(158)『古事記』終わらない悲劇 允恭天皇の御子たちの殺し合い
雄略天皇 月岡芳年

前の記事

次の記事

これまでのあらすじ

第20代安康天皇は弟、大長谷王子(オオハツセノミコ 後の雄略天皇) と美しい叔母、若日下王(ワカクサカノミコ) を結婚させようとします。

弟思いの安康天皇

しかし、結婚を頼みに行かせた家臣の裏切りにより誤解から、若日下王の兄、

大日下王(オオクサカノミコ) を殺害。

安康天皇大日下王(オオクサカノミコ)の妻である長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)と結婚して皇后にし、子供(目弱王)も引き取りました。

ある日、目弱王安康天皇が自分の父親を殺したということを知ってしまいました。

初めて暗殺された天皇に

そして寝ている安康天皇を刺し殺すと、(葛城氏の)都夫良意美( ツブラオミ 葛城円 )の家に逃げ込みます。

目弱王の最期

この記事に関連する皇族方と葛城氏

兄を殺されて憤慨、黒日子王に相談しに行くも、、、

その頃、大長谷王(オオハツセノミコ)はまだ少年でした。

安康天皇が暗殺されたことを聞くと、憤慨して大いに怒り、

兄の黒日子王(クロヒコノミコ)の所に行き、

大長谷王 (後の雄略天皇)
誰かが安康天皇を殺しました!
どうしましょう

ところが、黒日子王は驚きもせず、緊張感が見られません。

大長谷王は憤慨して

大長谷王 (後の雄略天皇)
あるいは天皇であり
あるいは兄弟でもあるのに、
頼みがいもなく
人が
自分の兄である天皇を殺したと
申し上げているのに
なぜ驚きもせず
もたもたしているのだ!

とおっしゃると、黒日子王の襟首を掴んで引っ張り出し、大刀を抜き、刺し殺しました。

白日子王に相談するも、、、

また、もう一人の兄の白日子王(シロヒコノミコ)の所に行き、事情を前の時と同じように告げました。

しかし反応の緩慢もまた、黒日子王と同様でした。

大長谷王白日子王の襟首を掴み引きずって、

小治田(オワリダ 現在の奈良県高市郡明日香村)に来ると、穴を掘りました。

穴の中に立たせたまま白日子王を埋めると、腰まで土に埋まった時に、白日子王の2つの目玉が飛びだし、そのまま亡くなりました。

兄弟を殺されたことに反応しない兄弟を殺してしまうという矛盾したお話しです。

雄略天皇は幼少期、感情のコントロールが効かなかったことを表してます。

葛城氏に助けを求めた目弱王を成敗・葛城氏の終焉

それから、大長谷王は軍を起こして、(目弱王 マヨワオウが逃げ込んだ 葛城氏の ) 都夫良意美 (ツブラオミ 葛城円) の家を包囲なさいました。

それを予測していた都夫良意美も軍勢を備えていて迎え撃ちました。

しかし、大長谷王の軍が発射する矢はまるで葦の花のように飛び来て散りました。

時は良し!と見て、大長谷王は矛を杖のようにして、都夫良意美の屋敷の内部を見ながら

大長谷王(雄略天皇)
私が以前、嫁に欲しいと言った少女は、
この家の中にいるのか?

と訪ねました。

すると都夫良意美は、自ら家を出て参り、身につけていた武具を解いて、8回拝礼して申し上げました。

都夫良意美 (葛城円)
先日、求婚してくださった私の娘である訶良比売(カラヒメ 韓姫)
は、差し上げましょう。

また、5カ所の屯倉をお付けしましょう。

しかし、私自身が大長谷王さまの所に行くわけにはいきません。

何故なら、昔から今に至るまで、
臣下が王の宮殿に逃げ隠れすることは聞いたことがありますが、
王子が臣下の家にお隠れになるなど聞いたことがないからです。

卑賤の私が大長谷王さまと戦っても、決して勝つことはできないでしょう。

しかし、このような私を頼って来てくださった目弱王さまのことは、死んでもお捨て申し上げられません。

屯倉は本来、天皇家の直轄地です。

しかし、この時点では葛城氏の私有地でした。

このように申し上げ、再び武具を身に着けて家に戻り戦いました。

都夫良意美は戦い続けましたが、力尽き、矢もなくなってしまいました。

都夫良意美目弱王

都夫良意美 (葛城円)
私は傷だらけになってしまいました。
矢ももうありません。
もう戦うことが叶いませんが、どういたしましょう。

と言いました。

目弱王

目弱王
こうなれば、
もうどうしようも無い。
ただちに私を殺してくれ。

とおっしゃいました。

そこで都夫良意美は大刀で目弱王を刺し殺し、自分の首を切って自害しました。

長田大郎女 (ナガタノオオイラツメ)

二人の夫(大日下王安康天皇)と息子(目弱王)が殺し合うことになってしまいました。

長田大郎女がどうなったのか、

とても気になりますが、

古事記」にも「日本書紀」にもその後を示す記述はありません。

はるさん的補足 その後の訶良比売

都夫良意美の死を持って葛城氏は権力をほぼ失います

残酷なところのある大長谷王(後の雄略天皇)ですが、

女性には優しいことでも知られています。

訶良比売と、その後結婚し、生まれた子供は第22代 清寧天皇となります。

(皇后である若日下王との間に子供が出来なかったため。)

訶良比売は父親の仇と結婚する形となりましたが、

皇后ではないものの、

天皇の母親となったので幸せな人生だったことと思います。

前の記事

次の記事

古事記の他の記事

古事記の他の記事はこちらからご覧ください。

上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

にほんブログ村

おすすめの記事