(145)『古事記』恋多き仁徳天皇 皇后の嫉妬と吉備の黒日売 葛城氏
黒日売は難波(大阪)から吉備(岡山)まで歩いて帰らされました

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これまでのあらすじ

仁徳天皇は即位すると、

民のための治水工事を行ったり、

免税をしたりしたので、

その時代は「聖帝の御世」と呼ばれます。

皇后の嫉妬と吉備の黒日売

仁徳天皇は、恋多き天皇でもあり、皇后の石之日売(イワノヒメ)はそのことでよく嫉妬していました。

そのため、天皇がお召しになろうとする妃は宮中に入ることも出来ず、もしそのような噂を聞くと石之日売は、足をバタバタさせて嫉妬しました。

ある時、天皇吉備(岡山県)海部直(アマベノアタイ)の娘の黒日売(クロヒメ)という乙女の容姿がとても美しいと聞き、妃にすることにしました。

海部直とは

吉備の海人部を分掌した豪族のことです。

しかし黒日売は、石之日売の妬みに恐れ、故郷に逃げ帰ってしまいました。

天皇は高殿(タカドノ)から黒日売の乗る船が出航して海に浮かんでいるのを見て、歌を詠みました。

仁徳天皇
沖の方には小船が連なっている。
黒鞘を出た刀身のように美しい我が妻が国に帰ってしまう。

その歌を聞いた石之日売はさらに激怒し、

人を難波の大浦(大阪湾)に遣わせ、故郷へ帰ろうとする黒日売を船から追い下ろし、陸路を歩いて帰らせ追放しました。

黒鞘を出た刀身?

しかし、仁徳天皇黒日売を恋しく思って石之日売に嘘をついて、

仁徳天皇
淡路島が見てみたい

と仰って出掛けました。

🍃

そして淡路島にいらっしゃる時に遠くを見て歌を詠みます。

仁徳天皇
海一面に照り輝く難波の崎に立って、我が国を見れば、
淡路島
淤能碁呂島(オノゴロジマ)
檳榔(ビンロウ)の生える島も見える。
離れた島も見えるなあ。

ビンロウ(クバの木)

そして、仁徳天皇淡路島から島伝いに黒日売のいる吉備国へ行きました。

黒日売は、天皇を山の畑にご案内して、お食事を振る舞いまいました。

また、黒日売が、天皇に熱い吸い物を作るために青菜を摘んでいると、天皇黒日売の所に来て、歌を詠みました。

仁徳天皇
山の手の畑に蒔いた青菜も、
吉備の乙女(黒日売)と一緒に摘めば
実に楽しいことだ

🍃

天皇難波の都に帰る時、黒日売天皇に歌を献上しました。

黒日売
大和の方に西風が吹き上げると
雲が東の方へ離れ
遠のいて行きます。
でも私は陛下を忘れることはありません。

また、続けて、

黒日売
大和の方へ行くのは誰の夫でしょう。
私の陛下
隠れ水が地下を流れるように
こっそりと心を通わせて行くのはどなた様でしょう。
私の陛下

こうして、仁徳天皇難波にお帰りになりました。

黒日売の墓は岡山県総社市にある「こうもり塚古墳」だという言い伝えがあります。

はるさん的補足 石之日売の父親 葛城襲津彦(カツラギノソツヒコ)

石之日売はとても嫉妬深い妻として描かれます。

けれどもそれは石之日売が本当に怖かったというわけではなく、

当時の石之日売の実家である葛城家天皇家力関係を比喩していると言われています。

石之日売の父親 葛城襲津彦

葛城襲津彦は4世紀末から5世紀に実在した可能性が高い人物だと考えられています。

神功皇后新羅親征の時に遠征軍を指揮して軍功を挙げたことで、葛城氏を一大勢力に発展させました。

建内宿禰の息子だという説もあります。

4世紀末に造られた陵墓は天皇家匹敵する規模でした。

「日本書紀」に書かれている葛城襲津彦

4世紀頃の朝鮮半島勢力図

日本書紀」には 神功皇后新羅を討つよう派遣された葛城襲津彦が、新羅から2人の美女を贈られて懐柔されてしまい、

神功皇后の命令に反して加羅国(カラコク)を討ってしまいます。

そして皇后の怒りをかい、自害したとされています。

「万葉集」にも登場する葛城襲津彦

🍃葛城の襲津彦 真弓、荒木にも、

頼めや君が 我が名乗りけむ🍃

(作者不明)

現代語訳

葛城襲津彦の持つ弓に使う荒木のように

頼もしいあなたが、私の名を告げた(求婚する)のでしょうか。

葛城一言主神社内の歌碑

葛城氏の盛衰

葛城氏の繁栄

葛城氏神功皇后の時代に台頭し、一大勢力となりました。

石之日売が皇后となっただけでなく、その息子たちが3人も天皇になったことから見ても、日本書紀に書かれたことは創作でしょう。

万葉集の歌から想像できるのは、葛城襲津彦は当時、「強さや勇敢さの象徴的人物」であったことです。

しかし、この後、雄略天皇の時代に葛城家は滅亡します。

ですから、古事記日本書紀が編纂された時には、滅亡していました。

日本書紀における葛城襲津彦の書かれ方も、古事記における石之日売の書かれ方も葛城家の力が無くなったことを表しているでしょう。

気の毒ですが、石之日売の嫉妬物語はまだまだ続きます。

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コメント一覧
  1. このような神話の時代でも、現代でも嫉妬深くて執念深い妻は恐ろしいですね…。私なら、サッサと貰うものもらってとっとと実家に帰らせていただいて第二の人生に向かって営業⁇かけたいところですがね…( ´∀`)

    • ありがとうございます♪
      いい家に生まれ、天皇となる人に嫁いでしまうと、ご自分の意志では動けないんでしょうね。
      歩いて帰らせたのは酷いですが、ギリシャ神話と違って殺さないからまだマシかも。笑
      平民であれば、この時代の方が再婚もしやすかったようですね!
      みなみなさんが平民出身であれば、どんどん営業かけっちゃっていらしたことでしょう。笑

  2. 石之日売の嫉妬話しは殿方よりの見方と思います。仁徳天皇、葛城の主は余りにも女性に弱いのでは…連歌。之こそ歌謡曲ですね。
    未練は未恋。恋の末…愛を交わしました石之日売のお気持ちを察して頂きたいものです。
    記紀以前のよもやま話は天皇家を誇示される為の創作話しは多分にありますね。

    • ありがとうございます♪
      この時代の男性の感覚では
      嫉妬深い悪妻貰ってしまって大変だった仁徳天皇
      なんですね。
      あと、外戚として口出しする葛城家の例えにもなっているようです。
      道長公に通じるかもしれません。

      私は万葉集に載っている石之日売を信じたいです。

    • 沢山の側室を持つのが当たり前の時代でも、女性の心の中は、許せない気持ちや嫉妬があったのですね。政治的な絡みもあって貰った皇后であれば、心が通じ合わなかったのかもしれませんね。身分に関わらず、男女の関係は複雑です

      • ありがとうございます♪
        天皇の親戚になること、ましてや天皇の母の実家は外戚として力を発揮できるので、石之日売の役割は大きかったでしょう。
        仁徳天皇のことをあまり好きにならなければ幸せだったのかも知れませんね。

  3. オノコロジマのあったとされる候補の一つは福岡県の沖ノ島で、クバも、九州以南に分布するのですが、そこまで見えたのかな。
    第二、第三の妻を迎えることは、4世紀ごろのこの時代は一夫多妻、一妻多夫なので妻たちは、それぞれ仕方ないと納得しているのですね。でも、正妻の嫉妬が強いと他の妻たちは大変ですね。
    嫉妬で送り返された黒日売と仁徳天皇は、障壁があったからこそ、返って慕う気持ちが強まったようですね。黒日売にとっては、自分では動かせない事態のなか、最大限の救いだったかもしれませんね。
    こうもり塚古墳、もうちょっといい名前を付けてくれたら訪れる人も増えたでしょうに。
    石之日売が皇后になったときは、葛城氏は勢力があって石之日売は傍若無人に振る舞えたのですね。

    • ありがとうございます
      オノゴロジマに候補地は幾つかあるのですが、その一つは淡路島のすぐそばの島です。
      恐らく仁徳天皇がご覧になったのは淡路島のそばではないでしょうか。
      石之日売の嫉妬で他の女性も大変でしたが、古事記が言いたいのは仁徳天皇が大変だったということのようです。
      葛城家が外戚として色々口出ししてきたことを例えているのだと思います。
      そして、何人もの妻を持つのが当たり前の時代に、嫉妬深い妻は悪妻。
      庶民と同じような苦労をしたことを言いたかったようですが、今の感覚だと仁徳天皇が悪いですね!
      こうもり塚古墳のお名前は可愛くなくて気の毒ですね。
      こうもりが沢山住み着いていたそうで、こんなお名前になってしまったようです。

  4. 聖帝、だけでは済まない仁徳天皇 こういう人間くささって、本当に面白いです。
    石之比売が気に病んだり嫉妬したりするのも無理もないでしょうに、この言われようだとまるで悪者みたいでちょっと?かわいそうでもあり。。
    それにしても奥さんの目を盗んでいい人の所に遊びに行って、デートをかなり楽しんでいたというのもなんとも
    力関係を暗に表していたという事も興味深いです。

    • ありがとうございます♪

      (オッカナイ奥さんがいて)
      仁徳天皇は民と同じ苦労をした
      というのが古事記の作者の言いたい事なんでしょうね。
      妻の人権がなかった頃の話ですね。
      でも、淡路島を見に行くと言って密会してた、、、絶対にバレてると思いますけど。笑

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