(135)『古事記』応神天皇、矢河枝比売と結婚!宇遅能和気郎子誕生
宇治 大吉山山道 (京都府)

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これまでのあらすじ

応神天皇は10人の女性と結婚し、27人の子をもうけます。

その中で特に信頼していた3人の皇子の役割りを決めました。

「古事記」における (宮主)矢河枝比売

前回は応神天皇宇遅能和気郎子(ウジノワキイラツコ)後継者に決めたお話しでした。

古事記」ではその後に母親である(宮主)矢河枝比売との出会いと結婚、宇遅能和気郎子の場面が出てきます。

応神天皇は、宇治野から木幡村(コノハタムラ)に行った時に道で美しい嬢子と出会いました。

応神天皇
あなたは誰の子か?

と尋ねると

矢河枝比売
丸迩の比布礼能意富美
(ワニのヒフレノオオミ)
の娘で、
名は宮主矢河枝比売といいます
応神天皇
では明日家に
行こう。

矢河枝比売は帰宅しすぐに父親に話すと

丸迩の比布礼能意富美
それは応神天皇に違いない。
恐れ多いことだ。
娘よ。
お仕えしなさい。

そして家を飾りお待ちしていると、翌日応神天皇がいらっしゃいました。

丸迩の比布礼能意富美矢河枝比売に盃を持たせて、天皇に捧げさせました。

娘に盃を持たせて捧げさせるというのは

結婚を承諾したことを意味します。

宮主とは巫女のことです。

応神天皇はその盃を持たせたままお歌いになりました。

 🍶この蟹や 何処の蟹
  数多の土地を経てきた 角鹿の蟹 
 横歩きして 何処に行く
  伊知遅島 美島に着いて
  鳰鳥のように 水に潜って出ては息をつき
  凸凹した 楽浪路を
  すくすくと 歩いてみたらばったり
  木幡の道に 遭ったお嬢様
 後姿は 小楯のよう
 歯並みは 椎か菱の実のよう
 櫟井(イチイイ)の 丸迩の坂の土を
  初土は 赤く
  底土は 黒いので
  三つ栗の その真ん中を
  真火には当てず
  眉を画き 濃く画き下ろし
  遭はし乙女
 こんな子が素敵と思っていた子
  こんな子がいたらなあと思っていた子
  まさしく向かいあって寄り添っていたいなあ🍶

このように、お二人は結婚し、宇遅能和紀郎子が生まれました。

この歌は応神天皇がお作りになったものではなく、元からあった歌謡だと思われます。

カニ男が可愛いカニ女と出会った喜びを歌った滑稽な歌です。

恐らく所作を伴ってお歌いになったと思われます。

はるさん的補足 丸迩氏との婚姻が示すこと

丸迩氏は和珥氏とも書く奈良盆地東北部で勢力のあった豪族でした。

(ワニ、サメ?を信仰していたという説もあります。)

この結婚は大豪族であった丸迩氏を服従させたことも意味したと言われています。

また丸迩氏側も葛城氏などの豪族と張り合う意味で

是非、娘に天皇と結婚をして欲しかったものと思われます。

一見、ほのぼのとした結婚譚に見えますが色々な思惑があったようです。

ちなみに丸迩氏は6世紀頃に、春日氏、小野朝臣、柿本朝臣などと名乗るようになります。

柿本人麻呂丸迩(和珥)氏のご子孫

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コメント一覧
  1. 才色健躾 より:

    あまりにも多分なエピソードをお持ちの応神天皇の所以を拝見し分かりました事は子孫繫栄に重きを於く事にて様々な人生は待ち受け、様々な事案に関わる運命だと云う事です。
    丸迩氏に関わらず古の豪族の名乗りを変更する事は何かしらの意味はあるのでしょうね
    突然現れる姓。ここは大事なポイントですね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      子孫繁栄に熱心だったんですね。
      日々、可愛い子を見つけるのに熱心だったのかもしれません。笑
      神功皇后のお腹に長く入っていたのが功績です。

      兄弟などが枝分かれして引っ越しをすると、その土地を苗字にすることもあるようですね。
      途中で変わるから、紛らわしいです。泣

  2. Yoshi より:

    他にもたくさんの奥さんを娶っている応神天皇が一目惚れするほどの美貌とはどんなものだったのでしょうか。正直気になりますが。それにしても何故いきなり・・・カニ?!(^_^;)
    歌自体はあったものだったとして、酒の席で興に乗って歌われたんですね。舞もついたかもしれません。

    ワニ氏からしたら、娘さんが天皇の目に留まったとなるとそりゃもう「でかした!」「しめしめ!」だったでしょうね

    それにしてもワニ・・・サメ?について
    西洋でサメがカッコいい、勇ましいという感じに扱われたりすることがありますが(←そしてそれは時にちょっと中二病的)
    ワニ氏もワニ(サメ)にそういう勇ましさ・カッコよさを求めていたかもしれませんね
    (・・・もしかしたらちょっと中二病が入った一族?)

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      カニ男の歌を振りつきで歌うなんて、浮かれてしまったんでしょうね
      これではウジノワキイラツコを後継者にしたくなってしまいますね。
      古事記は漢字表記や、言葉の響きなど、中二病がいっぱいいますね。笑
      一生懸命カッコよく見せようとすると、中二になってしまうんでしょうね。笑

  3. まいこ より:

    ワニ(サメ?)は海にしかいないけどカニは沢にもいるので猿カニ合戦といい昔の人に取って身近な存在だったのでしょうね。
    そして子孫を残すことがとても大事なこと使命だったのが良くわかります。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      応神天皇は長閑な方ですね
      天皇になってからも、実質、母の神功皇后が政治はやってらしたのでしょう
      子作りが一番の任務なのですね

    • ミカリン より:

      ある日道を歩いていたら、高貴な方の目に留まり大きく運命が動き出したのですね!恋の三大原則、タイミング、フィーリング、ハプニング、いつの時代も変わらないみたいですね。若い娘は心して、日頃から身だしなみを整えていた方が良さそうです

      • harusan0112 より:

        ありがとうございます♪
        どんな時も恋が生まれる可能性がありますね。
        常にオシャレしてハッピーオーラをまとっていましょうね!

  4. さゆ より:

    丸迩氏にしてみると、他の豪族に負けないため戦略的に結婚。多くの妻のいる天皇から娘が愛情をたっぷりもらうのは、難しいと思っていたでしょう。それでも勢力維持が大事で娘もそれは、納得していた時代なのですね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      政略結婚は、きっと今でも少なからず、、、
      ヤカワエヒメは寵愛されたから幸せですが、そうでない方の方が多いですよね、きっと。
      親のための人生でしたね。泣

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