
      沼島も絵島も岩が大きいです。
      絵島は真近まで行けましたが、ほぼ岩です。
      でも海の交通で必ず通る場所だっただろうと思いました。
      ヒルコ伝説を考えるとやはり絵島かな?

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