(143)『古事記』仁徳天皇 皇妃と皇子女 万葉集最古の作者 石之日売
椿

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下巻に入りました

下巻に入りました。

下巻は第16代仁徳天皇から第33代推古天皇までです。

しかし、ほとんど記述の無い天皇も多いため、短い巻になっております。

下巻のヒーローは仁徳天皇と雄略天皇です。

「古事記」における仁徳天皇 皇妃と皇子女

まずは恒例のご家族紹介です。

仁徳天皇難波の高津宮(タカツミヤ)で天下を治めました。

高津宮の場所

最初の皇后 石之日売

仁徳天皇と石之日売のご家族

仁徳天皇葛城之曾都毘古(カツラギノソツビコ)の娘の石之日売(イワノヒメ)と結婚してお生まれになった御子は

・大江之伊耶本和氣(オオエノイザホワケ 後の第17代履中天皇)

・墨江之中津王(スミノエノナカツミコ)

・蝮之水齒別命(タジヒノミズハワケノミコト 後の第18代反正天皇)

・男淺津間若子宿禰命(オアサツマワクゴノスクネノミコト 後の第19代允恭天皇)

の4人

髪長比売

仁徳天皇と髪長比売のご家族

日向諸縣君牛諸(ムロアガタノキミウシモロ)の娘である

髪長比売(カミナガヒメ)

髪長比売は最初、応神天皇が結婚したいと思って日向から呼び寄せた美少女です。

息子の仁徳天皇が一目惚れしたので、仁徳天皇に譲りました。

(参照:記事136)

と結婚してお生まれになった御子は

・大日下王(オオクサカノミコ)

・波多毘能若郎女(ハラビノワカイラツメ 後の雄略天皇の皇妃)

の2人

八田若郎女(2番目の皇后)と宇遅能若郎女

仁徳天皇と八田若郎女と宇遅能若郎女の関係

異母妹の

八田若郎女(ヤチダノワカイラツメ)

宇遅能若郎女(ウジノワカイラツメ 応神天皇系譜では女鳥王)とも結婚します。

御子はいません。

八田若郎女石之日売が亡くなったあと、皇后となります。

彼女たちの兄は応神天皇が後継者に指名していた宇遅能和気郎子(ウジノワケイラツコ)です。

仁徳天皇の御子は男王5人、女王1人の全部で6人です。

はるさん的補足 万葉集と石之日売

犬養万葉集記念館(奈良県)

古代の天皇きっての女好きである仁徳天皇ですが、その割に妻も御子も多くありません。

それは「古事記」や「日本書紀」によると最初の皇后である石之日売が嫉妬深くて、怖かったからということになっています。

その真偽はさておき、石之日売は歌の才能があり、4首の和歌が「万葉集」に載っています。

石之日売は「万葉集」の歌人で最古の人物です。

🍃 君が行き 日長くなりぬ 山訪ね

迎へか行かむ 待ちに待たむ 🍃

現代語訳:

あなた(仁徳天皇)が旅立ってから随分長い日が経ってしまった。

あの山道を訪ねて迎えに行こうかな。

やっぱり待っていようかな。

万葉集巻2の巻頭のこの歌は、石之日売が詠んだというより、石之日売の歌として伝承されている歌のようです。

古事記」でも石之日売仁徳天皇

椿の花ように輝いてらっしゃり

椿の葉のように寛(ユタ)かに大きくていらっしゃる

と詠む場面が出て来ます。

これらの歌から受けるイメージは嫉妬深くて怖い女性というよりは、夫のことが大好きな可愛らしい女性のような印象です。

これから、仁徳天皇の恋愛譚はたっぷりと出て来ますので、石之日売の描かれ方にも注目して頂けると幸いです。

万葉集 (本居宣長記念館所蔵)

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「古事記」の他の記事

ここまでの記事はこちらからご覧ください。

上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)

中巻(神武天皇から応神天皇)

下巻(仁徳天皇から推古天皇)

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コメント一覧
  1. 才色健躾 より:

    仁徳天皇より推古天皇までは20代。時の経過を長く感じますね。
    仁徳天皇を筆頭に石之日売さまも人間の感情にほど近い人物と伺えます
    物語りは始まり様々な濃い内容と思われます
    この時代よりの万葉集はとても素朴ですよね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      (古事記では欠史10代という物もあって、仁賢天皇から推古天皇までの10人についての記述はほとんどありません。)
      私には推古天皇は最近の方に思えてきます。
      長い歴史を書こうとして、最後は息切れしたもかしら?笑
      上代はまだ仏教や儒教の影響が少ないので、古今和歌集などより素直で素朴な歌が納められてますね。

  2. Yoshi より:

    いよいよ下巻ですね
    あれっ・・髪長比売ってどこかで見たような・・・
    と思ったら、お父さんのところに来るはずだったところに一目惚れした・・のお話の方だったのでした
    そうそう。今回はオトンと争いにならなくて良かったね、なお話。
    石之比売は嫉妬深かったんでしょうか。はるさんの記事読んでたら、むしろ意地らしい可愛らしい感じもします。
    でもどんなに可愛らしい女性がお妃でも、やっぱり仁徳天皇としては他の女も気になってしまった?!
    いやはやなんとも。

    高津は、大阪の上町台地の上の方で、超優秀な中高がたくさんある、ものすごい文教地区というイメージがあります。近くの谷町にはお金持ちがたくさん居て、相撲のスポンサーを指す「タニマチ」の語源になったという話もあったり。
    大阪に居た時はよく自転車を使っていたのですが、自分の住んでた場所から途中に上町台地(上本町・高津・谷町)があって、そこからシャーっと下っていったら難波・大阪ミナミの繁華街がある。ミナミ・難波の方に遊びとか買い物に行って、帰りにまた上町台地の坂を登るのが大変だった、ざっくりそんなだったイメージ

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      髪長比売さまは石之日売さまの嫉妬にも負けず?
      2人の子をなし、大切にされたようでよかったです。
      これから石之日売さまの嫉妬物語が出て来ます。
      古事記はギリシャ神話の影響を受けているようなので、英雄の妻はヘラのように嫉妬深くないといけないのかもしれません。
      まあヘラほど怖くありませんが。笑
      葛城の姫であり建内宿禰の孫である石之日売とはきっとかなり早いうちに結婚したのではないでしょうか。
      石之日売も年取って来て、現れたのが髪長比売、そして八田若郎女に夢中に、、、
      八田若郎女のお母様は応神天皇が寵愛した矢河枝比売。
      父と子で母と娘に夢中になります。
      余程美人だったのか、親子で趣味が似ていたのか、、、。笑。

      大阪情報ありがとうございます♪
      この辺りの事は全く知らないのでありがたいです。
      仁徳天皇の宮は難波にあるけれど、台地に上がって街を見ていたのかもしれませんね。

  3. みなみな より:

    そんな…女好きとは。
    意地らしい乙女の心を持つ鬼嫁っていったい!

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      可愛い女も夫次第で鬼になってしまうのでしょう。

  4. まいこ より:

    いよいよ下巻に突入ですね
    椿の花がこんなに古い歴史に登場していることに驚きました。
    仁德天皇とも縁があると分かり楽しかったです。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      古来から日本にある椿は一重なんですね!
      勉強になりました。

  5. さゆ より:

    11代垂仁天皇のころから后妃が増えたので、仁徳天皇には4人いらっしゃっても、少ないように思えるのですね。
    石之日売は、和歌が上手なことが、仁徳天皇にとって魅力になっていたのでしょう。天皇にとっては甘え上手な妻、他の女性にとっては、恋敵になりたくない存在だったのでしょうね。

    • 匿名 より:

      ありがとうございます♪
      石之日売はご実家が当時の大豪族だった葛城家、ですから息子が3人も天皇になりました。
      ドライな女性だったら楽だったかも知れませんが、仁徳天皇のことが大好きなんですね。
      歌も上手な教養ある女性だったのでしょう。

      他の女性にとっては、怖くて関わりたくないでしょうね

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