(151)『古事記』 歯の神 反正天皇 初めての兄弟による皇位継承 
真珠を貫いたような美しい歯の持ち主 反正天皇

これまでのあらすじ

仁徳天皇亡くなると、まずは長男である履中天皇が即位しました。

反乱をおこした次男の墨江中王(スミノエノナカツミコ)を三男の水歯別王( ミズハワケノミコト 後の反正天皇)成敗させます。

それから履中天皇は崩御しました。

「古事記」における 反正(ハンゼイ)天皇

履中天皇の弟、反正天皇多治比柴垣宫(シバガキノミヤ:大阪府松原市柴垣の辺り)で天下を治めました。

これが日本初の兄弟による皇位継承です。


この天皇は御身の丈が九尺二寸半(約185センチ)、御歯(ミズハ)の長さが一寸(1.5センチ)、広さが二分(3ミリ)ありました。

周尺

1尺は19.9cm

寸は尺の10分の1

分は寸の10分の1

(尺貫法とは違います)


そして上下の歯並びが同じように揃っていて、真珠の珠を貫いたように美しかったのです。

反正天皇の皇妃と皇子女

反正天皇を中心とした系譜

反正天皇丸邇(ワニ)氏許碁登( コゴト)の臣の娘である都怒郎女( ツノノイラツメ)を妻としてお生みになった御子は、


甲斐郎女( カイノイラツメ)
都夫良郎女( ツブラノイラツメ)のお2人です。

また、同じ許碁登の娘である、弟比売( オトヒメ)を妻としてお生みになった御子は


王( タカラオウ)
多訶弁郎女( タカベノイラツメ)のお2人、

合わせて御子は4人です。

反正天皇の御寿命は60歳
丁丑(ヒノトウシ)の年( 西暦437年)の7月に崩御されました。
御陵は百舌鳥野(モズノ)にあります。

古事記」における反正天皇についての記述は以上となります。

反正天皇陵と治定されている古墳

大阪府堺市hpより お写真をお借りしました

反正天皇陵と治定されている古墳は田出井山( タデイヤマ)古墳です。

仁徳天皇陵の3分の1程度の大きさで、古墳群の中では小さい方ですが、理由はわかっておりません。

はるさん的補足 歯の神様になった反正天皇

反正天皇(水歯別王)は兄の履中天皇に潔白を証明するために墨江中王を殺害したましたが、

天皇になってからは在位5年崩御されてしまったこともあり功績は記されていない天皇です。

(「日本書紀」にも載っていません)

しかし水歯(ミズハ)と名付けられたほど歯が美しかったので、歯の神様になりました。

反正天皇の都跡には柴籬神社が建立され、主祭神として祀られています。

柴籬神社

戦国時代には畠山氏に保護され

江戸時代には浮世草子で名高い井原西鶴がしばしば参拝して狂歌を残されています。

🍀柴籬宮 むくけうへてゆふ  柴垣の都哉🍀

きっとムクゲの花を植えたのでしょうね。

ムクゲの花

「古事記」の他の記事

これまで書けている記事はこちらからご覧ください。

上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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コメント一覧
  1. みなみな より:

    古事記マニアになりたいです

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      いくらでもご協力いたします。笑笑

      • 久子 より:

        歯の神様、初めて知りました!
        マニアの仲間入り❤️‍

        それにしても、歯磨きの習慣があったとは思えない時代ですが、位の高い方は、磨いていたのかな。この時代に美しい歯をお持ちとは素晴らしいです!ご寿命60歳も、なかなか長生きですね。
        反正天皇、覚えました

        • harusan0112 より:

          ありがとうございます♪

          ようこそ、古事記マニアの世界へ。笑

          歯の神様って珍しいですよね。
          この時代は楊枝でも使っていたのでしょうか。
          高身長でカッコよかったのでしょうね!

  2. さゆ より:

    皇位の継承が、仁徳天皇の他の妻である髪長日売の子の大日下王にならなかったのは、やはり、石之日売が怖い存在だったからでしょうか?
    反正天皇は、在位期間が短かったので、田出井山古墳は、小さめなのかもしれないですね。
    田出井山古墳より規模が大きく、美しいニサンザイ古墳を反正天皇陵とする説もありますね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      石之日売が怖いけれど、文献を信じるなら、仁徳天皇よりも前に亡くなっているので、履中天皇の即位は石之日売のご実家である葛城家が主張したと思われます。
      葛城家はこの後滅亡するので
      「兄弟間でちょっと間抜けなことをしている」
      と描かれているようにも思えます。
      古墳はどれがどなたの物か、正確にはわからないのです。
      公共事業を増やすために巨大な古墳を造らせたという説に賛成なのですが、大きな謎ですね。

  3. ミカリン より:

    身長が185センチもあったなんて、立派ですね!歯が綺麗だった事が書き記されているというのは、この時代、よほど珍しい事だったのでしょう。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪

      私も、この頃の方は堅い木の実とかも召し上がって歯がボロボロだったのかしら?
      とか思ってしまいました。

      でも高身長で歯が美しいのですから、カッコよかったんでしょうね!

  4. harusan0112 より:

    キヨさんコメント

    ムクゲのお花は韓国の国花でしたね。
    ムクゲの花の気に入っているところがあって、樹木の花の散り方は様々で、桜の様に雪の如く風に舞う花吹雪は風情がありますが、椿のように花全体がポタリと落ちてしまうもの、木蓮やクチナシのように茶色に汚れてしまうもの…
    ムクゲは夕方にクルクルと傘をたたむように巻いてゆきツボミのような状態になってポタリと落ちます。
    このたたんでから落ちる様に節度と気品を感じてしまうのよね。私もかくありたいなと。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪

      ムクゲについて教えてくださりありがとうございます!
      落ち方に、品があるのですね。
      確かに、椿は大きな花がそのまま落ちてしまい、縁起が悪いと思う方もいらしたようですね。

      木蓮などは綺麗に咲いている時はいいのですが、茶色く老化して、、、

      反正天皇は最後まで
      歯が綺麗だったのかもしれませんね

  5. みゆき より:

    古事記マニアの皆さま方のコメント❤をいつも楽しんでいる者です。

    真珠を貫いたような歯並び良く美しい歯って、只々うらやましいですぅ~身長も高く、かなり目立つ存在だったのでしょうね!歯の神様として全国の歯医者に肖像画(もし有れば?)飾られたりしたら面白いですよね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪

      私がコメントから学ばせていただくことはとても多いです。
      知識的なこともですが、思いつかないような見方や受け止め方を教えてもらうこともいっぱいあります。

      歯医者さんに反正天皇の肖像画、是非置いてもらいたいです!

  6. 才色健躾 より:

    皇位継承は血筋による継承と理解しているものの”兄弟”は初めてという事は意外ですね。
    永年を考慮すれば反正天皇を介し4人の御子の何れに次代の引継ぎをなさるのでは…
    そして反正天皇はサポートへ。在位5年にて崩御と分かっていれば尚の事、自身の御子への引継ぎを優先されたのでは…と思います。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      この後は兄弟での継承が増えてきます。
      しかしこれまではなるべく直系に拘っていたように思います。
      成務天皇で途切れますが。。
      仁徳天皇の兄弟は自分自分というタイプで皇位を争ったのでしょうね。
      応神天皇以降は、
      仁徳天皇の兄弟、大山守やウジノワキイラツコのように、天皇にならないと死んでしまう事も考えられる、厳しい時代だったように
      見えます。

  7. Yoshi より:

    歯の神様!というか「歯並びが良い」なんか無理やり良いところ探して讃えてないですかね
    待望の天皇の位も5年間だけとはちょっと気の毒な気がしますが。あと小さめのお墓と。(この小ささは働きの大きさにより決められた?あるいは在位期間?)
    反正天皇・・・全く存じ上げない〜知ってたら古事記マニアになれるってのが

    あと記事見出しの真珠のお写真の綺麗なこと✨

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      反正天皇はルックスが良かったのでしょうね。
      お子様方も目立った活躍はないようなので、歯が綺麗というのは
      無理矢理見つけた長所でしょうね。
      でも日本で唯一の歯の神様になれました。笑

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