(68)『古事記』天孫降臨① 随行した神々と三種の神器
狩野探幽画「天孫降臨」
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これまでのあらすじ

葦原中国を天津神が治めることになり、「アマテラス(天照大御神)」の孫「ニニギ(邇邇芸)」が降臨することに決まりました。

そして「サルタビコ(猿田毘古神)」が道案内をしてくれることとなりました。

天孫降臨① 
随行した神々と三種の神器
「古事記」におけるこの場面

この場面の「古事記」本文はメモのようなバラバラな感じです。 原文の順番通り意訳します。
ニニギ」は、
・「アメノコヤネ(天児屋命)
・「フトダマ(布刀玉命)
・「アメノウズメ(天宇受売命)
・「イシコリドメ(伊斯許理度売命)
・「タマノヤ(玉祖命)
五伴緒(イツトモオ)をそれぞれの職の長として職を分掌させて天下りをしようとしています。

アマテラス」は
・「八尺の勾玉(ヤサカのマガタマ)
・「八咫の鏡(ヤタノカガミ)
・「草薙剣(クサナギノツルギ)
三種の神器を持たせました。

そして
・「オモイカネ(思金神)
・「タヂカラオ(手力男神)
・「アマノイワトワケ(天石門別神)」も従わせて、

アマテラス
この鏡は私の魂として祀りなさい。
「オモイカネ」は神前のことを取り持って政(マツリゴト)をしなさい。
と告げました。

八咫の鏡(ヤタノカガミ)」と「オモイカネ」は伊勢の五十鈴宮(イスズミヤ)(伊勢神宮の内宮)に斎(イツ)き祀られています。

伊勢神宮の内宮
次に「トユウケ(登由宇氣神)」は度会(伊勢神宮の外宮)に祀られています。

アマノイワトワケ(天石門別神)」は神門の神です。

タヂカラオ(手力男神)」は佐那県(サナガタ)(今の三重県多気市)に祀られています。

さて天孫「ニニギ」の降臨の際にお供をした五伴緒(イツトモオ)のうち

五伴緒
アメノコヤネ(天児屋命)」は中臣の連(ナカトミのムラジ)などの祖神で、

フトダマ(布刀玉命)」は忌部の首(インベのオビト)の祖神

アメノウズメ(天宇受売命)」は猿女の君(サルメのキミ)の祖神

イシコリドメ(伊斯許理度売命)」は鏡作りの連の祖神

タマノヤ(玉祖命)」は玉租連(タマノヤのムラジ)(勾玉を作る神)などの祖神
となっています。

この場面の解説

多くの神々を随行させた意味

いよいよ孫の「ニニギ」を降臨させるにあたり「アマテラス」は頼りになりそうな神々を随行させます。

五伴緒の神々や「オモイカネ」「タヂカラオ」は「アマテラス」が「天の岩戸」に籠った時に岩を開く(「アマテラス」の再生)ために尽力した神々です。

加えて神門の神「アマノイワトワケ」も同行させたということは、天孫「ニニギ」の降臨は地上世界における「アマテラス」の再生(「アマテラス」の代わりに「ニニギ」が統治する)を意味していると言えるでしょう。

三種の神器を持たせた理由

草薙剣(クサナギノツルギ)
スサノオ」が「ヤマタノオロチ」を退治した時に、尾から得た物です。
スサノオ」から「アマテラス」に献上されました。
アメノムラクモ」ともいいます。
この剣は「英知と勇気」の象徴と言えるでしょう。

八咫の鏡(ヤタノカガミ)
アマテラス」は自分の魂として祀るようにと言いました。
まさに「アマテラス」の象徴であり、鏡に映った自分を見つめて「自己反省」をするようにと言いたかったのかもしれません。

八尺の勾玉(ヤサカノマガタマ)
勾玉は「」を表していると言われています。
どのような状況においても「」を大切にしなさいというメッセージと考えられます。

五伴緒の子孫が具体的に書かれている理由

古事記」は712年に編纂されました。

古事記」の序文によれば天武天皇の時に
「多くの氏族が伝える神話や伝承」を正し、天皇自らが「帝紀」と「旧辞(クジ)」を定めたそうです。

つまり当時の有力な氏族の伝承がベースになっているのです。

中臣、忌部、、、」など具体的に「古事記」に記すことによって彼らの祖先を神格化することが目的だったと言えるでしょう。

はるさん的補足
「アマテラス」らが「伊勢」に祀られている理由

10代目の天皇である「崇神天皇」の時代に疫病が流行り、国民の大半が亡くなってしまいました。

崇神天皇は神の神勢(イキオイ)を恐れ、ご自分が住む御殿(大和国)に祀っていた「アマテラス」を外に祀ることにしました。

その後、11代「垂仁天皇」の皇女「倭姫命(ヤマトヒメ)」が
永遠に神事を続けることができる場所」を求めて、
大和国、伊賀、近江、美濃を巡り伊勢に入り(←倭姫命の巡行の足跡地図あり)ついに適地を見つけ「アマテラス」を祀ったそうです。

そしてそれから約500年後の5世紀半ば(21代目の天皇である雄略天皇の時代)に「トユウケ(登由宇氣神)」を「アマテラス」らのお食事係として度会(伊勢神宮)の外宮に祀るようになりました。

次回はいよいよ天孫が地上に降臨します。

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コメント一覧
  1. 才色健躾 より:

    この度の解説は余ほどの知識と時間を要していないと分からない事柄ですね
    勉強もしていない、それに費やす時も省き、はるさんのブログにて知り得たことは貴重です
    何故、歴史上に三種の神器は表すのかその意味は如何なるものなのか…
    そして神の神事を伊勢に祀るのかを勉強出来ました

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪
      今回は話があちこち飛ぶのと、疑問が湧きやすい所なので、伝え方に苦労したのでそい言ってもらえると、とても嬉しいです。
      三種の神器も精神的な戒めや成長を重んじているんですね。
      よく働く皇女ですね!伊勢神宮がいつできたか正確にはわからないようですが、倭姫命も祀られています。

  2. さゆ より:

    国の役職の長の任命は、統治の第一歩で、降臨の前にそこから始めるとは、ニニギは聡明ですね。
    お供の5神、岩隠れのとき、フトダマは、鏡を差し出し、イシコリドメは、鏡を作り、タマノヤは、勾玉を作ったので、5柱とも、岩隠れで活躍していた神々なのですね。
    三種の神器を使ってニニギが知力、気力、客観視する力、美徳を自分自身に身に付けられれば、すばらしい統治者になるでしょうね。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます!
      役職の長ということは、天津神はどのくらい随行したんでしょうね。
      天津神が国家の律令組織を牛耳っていたのでしょう。
      というか712年ころ国家を牛耳っていた方々の祖先は天津神だと主張しているのかもしれません。
      そのような治世者が現れてくれると
      いいですね!

  3. よしちゃん より:

    こんにちは。いよいよ天孫降臨ですね。三種の神器の中でも天叢雲剣は壇ノ浦に沈んだんでしたっけ
    (形代の方ですかね。)NHKの大河ドラマが、それこそ先週ぐらいか壇ノ浦の合戦やってたような・・・

    倭姫は・・・実はうちの氏神様がとある元伊勢です。あと、先代の伊勢神宮の看板を書いたのが伯父だったりしました。
    相当、いやめちゃくちゃ大変だったそうです。皇學館の教授だったんですが残念ながら割と早い急逝で、(代わりが見つからなかったのか??詳細不明)
    今回の式年遷宮からは印刷になったとか。
    書道の傍ら大学教員したり宮さんに字を教えたり、多忙な方ゆえほとんど交流が無かった事もあり、
    会ったこともそんなには無かったのですが、外宮は男仮名、内宮は女仮名で書いた(内宮の字の方がちょっと丸っこい)。
    それを書き分けられる方はそうそう居ない、という話がありました。先代の(伯父が書いた)看板・・・画像検索でも
    最近はもう結構出て来ないかな。。写真探して、また見せますね。

    • よしちゃん より:

      追記:念のため、うちはめっちゃ庶民です(^◇^;)
      伊勢神宮全然関係ない。母は嫁に出てきてるし、(伯父は次男で母の兄)
      元伊勢の氏子なのも、本当に偶然です。というか宮司さん女性なのですが、ほんっとに良い方・・・

      ちなみに鳥羽にある「漣(さざなみ)」の看板の元となった字は伯父が書いたものなのですが、
      http://sazanami.co.jp/wp-content/uploads/2019/06/sazanamitennai-2.jpg

      こちらのジャンボエビフライは本当に、本当に美味です
      http://sazanami.co.jp/
      漣(さざなみ)鳥羽店ホームページ

      • harusan0112 より:

        hp拝見しました。
        大きくて美味しそうですね!
        次回是非行かせていただきます。
        教えてくださり、ありがとうございました。

    • harusan0112 より:

      ありがとうございます♪♪
      アメノムラクモは壇ノ浦に沈んでしまいましたね。
      その後作られた剣も盗難にあったという噂もありますし、天皇さえも見ることができないのですから、
      存在するかどうかさえわかりません。笑

      元伊勢さんが氏神様なのですね!
      倭姫の行動力ってすごいですよね。皇女とはおもえません。
      この地図にはありませんが京都にも元伊勢ってありますよね。
      倭姫が通ったことにしたいのでしょうか。

      それにしても素晴らしい伯父様がいらっしゃったのですね。
      伊勢神宮の看板をお書きになったとは、、、
      ただただ驚いております。
      年代的にはいつ頃なのでしょうか。
      仮名を書き分けられるとは想像できないくらい凄い事ですね。
      早くにお亡くなりになったのは残念です。

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