![(151)『古事記』 歯の神 反正天皇 初めての兄弟による皇位継承](https://i0.wp.com/harusantarott.com/wp-content/uploads/2022/11/24474270_s-edited.jpg?fit=640%2C360&ssl=1)
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これまでのあらすじ
仁徳天皇が亡くなると、まずは長男である履中天皇が即位しました。
反乱をおこした次男の墨江中王(スミノエノナカツミコ)を三男の水歯別王( ミズハワケノミコト 後の反正天皇)に成敗させます。
それから履中天皇は崩御しました。
「古事記」における 反正(ハンゼイ)天皇
履中天皇の弟、反正天皇は多治比の柴垣宫(シバガキノミヤ:大阪府松原市柴垣の辺り)で天下を治めました。
これが日本初の兄弟による皇位継承です。
この天皇は御身の丈が九尺二寸半(約185センチ)、御歯(ミズハ)の長さが一寸(1.5センチ)、広さが二分(3ミリ)ありました。
周尺の
1尺は19.9cm
寸は尺の10分の1
分は寸の10分の1
(尺貫法とは違います)
そして上下の歯並びが同じように揃っていて、真珠の珠を貫いたように美しかったのです。
反正天皇の皇妃と皇子女
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反正天皇が丸邇(ワニ)氏の許碁登( コゴト)の臣の娘である都怒郎女( ツノノイラツメ)を妻としてお生みになった御子は、
・甲斐郎女( カイノイラツメ)
・都夫良郎女( ツブラノイラツメ)のお2人です。
また、同じ許碁登の娘である、弟比売( オトヒメ)を妻としてお生みになった御子は
・財王( タカラオウ)
・多訶弁郎女( タカベノイラツメ)のお2人、
合わせて御子は4人です。
反正天皇の御寿命は60歳。
丁丑(ヒノトウシ)の年( 西暦437年)の7月に崩御されました。
御陵は百舌鳥野(モズノ)にあります。
「古事記」における反正天皇についての記述は以上となります。
反正天皇陵と治定されている古墳
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反正天皇陵と治定されている古墳は田出井山( タデイヤマ)古墳です。
仁徳天皇陵の3分の1程度の大きさで、古墳群の中では小さい方ですが、理由はわかっておりません。
はるさん的補足 歯の神様になった反正天皇
反正天皇(水歯別王)は兄の履中天皇に潔白を証明するために墨江中王を殺害したましたが、
天皇になってからは在位5年で崩御されてしまったこともあり功績は記されていない天皇です。
(「日本書紀」にも載っていません)
しかし水歯(ミズハ)と名付けられたほど歯が美しかったので、歯の神様になりました。
反正天皇の都跡には柴籬神社が建立され、主祭神として祀られています。
柴籬神社は
戦国時代には畠山氏に保護され
江戸時代には浮世草子で名高い井原西鶴がしばしば参拝して狂歌を残されています。
🍀柴籬宮 むくけうへてゆふ 柴垣の都哉🍀
きっとムクゲの花を植えたのでしょうね。
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反正天皇が創建?難波神社
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「古事記」や「日本書紀」には歯が綺麗だったこと以外、記述が極めて少ない反正天皇。
記紀の中では影が薄い方ですが、大阪府大阪市に難波神社という神社がある、と読者さんが教えてくださり、写真もくださいました。
ありがとうございます♪♪
難波神社は反正天皇が大阪府松原市に柴垣宫(シバガキノミヤ:大阪府松原市柴垣の辺り)を開かれた時、
父親である仁徳天皇を御祭神にして創建されたと伝えられています。
移転したり、消失→再建されたりしましたが、
大阪の繁栄を見つめ続け、現在も立派な神社が都会の中に建っています。
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)