(105)『古事記』垂仁天皇④ 大国主命の夢のお告げ ホムチワケ②

白サギ 友人撮影

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これまでのあらすじ

垂仁天皇と「サホビメ(沙本毗売)」の御子

ホムチワケ(本牟智和気)」は大人になっても言葉を話すことができません

ある時、白鳥を見て、何かを言いたそうにしたので、

垂仁天皇はその白鳥を捕獲させました。

しかし、もう一度その白鳥を「ホムチワケ」に見せましたが言葉を発しませんでした。

垂仁天皇の夢に大国主命が

大国主命(出雲大社 島根県)

垂仁天皇がお休みされていると、大国主命(オオクニヌシ)の夢をみました。

大国主命
私の宮を天皇の宮殿のように立派にしてくれれば、御子は必ずものを言うようになるでしょう。

ホムチワケ」がしゃべれなかったのは出雲の大国主命の祟りだったのです。

そこで「ホムチワケ」を出雲に参拝に行かせることにします。

随行者の選定

誰を随行させようか占うと、

曙立王(アケタツノミコ)」が良いと出ました。

本当に「曙立王」が適任かウケイをさせることにしました。

ウケイ」とは簡単に言えば占いの一つです。

〇〇なら△△になる、✖️✖️なら□□になる」とあらかじめ決めて誓約し、どうなるかによって神の意思や物事の正邪を判断する方法です。

曙立王
オオクニヌシを拝むことで良い効果が得られるなら、
この池に住む鷺(サギ)よ、
ウケイ通り落ちよ

するとその鷺は池に落ちて死にました。

そして

曙立王
ウケイ通り生きろ

と言うと、鷺は復活しました。

また、甘樫丘(アマカシノオカ)の岬の葉の広い大きな白樫の木をウケイ通り枯らし、

ウケイ通り蘇生させました。

それにより「曙立王」は

倭(ヤマト)は師木の登美(トミ)の豊朝倉(トヨアサクラ)の曙立王」という名前を賜ります。

垂仁天皇は「曙立王」と「菟上王(ウナカミノミコ)」を御子に添えて派遣しました。

出雲で

こうして出雲に着き、

大国主命を参拝し終わって都に帰る時に、

斐伊川(ヒイノカワ)の中に丸太橋を造り、

仮宮をお造りして御子においでいただきました。

斐伊川 (島根県)

そして出雲の国造の祖先である「キヒサツミ(岐比佐都美)」が御子にお食事を差し上げようとすると

ホムチワケ
この川下の青葉の山のようなものは、山のようであるが山ではない。

もしかしたら出雲に鎮座なさる大国主命を祀り申し上げる神職の祭場なのか?

と、お聞きになりました。

曙立王」と「菟上王」は、御子のお言葉を聞いて喜び、

この知らせを早馬を使い垂仁天皇に知らせました。

ホムチワケの一夜婚

その間に「ホムチワケ」は「ヒナガヒメ(肥長比売)」と結婚しました。

しかし御子が「ヒナガヒメ」を(翌朝?)覗き見してみたら蛇でした!

御子は恐ろしくなって逃げました。

ヒナガヒメ」は船に乗って追いかけてきましたが、

御子はさらに怖くなって必死で都に逃げました。

この挿話は単に出雲の神を祀った結果、言葉が話せるようになっただけでなく、

出雲の神の正体である蛇の姿をした神女とまぐわいをすることによって成人格を与えられたことを示すと考えられています。

喜ぶ垂仁天皇

都に戻った曙立王垂仁天皇に、

出雲で大国主命を拝んだことによって

ホムチワケ」が話せるようになったことを報告します。

天皇は喜び、「菟上王」を出雲に引き返させ大国主命の宮を造らせました。

また、天皇は御子のために鳥取部(トトリベ)・鳥甘(トリカイ)などをお定めになりました。

鳥取部・鳥甘とは

水鳥を捕獲してそれを飼育する職業集団のことです。

はるさん的補足 ホムチワケの正体は

ホムチワケ」は垂仁天皇の御子ではありますが、16人もいた御子の1人で、

しかも母親「サボヒメ」は裏切り者でした。

にもかかわらず「古事記」では「ホムチワケ」についてかなり丁寧に記しています。

「ホムチワケ」は天皇になったか?

ホムチワケ」は垂仁天皇の御子ではなく、

別の天皇の幼少期を記した物を垂仁天皇の章に溶け込ませたのではないかという推察をする人もいます。

その根拠は、

ホムチワケ」は炎の中で生まれ、口がきけなくなり、神のご加護で治りました。

このような神話的な構造は天皇の出現を暗示させる物です。

しかし「古事記」には「ホムチワケ」についてこの後の記述はありません。

第15代応神天皇か?

第15代応神天皇の名前は1文字違いの「ホムダワケ(品陀和気)」です。

後に軍神八幡神となる天皇ですね。

もしかすると応神天皇の幼少期の記述が「古事記」編纂時に垂仁天皇の所に入って溶け込んでしまったのかもしれません。

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コメント一覧
  1. Yoshi より:

    ホムチワケさん、いきなりすごく長く喋ったんですね
    それにしても祟られて話せなくなるわ、奥さん娶ってみたら大蛇だわって・・・
    彼もまた、なかなかな踏んだり蹴ったりっぷりですね。
    第15代が八幡の神ホンダワケ、こちらは八幡さん⛩大好きな自分には馴染み深いです
    もしかしたらホムチワケとホンダワケがごっちゃになって書かれたんだったりして?!いやまさか?!?!

    ウケイのためとは言え殺されたり生き返ってみたりとは、鷺さんや樫さんも忙しい事でした

    あと出雲のある島根県のお隣鳥取県の由来って、こちらのエピソード鳥取部(トトリベ)・鳥甘(トリカイ)が由来なんでしょうか。古事記ではお馴染みの?美保関は鳥取県でしたね確か。
    興味深い、楽しいことです
    (自分としては鳥を捕まえる、というとモーツァルトのオペラ”魔笛”に出てくるパパゲーノのなりわい”鳥さし”を思い浮かべてしまいます)

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪♪
      ホムチワケさん、よほど言いたいことを溜め込んでいたのでしょうね。
      お父様
      くらいの方が泣けるんですけど!
      奥様が蛇だったことに気づいたら、また言葉が出なくなってもおかしくないレベルの話しですよね。
      サギたちは確かに迷惑すぎ。笑
      鳥取県はここから命名されたそうです。
      私はホンダワケがごちゃごちゃになったという説、結構信憑性があると思ってますよ。
      魔笛に出てくる緑色の服を着た鳥さんですね、あちらは楽しそうです。笑

  2. さゆ より:

    一御子について、普通は、こんなに長く取り上げられないし、神の御慈悲があったから、ホムチワケは天皇になられるお方の記述かもしれないのですね。
    天皇のことを記録しておきたいけど、天皇本人のこととして書くと、敬われなくなるから、別の人の青年期までとして書物に残したと言うはるさんの説明にも一理あると思います。
    大国主は、古事記ではタケミカヅチに頼んで大きな出雲大社を建ててもらったと思うのですが、年月が経ち、修繕が必要になってしまったのかしら?それとも、大国主命の宮は違うお宮かな?

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪♪
      垂仁天皇は優しい方だったようなので、このように子煩悩でも違和感なく溶け込ませられたように思います。
      応神天皇は妊娠中(お腹にいる時)が壮絶だったので、しゃべりが遅くても不思議はないですから、応神天皇説は有力だと思います。
      大国主命は国譲りの時、カミムスビの御殿のような物をお願いしました。
      今回は天皇の宮のようなものをお望みのようです。
      建て替えたくなったのでしょうね。笑
      古事記は天皇側からの記述なので、大物主神も含め出雲系は祀らないと祟りを起こすとか、正体は蛇だとか創作されるのでしょうね。
      大国主命は女好きですが、祟りで子供の声を奪うとか、絶対にしない方だと思いますので、出雲系を貶める創作だと思います。

  3. 才色健躾 より:

    昔話など度々出言葉に「○○したら▲▲してあげましょう」との思わせぶりな神がかる表現を目にします。何となく不思議です。
    ほむちわけの病はオオクニヌシの祟りからとは…神殿を改修する大義名分に聞こえてきます
    此方の時代も神とは云い権力の相違をウケイの導きのせいにして正当化されていらっしゃるのではと思います。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪♪

      無償の愛ではなく、少しの犠牲を払わないと報いてあげないよということでしょう。
      ただほど高いものは無いということを教えてくれているのかも知れません。

      古事記は朝廷側からの記述になるので、出雲系は(大国主命、大物主神など)祀らないと祟ってやる!とか正体が蛇だったとか散々な書かれ方ですね。
      まだこの頃は出雲の勢力が強く、宮を建て替えてあげなくてはいけなかったとかなのではないかも知れないですよね。
      その言い訳として大国主命の祟りとか、物語を作ったのでは?
      国作りをしたり、白兎を助けた大国主命が子供に祟るとは思えませんので、創作されたのだと思います。

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