アスベストは繊維状の天然鉱石です。
繊維の直径は髪の毛の5000分の1程度ですが耐久性に優れ、
燃えない性質もあることから、太古よりミイラを包む布やランプの芯として使われてきました。
日本でも「竹取物語」に出てくる「決して燃えない火鼠の皮衣」は中国から伝わったアスベスト製の布「火浣布」であったと考えられています。
アスベストは建物などの断熱材や機械などの摩擦防止剤に使われてきましたが、1970年代に発ガン性などが問題となり、現在は日本において、製造、輸入、新規の使用はされていません。
アスベスト(石綿) について
アスベストの名前の由来
アスベストはギリシャ語で「消すことができない」という意味の「asbestos」が語源だと言われています。
火に触れても燃えない性質に由来しています。
和名は見た目から石綿、「いしわた」とも「せきめん」とも読みます。
アスベストの種類と成分
アスベストは天然にできた鉱物繊維のグループ名です。
アスベストは蛇紋石族と角閃石族に大別され、以下に示す6種類があります。
アスベストの主な成分は珪酸、酸化マグネシウム、酸化鉄ですが、種類によって成分が違います。
蛇紋石族
・クリソタイル (温石綿、白石綿)
化学式は Mg3Si2O5(OH)4
暗緑色の蛇紋岩の割れ目に生成したものです。
角閃石族
・クロシドライト (青石綿)
化学式は (Na2(Fe2+3Fe3+2Si8O22(OH)2))
最も毒性が強い石綿です。
・アモサイト (茶石綿)
化学式は (Mg7Si8O22(OH)2) または(Fe2+7Si8O22(OH)2)
・アンソフィライト (直閃石綿)
化学式は (Mg,Fe)7Si8O22(OH)2
・トレモライト (透角閃石綿)
化学式は Ca2(Mg,Fe)5Si8O22(OH)2(Mg/(Mg+Fe)=1.0-0.9)
・アクチノライト (陽起石綿)
化学式は Ca2(Mg,Fe)5Si8O22(OH)2(Mg/(Mg+Fe)=0.5-0.9)
ほとんどの石綿製品の原料は蛇紋石族のクリソタイルです。
発ガン性が特に強いのがクロシドライト(青石綿)で、クリソタイルは発ガン性は弱いとされています。
化学式を見る限り毒性のある成分は無いのですが、人が石綿繊維を吸い込むと石綿繊維が肺の組織内に長く滞留することがあります。
体内に滞留した石綿繊維を取り除くことは難しく、それが要因となって肺の線維化やがんの一種である肺がん、悪性中皮腫などの病気を引き起こすことがあるのです。
アスベストと宝石
アスベストというと、発ガン性がすぐに連想されるようになってしまいましたが、アスベストが主成分だったり、宝石の中に内包されたりしている宝石があります。
代表的な物を紹介します。
ヒスイに似ているため、昔は同じ石だと思われていましたが、ネフライトはトレモライトとアクチノライト系角閃石の緻密な集合体です。
・サーペンティン (蛇紋石)
サーペンティンを構成する3つの鉱物の中の1つがクリソタイルです。
パワーストーンで人気の石ですが、クロシドライトが内包されています。
タイガーズアイにヘマタイトなどが混ざり合った鉱物なので、クロシドライトが内包されています。
古くから日本でも装飾品や化粧品、ベビーパウダーなどに使われて来ました。
タルクは産地によってはアスベストと一緒に発掘されることがあるため、ベビーパウダーにアスベストが混入するという事故がありました。
・トレモライト内包エメラルド
エメラルドは鮮やかな緑色ですが、トレモライトを内包すると繊維により独特の輝きを加え、見る角度によって異なる光沢を放ちます。
緑色のガーネットですが、まれにクリソタイルを内包することがあります。
まるで馬の尻尾のように見えることからホーステイル・インクルージョン・デマントイドガーネットと命名され、現在最も高価な宝石の一つです。
アスベストの石言葉
怒り、嫉妬、強欲のコントロール
アスベスト 誕生日石
アスベスト自体は誕生日石には選ばれていません。
アスベストの主な産地
アスベストの主な産地は
・カナダ
・南アフリカ共和国
です。
日本国内では
北海道、北上山地、阿武隈山地、秩父山地などで産出されましたが、現在は採掘されていません。
はるさん的補足 石綿を混ぜて作った布「火浣布」
昔、中国で石綿を麻に混ぜて織った布を南方の火山に棲む火ねずみの毛で織った布として「火浣布」と名づけました。
耐火性の織物として大変高価だったそうです。
火浣布とは
火で浣(あら)う布という意味です。
汚れを洗いおとすため火の中に投げこむと燃えつきることなく元の白色を取り戻すことから、この名がつけられました。
「火浣布」の噂は日本にも伝わり、「竹取物語」ではかぐや姫が安倍御主人(アベノミウシ)に「火鼠の皮衣」を持ってくるよう命じました。
しかし日本で「火浣布」が作られたのは江戸時代の1764年になってからのことです。
平賀源内が37歳の時に秩父でアスベストが見つかりました。
平賀源内は早速アスベストを使って「火浣布」を作ることに成功し、江戸幕府に献上し田沼意次も喜んだといいます。
源内はオランダ人や中国人に得意になって見せたそうですが、残念ながら「火浣布」を織るのは技術的に困難で産業として発展することはなかったそうです。