この章はイザナキとイザナミが結婚して初めての子と島を生んだけれど、上手くいかない場面です。
「ニ神の結婚」
『古事記』イザナキとイザナミの「淤能碁呂嶋」の現代語訳と解説
の続きになります。
()内とオレンジ色の🔸内は注釈です。
そこで、イザナキがその妻イザナミに尋ねて言いました。
妻イザナミが答えて言うには
するとイザナキがおっしゃいました。
そこで、私の身の余っている部分で、お前の身の欠けている部分を
刺し塞いで、国を生もうと思うがどうか。
妻イザナミが答えて
そこで、イザナキのおっしゃることに
このように約束して、すぐにイザナキは
私は左から廻ってお前に会おう。
と仰いました。
こう約束して、柱を廻る時に、イザナミがまず
と言い、
あとでイザナキが
と仰いました。
おのおのが言い終わった後、イザナキが妻イザナミに
と仰いました。
そう言いながらも、くみどをして、生んだ子は、水蛭子(ヒルコ)。
この子は、葦船に入れて、水に流しやりました。
くみどとは
「聖なる結婚」のことです。
次に、淡嶋をお生みになりました。
これもまた、子の数には入れません。
淡嶋とは
淡路島のことですが、「あは」というのは不満という意味です。
最初に作った子も国土も不完全だったといっています。
ここに、二柱の神 (イザナキとイザナミ)は相談して言うことに、
やはり天津神のみもとに参上して、このことを申し上げるべきだ。
そう言って、一緒に天上に参上し、天津神の命令を求めました。
そこで、天津神は「太占 (フトマニ)」で占っておっしゃいました。
また (地上に)返り下って、言い改めよ。
(本文はここまでです。)
太占 (フトマニ)とは
卜占を讃美した言葉です。
日本の古代の占いは鹿の肩胛骨を樺ザクラの皮で灼いて入るヒビによって判断していました。
男性が先に声をかけなかったのがいけないのか
イザナキがにイザナミ「女性が最初に発言したのは、よくない。」と言い、
天津神が占い「女が先に発言したから、良くない結果になったのだ。」
という鑑定結果になりました。
日本人の意識に深く根付いた場面だと言われています。
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しかし、このことは
・それまでは日本人はどちらかからも声をかけていた
・声を掛けられて拒否する権利が女性にあった
ということを表しているといえるでしょう。
イザナキとイザナミの絵
「古事記」には書かれていませんが、「日本書紀」一書(アルフミ)第五に
イザナキとイザナミは最初、子供の作り方を知らなかったけれど、セキレイが来て交尾をしたのを見て倣った
という記述があります。
そのことから、イザナキとイザナミを描いた絵の多くにセキレイが描かれています。
この絵にも、(白くてわかりにくいですが) 矛先の下の方に2羽のセキレイが描かれていますね。
「古事記」にもこれからセキレイ、スズメ、白鳥などの鳥が登場します。
鳥は
・神と人を結ぶ存在
・神の使者
と考えられていました。
流された「ヒルコ」
私たちにとって衝撃的なのは「不具の子」だから葦船に入れて、水に流しやりました。
という場面です。
「ヒルコ」については多くの説がありますが、ここでは3つ紹介します。
ヒルコは「太陽の子」だったという説
「ヒルコ」は「太陽の子」だったため、アマテラスを際立たせるために流されたという説が有力です。
日本各地に流れ着いたとされる場所があり(西宮神社が有名)
流された先でエビスさまになったという説です。
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ちなみにアマテラスには大日孁 (オオヒルメ)という別名があります。
オオは美称なので、「ヒルメ」というお名前だったと考えると「ヒルコ」ととてもよく似ています。
「ヒルコ」は太陽の男神、「ヒルメ」は女神とも考えられます。
「ヒルコ」は生贄にされたという説
「ヒルコ」は「古事記」では「水蛭子」という字で書かれる神です。
「蛭」は血を吸う生き物、つまり「生贄」を神格化したものではないかという解釈です。
「古事記」の「ヤマトタケル」の場面にも海の神の怒りを鎮めるために「ヤマトタケル」の妻「オトタチバナ」が生贄になって海に飛び込む場面があります。
また、地に栄養を与える「肥料」に「人」が適しているという側面もあることが生贄説を主張する人の根拠となっています。
「ヒルコ」は障害児だったという説
中国南部や東南アジアに、人類の始祖となる兄妹の間に最初に不満足な出来の子が出来たという類似の伝承があり、その関わりが指摘されています。
障害かどうかわかりませんが弱かったのだという説です。
終わりに
「ニ神の結婚」はイザナキとイザナミが地上に降ろされて苦労して国や神を生む様子がわかる場面です。
何事も初めは上手くいかないこともある、と教えてくれているように思います。
次は国をどんどん生んでいく場面になります。
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)