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そして「サルタビコ(猿田毘古神)」が道案内をしてくれることとなりました。 天孫降臨①
「ニニギ」は、
・「アメノコヤネ(天児屋命)」
・「フトダマ(布刀玉命)」
・「アメノウズメ(天宇受売命)」
・「イシコリドメ(伊斯許理度売命)」
・「タマノヤ(玉祖命)」
の五伴緒(イツトモオ)をそれぞれの職の長として職を分掌させて天下りをしようとしています。
「アマテラス」は
・「八尺の勾玉(ヤサカのマガタマ)」
・「八咫の鏡(ヤタノカガミ)」
・「草薙剣(クサナギノツルギ)」
の三種の神器を持たせました。
そして
・「オモイカネ(思金神)」
・「タヂカラオ(手力男神)」
・「アマノイワトワケ(天石門別神)」も従わせて、
と告げました。
「八咫の鏡(ヤタノカガミ)」と「オモイカネ」は伊勢の五十鈴宮(イスズミヤ)(伊勢神宮の内宮)に斎(イツ)き祀られています。
次に「トユウケ(登由宇氣神)」は度会(伊勢神宮の外宮)に祀られています。
「アマノイワトワケ(天石門別神)」は神門の神です。
「タヂカラオ(手力男神)」は佐那県(サナガタ)(今の三重県多気市)に祀られています。
さて天孫「ニニギ」の降臨の際にお供をした五伴緒(イツトモオ)のうち
となっています。
五伴緒の神々や「オモイカネ」「タヂカラオ」は「アマテラス」が「天の岩戸」に籠った時に岩を開く(「アマテラス」の再生)ために尽力した神々です。
加えて神門の神「アマノイワトワケ」も同行させたということは、天孫「ニニギ」の降臨は地上世界における「アマテラス」の再生(「アマテラス」の代わりに「ニニギ」が統治する)を意味していると言えるでしょう。
「スサノオ」が「ヤマタノオロチ」を退治した時に、尾から得た物です。
「スサノオ」から「アマテラス」に献上されました。
「アメノムラクモ」ともいいます。
この剣は「英知と勇気」の象徴と言えるでしょう。
・八咫の鏡(ヤタノカガミ)
「アマテラス」は自分の魂として祀るようにと言いました。
まさに「アマテラス」の象徴であり、鏡に映った自分を見つめて「自己反省」をするようにと言いたかったのかもしれません。
・八尺の勾玉(ヤサカノマガタマ)
勾玉は「徳」を表していると言われています。
どのような状況においても「徳」を大切にしなさいというメッセージと考えられます。
「古事記」の序文によれば天武天皇の時に
「多くの氏族が伝える神話や伝承」を正し、天皇自らが「帝紀」と「旧辞(クジ)」を定めたそうです。
つまり当時の有力な氏族の伝承がベースになっているのです。
「中臣、忌部、、、」など具体的に「古事記」に記すことによって彼らの祖先を神格化することが目的だったと言えるでしょう。
はるさん的補足
10代目の天皇である「崇神天皇」の時代に疫病が流行り、国民の大半が亡くなってしまいました。
崇神天皇は神の神勢(イキオイ)を恐れ、ご自分が住む御殿(大和国)に祀っていた「アマテラス」を外に祀ることにしました。
その後、11代「垂仁天皇」の皇女「倭姫命(ヤマトヒメ)」が
「永遠に神事を続けることができる場所」を求めて、
大和国、伊賀、近江、美濃を巡り伊勢に入り(←倭姫命の巡行の足跡地図あり)ついに適地を見つけ「アマテラス」を祀ったそうです。
そしてそれから約500年後の5世紀半ば(21代目の天皇である雄略天皇の時代)に「トユウケ(登由宇氣神)」を「アマテラス」らのお食事係として度会(伊勢神宮)の外宮に祀るようになりました。
次回はいよいよ天孫が地上に降臨します。
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これまでのあらすじ
葦原中国を天津神が治めることになり、「アマテラス(天照大御神)」の孫「ニニギ(邇邇芸)」が降臨することに決まりました。そして「サルタビコ(猿田毘古神)」が道案内をしてくれることとなりました。
天孫降臨①
随行した神々と三種の神器
「古事記」におけるこの場面
この場面の「古事記」本文はメモのようなバラバラな感じです。
原文の順番通り意訳します。
・「アメノコヤネ(天児屋命)」
・「フトダマ(布刀玉命)」
・「アメノウズメ(天宇受売命)」
・「イシコリドメ(伊斯許理度売命)」
・「タマノヤ(玉祖命)」
の五伴緒(イツトモオ)をそれぞれの職の長として職を分掌させて天下りをしようとしています。
「アマテラス」は
・「八尺の勾玉(ヤサカのマガタマ)」
・「八咫の鏡(ヤタノカガミ)」
・「草薙剣(クサナギノツルギ)」
の三種の神器を持たせました。
そして
・「オモイカネ(思金神)」
・「タヂカラオ(手力男神)」
・「アマノイワトワケ(天石門別神)」も従わせて、
アマテラス
この鏡は私の魂として祀りなさい。
「オモイカネ」は神前のことを取り持って政(マツリゴト)をしなさい。
「オモイカネ」は神前のことを取り持って政(マツリゴト)をしなさい。
「八咫の鏡(ヤタノカガミ)」と「オモイカネ」は伊勢の五十鈴宮(イスズミヤ)(伊勢神宮の内宮)に斎(イツ)き祀られています。
次に「トユウケ(登由宇氣神)」は度会(伊勢神宮の外宮)に祀られています。
「アマノイワトワケ(天石門別神)」は神門の神です。
「タヂカラオ(手力男神)」は佐那県(サナガタ)(今の三重県多気市)に祀られています。
さて天孫「ニニギ」の降臨の際にお供をした五伴緒(イツトモオ)のうち
五伴緒
「アメノコヤネ(天児屋命)」は中臣の連(ナカトミのムラジ)などの祖神で、
「フトダマ(布刀玉命)」は忌部の首(インベのオビト)の祖神
「アメノウズメ(天宇受売命)」は猿女の君(サルメのキミ)の祖神
「イシコリドメ(伊斯許理度売命)」は鏡作りの連の祖神
「タマノヤ(玉祖命)」は玉租連(タマノヤのムラジ)(勾玉を作る神)などの祖神
「フトダマ(布刀玉命)」は忌部の首(インベのオビト)の祖神
「アメノウズメ(天宇受売命)」は猿女の君(サルメのキミ)の祖神
「イシコリドメ(伊斯許理度売命)」は鏡作りの連の祖神
「タマノヤ(玉祖命)」は玉租連(タマノヤのムラジ)(勾玉を作る神)などの祖神
この場面の解説
多くの神々を随行させた意味
いよいよ孫の「ニニギ」を降臨させるにあたり「アマテラス」は頼りになりそうな神々を随行させます。五伴緒の神々や「オモイカネ」「タヂカラオ」は「アマテラス」が「天の岩戸」に籠った時に岩を開く(「アマテラス」の再生)ために尽力した神々です。
加えて神門の神「アマノイワトワケ」も同行させたということは、天孫「ニニギ」の降臨は地上世界における「アマテラス」の再生(「アマテラス」の代わりに「ニニギ」が統治する)を意味していると言えるでしょう。
三種の神器を持たせた理由
・草薙剣(クサナギノツルギ)「スサノオ」が「ヤマタノオロチ」を退治した時に、尾から得た物です。
「スサノオ」から「アマテラス」に献上されました。
「アメノムラクモ」ともいいます。
この剣は「英知と勇気」の象徴と言えるでしょう。
・八咫の鏡(ヤタノカガミ)
「アマテラス」は自分の魂として祀るようにと言いました。
まさに「アマテラス」の象徴であり、鏡に映った自分を見つめて「自己反省」をするようにと言いたかったのかもしれません。
・八尺の勾玉(ヤサカノマガタマ)
勾玉は「徳」を表していると言われています。
どのような状況においても「徳」を大切にしなさいというメッセージと考えられます。
五伴緒の子孫が具体的に書かれている理由
「古事記」は712年に編纂されました。「古事記」の序文によれば天武天皇の時に
「多くの氏族が伝える神話や伝承」を正し、天皇自らが「帝紀」と「旧辞(クジ)」を定めたそうです。
つまり当時の有力な氏族の伝承がベースになっているのです。
「中臣、忌部、、、」など具体的に「古事記」に記すことによって彼らの祖先を神格化することが目的だったと言えるでしょう。
はるさん的補足
「アマテラス」らが「伊勢」に祀られている理由
10代目の天皇である「崇神天皇」の時代に疫病が流行り、国民の大半が亡くなってしまいました。崇神天皇は神の神勢(イキオイ)を恐れ、ご自分が住む御殿(大和国)に祀っていた「アマテラス」を外に祀ることにしました。
その後、11代「垂仁天皇」の皇女「倭姫命(ヤマトヒメ)」が
「永遠に神事を続けることができる場所」を求めて、
大和国、伊賀、近江、美濃を巡り伊勢に入り(←倭姫命の巡行の足跡地図あり)ついに適地を見つけ「アマテラス」を祀ったそうです。
そしてそれから約500年後の5世紀半ば(21代目の天皇である雄略天皇の時代)に「トユウケ(登由宇氣神)」を「アマテラス」らのお食事係として度会(伊勢神宮)の外宮に祀るようになりました。
次回はいよいよ天孫が地上に降臨します。
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上巻(天地開闢から海幸彦山幸彦)
中巻(神武天皇から応神天皇)
下巻(仁徳天皇から推古天皇)
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