(129)『古事記』神功皇后の新羅親征 (7世紀頃作らせたお話しか?)
明治時代に描かれた神功皇后

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これまでのあらすじ

仲哀天皇神功皇后建内宿禰大臣(タケウチノスクネノオオオミ)と共に神託を求めました。

住吉三神神功皇后に依り憑き、

西の彼方の国を帰属させよう

と、おっしゃいましたが、

仲哀天皇は信じなかったので罰を受け崩御しました。

さらに、住吉三神は

神功皇后のお腹にいる子が天下を収めることになる。

と、おっしゃいました。

「古事記」書かれる神功皇后の新羅親征

4世紀頃の朝鮮半島勢力図

神功皇后住吉三神に言われたように、軍勢を整え、船を並べ海を渡ってお行きになりました。

すると、海のが集まって来て、船を背負い航行を助けます。

そして強い追い風がわき起こり、皇后の船は大波を立てて進んだので、その波が新羅(シラギ)国に押し寄せて国土の半分を侵してしまいました。

新羅の国王は、恐れ

新羅の国王
今後は日本のために、 馬を飼育する臣民となります。 さらに毎年、日本に貢物をいたします。

と言いました。

こうして、新羅国を(天皇に服属する)御馬飼と定め、百済(クダラ)屯家(ミヤケ)と定めました。

屯家とはこの場合、海を渡った時の天皇の直轄地のことです。

そして皇后新羅の国王の城門に住吉三神の依代(ヨリシロ)になる杖を突き立てて、日本を守護する神として祀りました。

依代とは、神霊が寄り付くもののことです。

その後、皇后は海を渡って帰国なさいました。

はるさん的補足 7世紀ころ作られた話か? 新羅侵攻

神功皇后

歴史学が語る軍の派遣

4世紀末から5世紀初頭にかけて、日本朝鮮半島に軍を派遣したのは事実のようです。

4世紀頃の朝鮮半島勢力図

その内容は

高句麗(コウクリ)が南下策をとり、新羅と提携して百済を圧迫

日本百済の要請に応えて出兵

日本新羅の国内まで攻め入る

というもののようです。

古事記」は歴史的事件を反映しているようにも見えます。

しかし高句麗の王が残した好太王碑(コウタイオウヒ)の碑文によると、

400年と404年の戦いで、日本は逆に壊滅状態にされ撃退されたことになっています。

ですから新羅を服属させたわけではなかったようですね。

7世紀半ばに話が創作されたか

7世紀に入ると大和政権が国内の安定を確保してきたと言われています。

そして朝鮮半島への野心が起きたと見られる、7世紀半ばに、このような伝承が創作されたのではないかと見られています。

そのため、新羅征伐という大事件をこのように抽象的かつ神話風仕立てているものと思われます。

政治的プロパガンダに利用される

このようなことから、神功皇后は実在性を疑問視されることがあります。

しかし、明治から太平洋戦争終了時までは学校教育で実在の人物として教えられ、肖像画は紙幣にも使われていました。

古事記」や「日本書紀」に記された新羅親征政治的プロパガンダとして利用された過去があることも忘れてはいけない事実です。

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コメント一覧
  1. 才色健躾 より:

    国内に留まらず隣国にも史実の確証はありますと架空や物語では片付けられないですね。
    船を大魚は背負い、陸を浸水…は何かしらの意図は有りそうですね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      太平洋戦争のみならず、国民の士気を高めるために日本の特別性を強調したように思います。
      でも、ウソを書くのではなく、徹底的にフィクションだとわかる方法にしたのではないかと思っています。

  2. さゆ より:

    神巧皇后は、熊曽国の征伐は止めて、神託の通り、『その国』に向かわれたのですね。『その国』というのは、最初に神が示した西の彼方の宝物のある国と違いますね。百済、新羅に着いたので、この2国でしょうか。
    後の人々が編纂すると、自分たちに都合よく書かれてしまう事があるのでしょう。新羅に攻めいったというのは誇張された可能性が大きいのですね。
    次の世代に神巧皇后の遠征を語り伝えるときには、はるさんのように、高句麗の好太王の碑文では、違って書かれていることや、神巧皇后が愛国心を高めるために利用されていたことも併せて伝えなければなりませんね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      この部分、太安万侶は、いかにもフィクションであると言いたいのではないかと私は思いました。
      古事記には歴史書としての意味合いと、天皇を神聖化する意味合いのほかに
      日本を神に守られた国だと認識させる意味合いもあると思います。
      これは他の国の神話にも見られる傾向だそうです。
      愛国心を持つことと戦争のプロパガンダとは分けなくてはいけませんね。
      津田左右吉のお話しを入れたかったのですが話しが複雑になるのでやめました。

  3. 久子 より:

    埼玉の高麗神社は高句麗の王子が大陸から逃げてきたそうですが、神功皇后からは、少し時代が下るようです。
    今回のお話は、それに連なる話なのかな?と思い、興味深く拝読しました!

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪♪

      存じませんでしたが、古事記編纂直後に建立されたのですね。
      668年に唐と新羅に滅ぼされ、日本に亡命した高句麗の帰化人を埼玉県日高市に移住させたそうです。
      神功皇后の時代に反映させているのはこの辺りのことなのかもしれませんね。

  4. Yoshi より:

    このエピソードについては全く存じ上げませんでした。神話の時代の話をプロパガンダに利用するとは。
    第二次大戦での「カミカゼ」などもなのですが、その点についてはかなりな暴走・危うさがある・あったかもしれません。希望的観測等もあったかもしれないにせよ、現実と神話(ファンタジー)をごっちゃにしてはいけないというか。

    あと攻める・攻められるについては、元寇を受けたり秀吉も半島に侵攻しようとしてみたり、後年でも色々考えたりやったりしてるみたいですけど、攻める側によほどの戦略や武力差などの勝算でも無い限り「侵略」なんて出来たもんじゃ無いぐらいに難しいものなのでしょうね。特に海を渡って・・となると、なおさら。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      きっとYoshi さんは私よりお若いので、ご存知ないのですね。
      このエピソードは、私の世代は、子供の頃聞いたり、神功皇后の絵などは見ましたね。
      命を預かる指揮官、息子を送り出す母親、恋人、そしてもちろん戦場に行く兵士
      神がついているから大丈夫!
      と、思わないと怖すぎて戦場に行けないのではないかと思います。

      • Yoshi より:

        そうなんですね。地域差やら先生方の考え方などもあるのかもしれません。(今思えば、公立の小中高でしたがやや左翼的だったように思います。良い悪いではなく、今思えばそうだったのかな、と)
        あとは「おいおい、そんなの、守ること出来ないぞ?!」というような事でも「是非よろしくお願いします!」とか無茶振りされてしまう神様が気の毒でもあり無理がある、何がなんでも無理なもんは無理、みたいな話って、神様へのお願い事なんかでも、ありそうです。

        • harusan0112 より:

          小さい頃住んでいた所の近くに八幡さまがあったのかもしれません。
          戦争に行くとか行かせる立場になったら、私も八幡様に毎日通いそう。

  5. ミカリン より:

    古代は御神託で戦争を決めるのですね。住吉三神とは荒ぶる神なのでしょうか?就職にご利益あるからとの事で、以前、高麗神社に参拝した事があります。朝鮮の神という先入観があったせいか、独特の気を持った神社でした

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      住吉三神も荒魂があるようですね。
      気のいい、姿を見せてくれる神でもあるようですが。
      高麗神社、他の方のコメントで
      初めて知りました。独特の気、、、。
      埼玉県にあるのですね。
      私も行ってみたいです!

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