![(128)『古事記』仲哀天皇の崩御と住吉三神による神託・住吉大社](https://i0.wp.com/harusantarott.com/wp-content/uploads/2022/09/22798991_s-2.jpg?fit=640%2C427&ssl=1)
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これまでのあらすじ
仲哀天皇には神功皇后という后がいらっしゃり、懐妊されています。
「古事記」における 仲哀天皇崩御
仲哀天皇は、熊曽国を討とうとなさり筑紫の香椎宮においでになりました。
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仲哀天皇崩御
天皇は琴をお弾きになり、
建内宿禰大臣(タケウチノスクネノオオオミ)が祭場にいらっしゃり、
神功皇后は巫女となって神託を求めました。
この時、皇后に依り憑いた神が
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金・銀を始め、目が光り輝くばかりの珍しい宝物がたくさんその国にはある。
我は今、その国を天皇に帰属させて授けよう。
と、おっしゃいましたが、天皇は
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と、申し上げました。
仲哀天皇は、偽りの事を言う神だなとお思いになり、琴を弾くのをやめてしまいました。
すると、その神は酷く怒り
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あなたは一筋の道にお行きなさい。
と、おっしゃいました。
一筋の道とは黄泉の国へ行く道のことです。
そこで建内宿禰大臣が天皇に
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我が天皇(オオキミ)、
そのまま琴を弾き続けてください。
そこで、仲哀天皇はゆっくりと琴を引き寄せ、生半可な様子でお弾きになりました。
しかし間もなく琴が聴こえなくなったので、建内宿禰が火をかざして見ると天皇は崩御されていました。
再び神託を求める
このようなことになり、驚き恐れて、仲哀天皇を殯宮(モガリノミヤ)に安置して
儀式を執り行いました。
殯宮とは天皇・皇族の棺を埋葬の時まで安置しておく仮の御殿のことです。
そしてさらに国事として祓いの捧げ物を供えて
・生きたままの獣の皮を剥ぐ罪
・獣の皮を逆さに剥ぐ罪
・田の畦(アゼ)を破る罪
・田に引く水の溝を埋める罪
・神域にふんをする罪
・近親の姦淫の罪
・馬、牛、鶏、犬と獣姦する罪
などあるゆる罪を明かして国の大祓(オオハラエ)をして、
再び神功皇后が巫女となり、建内宿禰が祭場に上がり神託を求めます。
国家的に罪穢れを祓う儀式をしてから、神託を求めていたようです。
得られた神託は細部に至るまで前回と同じで、さらに
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と、おっしゃいました。
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御名を知りたいです。
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また、
底筒男(ソコツツノオ)
中筒男(ナカツツノオ)
上筒男(ウワツツノオ)
の三柱の大神(住吉三神)である。
本当にその国を求めようと思うなら、
天神地神(アマツカミクニツカミ)、
山の神、河海の神々
にことごとく供え物をして、
私の御霊を船の上に乗せて、
真木の灰を瓢箪に入れ、
また、箸と葉盤(ヒラデ)をたくさん作って、
それらを全て大海に散らして浮かべて渡るがよい。
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と、おっしゃいました。
住吉三神は伊耶那岐(イザナギ)が黄泉の国から帰って、禊を行った時に生まれた神々の中の三柱です。
はるさん的補足 住吉三神と住吉大社
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住吉三神の
底筒男(ソコツツノオ) 中筒男(ナカツツノオ) 上筒男(ウワツツノオ)
はその後、神功皇后とともに住吉大社に
「航海安全」「禊」「和歌」などの神として祀られました。
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仲哀天皇崩御のお話しはオッカナイけれど、今でも人々に愛され慕われています。
三神の「筒(ツツ)」の字は
・「宵の明星」を「夕星(ゆうづつ)」と読むように星という意味で航海神とする説
・帆柱を受けるくぼみのある柱で船の霊を祀る場所の「筒」だという説
・「津の男」と読んで港の神と考える説
などがあります。
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「古事記」が編纂された時代は住吉大社付近まで海が入り込み、
海岸線に沿って白砂青松が続く景勝の地であり、
大陸との航海の要衝の地でした。
遣唐使や遣隋使の船も住吉の港から船出をし、その際は代々、住吉大社の宮司を乗船させるなどの儀式がなされました。
751年、遣唐使派遣にあたり藤原仲麻呂邸で送別の儀が行われた折、多治比真人土作(タヂヒノマヒトハニシ)が詠んだとされる歌が万葉集に載っています。
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住吉(スミノエ)に 斎(イツ)く祝(ハフリ)が 神言(カムゴト)と
行くとも来(ク)とも 船は早けむ
意味:
住吉の社の神主のお告げによると、貴殿の船は行きも帰りも、なんの支障もなくすいすい進むとのことでございます。
古事記の他の記事
古事記の他の記事はこちらからご覧ください。
上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)